誤算


 筆頭軍師ケイオスは、自身の耳を疑った。もちろん、言葉が聞こえなかったのではない。脳内で発生しているだろう事象の理解が、まったくと言っていいほど追いつかなかったからだ。


 どう言うことだ。


 意味がわからない。


 ケイオスは、思わず伝令の胸ぐらをガン掴みしてキレ凄む。


「おい……おい! 何を言っている!?」

「の、ノクタール国首都キルヴァーナに誰一人いません!」

「そんな訳あるか!? さては、貴様……間者だな」


 そう叫び。携えていた剣を抜き喉元に突きつけると、隣にいた筆頭将軍ガリオスが慌てて制止する。


「真実を言え! 行けばわかることだぞ!?」

「お、おい! 落ち着けよ。顔見知りの伝令だろうが」

「これが落ち着いていられるか!?」


 そう言い捨てて、軍師ケイオスは馬を全力で走らせる。


「嘘だ……嘘……絶対に嘘だ……」


 何度も何度も自分にそう言い聞かせる。あり得ない。そんなことは、どう考えても現実的に起こりようがないのだ。


 そして。


「はぁ……はぁ……はぁ……あぁん」


 数十分後。首都キルヴァーナに辿り着いた瞬間、思わず、呻き声が漏れてしまった。


 誰もいない。


 それから目が飛びでるほどに眼球をガン開きにして周囲を探すが、そこにはノクタール国の兵どころか、誰一人として見えなかった。


「ば、ばばばば馬鹿な……馬鹿な……馬鹿な……馬鹿な……」


 ケイオスは、小さな泡が吹き出そうなほど取り乱す。見える光景がグニャリと曲がり、思考が全然追いつかない。足元がおぼつかず、現実を歩いている気がしない。


 ここは、どこだ? 本当に首都キルヴァーナなのか? 自分は夢でも見ているのか? 何度も自問自答する。


「お、おい! 大丈夫か?」

「さ、ささささ探せ! 空城の計だ! 奴らは必ずこの周辺にいる!」


 軍師ケイオスが、なんとか声を振り絞って、ガジガジと爪を噛みながら、筆頭将軍のガリオスに告げる。


 ノクタール国はそこまでの広さはない。ジオウルフ城、ロギアント城、ガダール要塞……そして、首都キルヴァーナを集めた膨大な民や将兵が隠れる場所などないのだ。


 仮に、ここまでの道中であれば……必ず見つけるはず……だから、絶対にこの周辺にーー


 !?


「はっ……ぐっ、ぐおえええええええええっ!」

「お、おい! 大丈夫か!」


 、思わずケイオスの胃の中にある全てが逆流し、ゲロを地面にビチャビチャ吐いた。


 もし……もし、そうならば、ノクタール国は……死なない。


 いや、それどころか。


「うおえええええええっ!」


 またしても嗚咽が襲ってくる。精神こころだけでなく、身体が今の現実を拒絶している。そして、脳裏によぎる光景が、自身の考えが、胃を焼くように焦がし続ける。


 認めなくなかった。いや、認められなかった。それを認めることは、ケイオス自身の完全敗北を認めないといけないからだ。


 数十年、頭脳だけで勝負してきた自分が、まるで子どものように弄ばれて……それは、あまりの屈辱で身を焦がれるような心地だった。


「くっ……」


 だが、筆頭軍師としての立場も責任もある。ケイオスは、イリス連合国を一刻も早く正しい判断に導かなくてはいけなかった。


 そして。


 数秒後、絞り出すように声を吐いた。


「……ご、ゴクナ諸島だ」

「はっ?」

「南に隣接している同盟の島々に。ノクタール国の民が全員避難しているとしたら……」

「そ、そんなバカな! 国民全員を船で運び出すなど、それこそ夢物語だ」

「……実際、そうとしか考えられない」


 もし……そうであれば、イリス連合国には、ノクタール国の兵を捕まえることはできない。


 イリス連合国40万を運ぶような船の備えはないからだ。


「しかし……そんなことをどうやって成し遂げる!?」

「わからない。私には少なくとも想像もできない。ただ……」

「ただ?」

「ノクタール国国王が、少なくともイリス連合国前盟主ビュバリオ王並みの人望を得ていれば……あるいは」


 これは、知略だけでは如何ともし難い。人の性格は十人十色だ。しかし、真なる王のカリスマというのは、それすらも凌駕し、超越し、乗り越えるものだ。


 かつて、弱小国の王が、強大なイリス連合国を成した時のように。


「あるいは……ひっくり返る」

「えっ?」


 ボソッとつぶやいた小さな言葉に、ガリオス将軍が聞き返す。


「本当に……ジオス王が国民を全員ゴクナ諸島に避難させたとすれば、全てがひっくり返る。これほどの偉業ができる王など、大陸を見渡してもいないのだからな」

「……っ」


 むしろ、これは大陸史に、伝説として語り継がれることになる。一方では、戦の最前線に立つ『猛き王』。もう一方では、ノクタール国民全てが忠誠を誓い、他国の侵略に対し毅然とした手が打てる『賢き王』。


 それは、イリス連合国の諸王たちと比べ……あまりにも、対照的コントラストに映る。


 筆頭軍師ケイオスは未だ自身の利益に固執している諸王会議の愚物共ボンクラを呪った。


「す、すぐにイリス連合国に戻るぞ」


 ガリオス将軍は即座に身を翻し馬に乗り、再び号令をかける。


「……間に合わない」


 ケイオスはあきらめたように吐き捨てた。噛みちぎって獲ったと思っていた餌は、猛毒だった。すでに、ノクタール国の最奥まで全速力で来てしまった。


「ヘーゼン=ハイム……」


 恐ろしいほどの策士だ。当然、ケイオスは他の軍師たちにも所見を求めたが、誰もが想像だにしていなかった。


 


「それでも! ダゴゼルガ城に配備していた兵だけでも、クゼアニア国に……」

「……無駄だ。すでにバージスト将軍によって、ゼルアスタン要塞が裏切っている。5万では……突破できない」

「諦めるな! とにかく、戻るんだよ! 戦は何が起こるかわからないものだ!」


 ガリオス将軍が軍師ケイオスにそう怒鳴った時。



































「申し上げます! ジオス王率いるノクタール国軍が、ハドレア城を陥落させました!」

「……っ」


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