奇襲


           *


 クゼアニア国のゼルアスタン要塞に至る直前。先頭を走るジオス王は、突如として進行方向を変更した。


「全軍! 目指すべきは、ヤアロス国の首都ゼルアークだ!」


 高らかに叫ぶと、兵たちは一糸乱れぬ動きで後を追う。事前に伝えていた訳でもない。だが、兵たちには微塵の混乱も動揺も発生しない。


「素晴らしい指揮です」


 ヘーゼンは背後の蹄音を聞きながら、感心したようにつぶやく。


「まったく。急にこんな提言を……肝を冷やした」

「申し訳ありません。直前まで本気で『ゼルアスタン要塞を攻めるのだ』と敵に思い込ませたかったので」


 汗びっしょりのジオス王に対して、首を傾げ笑いかける。


 提言するまでに、ヘーゼンは数百羽もの伝書鳩デシトを受け取っている。状況は刻一刻と変わり、常に最善の判断が移ろっていくものだからだ。


 戦術はタイミングが命だ。分単位での調整とギリギリの見極めを経て下した判断だ。


 しかし、例え、最善手をベストなタイミングで打ったとしても、兵たちがついてこれなければ意味がない。


 時を読み切る指揮に加え、急激な旋回についてこられる馬術練度。そして、先頭をひた走る王の鼓舞による最高の士気。どれか一つでもかければ、これほどの柔軟性を誇る高機動にはならないだろう。


 当然、追っ手の隊も出てくるが、追いつくどころか影さえ踏ませない。半日ほど追跡をしていたみたいだが、やがて、その姿は完全に消え去った。


 そして。


 夜に月が陰り。光が見えぬ森の中にも関わらず、ノクタール国本軍は、ひたすら馬を走らせていた。かれこれ5日ほど移動しているが、就寝を含んだ兵の休息は半日にも満たない。


 更に走らせ続け、日が昇った。ノクタール国本軍は、とうとう目的地に到着した。ヤアロス国のコンバル要塞から十キロほど離れた潜伏地である。


「やっと、着いた」


 さすがのジオス王も疲弊は隠せない様子だ。


「……予定よりも、半日早いです。ここで、休憩を入れます」


 へーゼンは手を挙げて、すぐに野営の準備をさせる。


「見つからないか?」

「当然、警戒はしますが、未だ斥候隊は現れないと見ていいでしょう。それほどに早い進軍でした」


 類を見ないほどの進軍速度で、昼夜問わずに馬を走らせたのだ。おかげで、敵軍の予測をことごとく裏切り、イリス連合国の本軍から派兵された斥候の網にも引っ掛からなかった。


 今頃、敵軍は影も形もないノクタール国軍に警戒をし続けているだろう。


「しかし、戦直前でこれほど長く休憩するとは」

「士気が下がる心配をしておられると思いますが、杞憂でしょう」


 むしろ、頭を冷やして冷静にさせる必要があるとヘーゼンは判断した。ジオス王の鼓舞は、心胆を燃やすほどの熱い豪火だ。たとえ、身体を数刻休ませたとしても消えるほど生ぬるいものではない。


「……諸王会議の様子はどうだろうか?」


 ジオス王がつぶやく。


「アウヌクラス王は、この戦で徹底的にシガー王を虐げてきました。我々もひたすらクゼアニア国だけを攻めてきた。一転してヤアロス国に攻め込めば、イリス連合国の盟主であるシガー王が自己保身のために拒否権を発動する可能性は高い」


 ヘーゼンはこともなげに答えるが、ジオス王は釈然としない表情でつぶやく。


「……一国の王が、そんな醜態を晒すだろうか」

「人ですよ」

「えっ?」

「一国の王は、神でも悪魔でもない。ただの人だ」


 ヘーゼンはこともなげに答える。


 ヤンには戦略面でイリス連合国の調査を任せた。軍の規模、練度、軍備、人材……戦闘関係するありとあらゆる情報を網羅させた。


 一方で、ヘーゼンが調査したのは、キーマンの人間性と人間関係だ。主にイリス連合国の盟主シガー王とナンバー2のアウヌクラス王。そして、諸王の力関係、性格まで徹底的に研究した。


 イリス連合国の盟主シガー王は若く、政治経験も浅い。典型的な親の七光で、短気。アウヌクラス王は、前王ビュバリオに対するコンプレックスを抱えている一方で、陰気で策略家だ。


 諸王は先王ビュバリオからの後追い気質を残し続けている。常に日和見で、積極的な意見などは出さないだろう。


「王という化けの皮を剥げば、人は人でしかない。誰だって身勝手で、我儘。自己保身に走り、そのために他者を貶め、復讐し、快感を覚える。諸王に限らず、そんな面が存在する。あなただって、父王や息子たちを見てきたでしょう?」

「……私もそうなる危険があると言うことだな」


 ジオス王が言うと、馬を降りたヘーゼンが真っ直ぐにその瞳を見て答える。


「忠告しておきます。長く玉座につかれますな」

「……」

「王として過ごす日々は、大量の酒を毎日浴びるように飲むことと同じです。いつかは誰しもが玉座に依存し、執着し、狂うようになる」

「……」

「狂いきる前に……正常な理性と判断ができるうちに、後任を育て、最も信頼できる相手に自身の進退を委ねることを勧めます」

「……私も変わるのかな?」


 ジオス王はボソッとつぶやく。


「変わります。いや、変わらぬ人間などはいない。天上から見る民衆ほど、愚かに映るものはないのだから。そんな光景をずっと見続けて変わらぬ方がどうかしている」

「……」

「と、これは私の見解です。去り行く者のとるに足らぬ具申ですので、記憶の隅にでも留めておいていただけたら」

「……」

「さて、王であるあなたには、果たす役割があります。兵と同じく身体と心を休めさせてください」

「……わかった」


 ジオス王は頷き、テントの中へと入った。


 そして。


 陽が落ち、夜になり。


 ノクタール国の本軍は、月灯かりに照らされた堅固な建物の前にいた。


 





 





















「行くぞ。陽が上がる前に、コンバル要塞を落とす」


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