ノクタール国
*
その夜は、満月だった。数刻前、ジオウルフ城の兵たちが呼び出される。突然の事だったので、誰もが戸惑っていた。
軍勢は、おおよそ3万。
前回以上の戦力が集結し、彼らの誰もが、決戦が始まることを予感した。それから、城郭に現れたのは、ドグマ大将だった。
誰もが心酔するこの老将に、全員の視線が釘付けになる。次に現れたのは、ヘーゼン=ハイムだった。彼らノクタール国の精兵たちにとって、『英雄』としかいいようがない存在だ。
注目が集まる中、ドグマ大将とヘーゼンは、サッと片膝をつき、月明かりが灯っている場所を一点に見つめる。
そこに、1人の男が立った。
若々しく、端正な顔の青年だった。
集まっている兵の大半は、彼のことは見たことがない。激しい訓練と生死を懸けた戦に明け暮れた日々を過ごしていたからだ。
だが。
元帥と大将が臣下の礼を尽くすのは、1人だけ。その事実を察した精兵たちは、ゴクリと息を飲みこんだ。
ヘーゼン=ハイムは、やがて、口を開く。
「ノクタール国の精兵たちよ、聞こえるか?」
「……」
兵たちは黙って頷く。ヘーゼンが彼らの耳に声が届くよう魔杖を使っているのは把握している。大抵のことには動じないほどの訓練を積んだ屈強な精兵たちである。
「これから、戦を始める。これが、イリス連合国との決戦になるだろう」
「……」
「指揮官はドグマ大将でも、元帥の私でもない」
そう言って。
ヘーゼンは月灯りが照らされている青年に視線を馳せた。
「……っ」
全員が息を呑んだ。
「私はノクタール国国王のジオスだ」
「「「……っ」」」
その声を聞いた全員が、呼吸を忘れた。
王が。
ノクタール国で最も尊き存在が、ここに。
ジオス王は静かに兵たちに語りかける。
「今宵、イリス連合国との決戦を始める。私は、先陣を切って敵へと立ち向かう」
「……っ」
その言葉に、誰もが固唾を飲んで沈黙する。
あの血飛沫が舞う戦場に。阿鼻叫喚と怒号が飛び交う戦場に。王が先頭に立つというのか。
「これまで、ノクタール国は絶えず強国の動向を気にし、怯え、恐れながら生きてきた」
「……」
精兵たちは、王の声を、一言も聞き漏らすまいと聞き入っていた。
「だが、それはこの戦いをもって終わらせる。イリス連合国との決戦に勝利し、誰もがノクタール国に誇りを持って過ごせるようにしてみせる」
「……」
ジオス王の言葉は、澄んでいてよく響いた。
ヘーゼンは、原稿を敢えて渡さなかった。
所詮、自分は他所者である。ここは、あらゆる人種が存在する帝国ではない。絶えず侵略の脅威に晒されていたノクタール国国民の魂に響かせるためには、己の言葉でなくてはいけない。
「……」
ドグマ大将もまた、ジッと若き王に見入っていた。それは、まるで長年待ち焦がれていた恋人が現れたかのように。
王に恵まれなかったこの名将にとっては、得難き瞬間だったのだろう。その視線に気づいた老人は、なんとも照れ臭そうに笑った。
「私は大きな力のない王だ。万の敵兵を屠る力も、一日にして城を奪い取るような知略もない」
「……」
「だが、せめて。子のために。親のために。友のために。ノクタール国にいるすべての者のために。勇猛に戦い続け……守り続けた君たちとともに戦わせて欲しい」
「……」
兵たちの心に決して絶えない火がついたことを、ヘーゼンは感じた。すでに、士気は、イリス連合国を遥かに凌駕し、生き絶える直前まで、消えることはないだろう。
ノクタール国の兵たちは望んでいたのだ。
イリス連合国の盟主ビュバリオのような、猛き王を。
だが、今宵より。
この王は、彼すら越える。
ヘーゼンはそう確信した。
ジオス王は、イリス連合国の方角を指差した。
「進むべき道は前しかない。目的を果たすまでは、
「……っ」
「負ければ死。だが、恐るな。生を手にするには、前しかない。私と共に……行こう」
「「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」」」」」」
一気に。
割れんばかりの怒号が地を鳴らす。
「……っ」
それは、ヘーゼンの予測すらも越えるほどの熱量だった。
そして。
若き王は。
月灯りに照らされた状態で命じた。
「出陣だ」
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