帝国編
目覚め
*
*
*
不思議な感覚だった。ただ、当たり前に存在している空気のように、浮遊しているような感覚。俯瞰でこの世界を漂い……
そして、誰もヤンの存在に気づかない。
見知らぬ地に、見知らぬ人々……そして見知らぬ街が炎上していた。焦げた死体の匂いが充満する中。阿鼻叫喚の声が至る所で鳴り響く中。逃げ惑う者が、まるでゴミのように殺されている中。
ただ、一人だけ見知った人物。ヘーゼン=ハイムがその場に座っていた。
「……」
嫌になるほど知っているはずなのに。それは、どことなく、いつも見ているヘーゼンとは違った。
そして。
決して目を開けぬまま眠っている少女を抱き抱えている。そして、そんな彼女を見るヘーゼンの表情は笑っているような……泣いているような……
それから。
目まぐるしく景色が変わり、別の世界へと漂い至った。そこにも、ヘーゼン=ハイムは存在していた。だが、その姿は今よりかなり大人びて見えた。
横たわっているのは、やはり、一人の少女だった。
全てを失ったかのように。放心状態で、少女の髪を手のひらで優しく触っている。
目の前には、男がいた。若々しいが、髪がまるで老人のように白い。そして……何も言わずに、去っていく彼に
ヘーゼンは何かを言った。
その言葉は聞き取れなかった。
そして、また。目まぐるしく景色が変わった。今度は、戦場だった。またしても、ヘーゼン=ハイムはその場にいた。
……いや、それは果たしてヘーゼンと言えるのだろうか。
すでに、顔の皺が多い老人になっていた。背中は折れ曲がっていて、腕も細い。だが、その漆黒の瞳。変わらぬ深淵の光を放つそれが、強烈な存在感を放つ。
視線の先には……遠く先には、先ほどの白髪の男。彼は相変わらず若々しかった。
数万の死体が足元にあるにも関わらず、夥しいほど禍々しい悪魔が目の前にいるにも関わらず、怒り、嘆き、叫び声の不協和音を心地良さそうに聴きながら、目を瞑っている金髪の少女とワルツを踊る。
彼は、少し寂しそうに見えた。
それを間近で眺めていた年老いたヘーゼン=ハイムの表情は見えなかった。なぜだろう……しっかりとその横顔を眺めたのに。
「……あ」
なんとか声をかけようと、ヤンがもがこうとした。何が言いたいのか、自分でもわからない。でも、何か……何かを……
その時、地に足がついた。そこは、完全な暗闇だった。黒よりも更に濃く深い闇。前も後ろも右も左も、何も見えない。
「誰か……誰かいますかー?」
仕方なくヤンは歩き出す。先ほどとは違い、だんだんと意識はハッキリしてきた。自分の歩く方向を前へと見定めて、ただ前を歩く。
そんな暗闇の中。
「ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン=ハイム……」
そんな声が聞こえてきた。ヤンが、その音を頼りに進むと、青と緋の灯が照らされていた。その微かな光に映し出されたのは、グライド将軍の影だった。
「ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン……」
悔しそうに、口惜しそうに……悲しそうに、何度も何度もつぶやきながら、影は彷徨い歩く。ヤンはしばらく、それを眺めていたが、やがて、ため息をついて影に近づく。
「いい加減にしてくださいよ。残念ながら、あなたでは
「……ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン=ハイム……ヘーゼン=ハイム」
「はぁ……わかりましたよ」
ヤンは呆れたようにつぶやき、影の手を引きながら歩く。無念そうに、残念そうに、消え入りそうに嘆くそれに、励ましの言葉を交えながら。
やがて。
大きな闇の光があたりを照らす。すると、グライド将軍の影は怯えたようにしゃがみ込む。
そこに現れたのは、ヘーゼン=ハイムだった。
「……」
不思議と。先ほど見たヘーゼンとは全く別人に見えた。黒髪の青年は呆れたように、少し怒ったように、そして……いつものようにヤンの頭をグリグリとなでる。
「呆れたな。連れてきたのか?」
「だって……このままじゃ、ずっと暗闇を彷徨うことになりますよ?」
「自業自得だ」
「放って置けないじゃないですか!?」
「なんでだよ。敵だろう?」
「敵でもですよ」
「……はぁ。いいのか? このまま、君の身体の中に居座り続けるんだぞ?」
「もちろん、嫌ですよ」
「だったら置いて行けばいいじゃないか」
ヘーゼンは肩をすくめて答える。
「仕方がないじゃないですか」
「し、仕方がないか? 僕はまっぴらごめんだが」
「
「……まあ、君の心だから、君の好きにするといい。言っておくが、僕は知らないよ」
「
「断じて違う。でも、君に何を言ったって、好きにするだろうから、そうすればいい」
「そうします」
ヤンは怯えたグライド将軍の影の手をギュッと握る。ヘーゼンは呆れ果てた顔を浮かべたが、やがて、大きくため息をついて歩き出す。
「……」
その黒髪の背中を追って、ヤンは影の手を握り歩き出す。
「……あの、
「なんだ?」
「さっきのあの光景って……」
「人の心を覗き込むのは、感心しないな」
「……
そうつぶやくと。
珍しく、ヘーゼンは失敗したような表情を浮かべ、頭をガシガシとかく。
「……さあ、もう行こう。道が閉じてしまう」
「教えてくれないんですか?」
「教えたって、忘れてるさ。夢は思い返そうとしても、思い出せないものだろう?」
「……でも、私、知りたいんです」
「君がそれを知るためには、一つしかないな」
「なんですか?」
「僕を超える魔法使いになりなさい」
「……それしかないんですか?」
「ああ。答えを知るにはね」
「……」
「さあ、早く行こう」
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