遺言
*
「はぁ……はぁ……」
その日、ゲスリッチ=ドーテはベッドの上で息を切らしていた。すでに病に冒され、その身体はガリガリに痩せ細っている。
すでに、魔医からも宣告を受け、今晩が峠だと言われていた。
「あなた……どうか、死なないで」
正室のアミンカが、涙を溜めながらつぶやく。
「……私は……もうダメだよ……わかるんだ」
「そんなこと言わないでください、お父様」
長男のナンドモクチもまた、心配そうに手を握る。
「……」
そんな中、ヘレナ=ダリは後方で忍び、ひたすら沈黙を貫いていた。所詮、自分は新参者の側室。何十年も苦楽を共にしてきた正室アミンカたちのような振る舞いをするわけにはいかない。
一方で、ゲスリッチは息切れをしながら、振り絞るように声を吐く。
「はぁ……はぁ……頼みが……ある」
「な、何ですか?」
「私と……ヘレナを……2人きりにしてくれないか?」
「……っ」
アミンカとナンドモクチは、後方にいるヘレナを睨みつけた。元々、あまり歓迎されていたとは言えない。特にアミンカは、死の間際にまで若い女にうつつを抜かすのかと、怒りと呆れを覚えているだろう。
それでも、アミンカたちはゲスリッチの言葉を聞き入れ、部屋を退出した。すぐさま、ヘレナはベッドに駆け寄って、手をギュッと握る。
この人は、常に優しかった。自分のことを擁護し、何不自由のない生活をさせてくれた。2人ほどではないにしろ、感謝の想いでいっぱいだった。
「はぁ……はぁ……ふふっ……いい天気だ……な」
「……はい」
ゲスリッチもまたフッと笑顔を見せる。瞬間、よく散歩に行った思い出が想起され、涙が出そうになった。
「はぁ……はぁ……す、すまないな。私の身体がもう少し元気であれば」
「何をおっしゃってるんですか。そんなこと、気にしないでください。また……行きましょうよ」
この人も物凄くいい人だった。元夫の親友であるという間柄で、ひょんなことで関係を結ぶことになった。だが、日に日に体調が悪化して、なかなか外に出歩けなくなってしまった。
70歳越えの老人に若い側室。当然、家族の目は厳しかった。正室のアミンカにも、冷淡な対応をされ、肩身が狭かったのは言うまでもない。
実際に、心細かったし、女狐などとメイドから陰口も叩かれ1人部屋で泣いたりもした。
だが、ゲスリッチは違った。前の主人同様、本当にいい人だった。彼は自分のことを一番に考えてくれたし、家族に蔑ろにされていたヘレナをたびたび助けてもくれた。夜には毎晩部屋へと訪れてくれた。
「はぁ……はぁ……ヘレナ」
「……はい」
「ネト=ゴスロという貴族がいる……上級貴族だ。実は、私が死んだ後、『君を正室に』という話が来ている」
!?
「そ、それは一体、どういうーー」
「君の執事であるモズコールから紹介を受けた」
「モッ……」
その名前を聞いて、ゾッとした。モズコール。突如として、
「はぁ……はぁ……あの執事は君のことを……本当に慕っているのだね。私に熱く語りかけてきたよ。『ヘレナ様はまだ若い。ゲスリッチ様の死後に、どうか後見となる貴族を』と」
「……はっ……くっ……」
確信した。
変態の裏に、絶対、
「私も、先は長くない。自分でわかるんだ。だから、ヘレナーー」
「そ、そんなことおっしゃらないでください!」
ヘレナは心の底から叫んだ。
じょ、冗談じゃない。冗談じゃない。
変態が選んだ貴族など、変態に決まっている。いや、
とにかく、変態。
あの日。燃えた、あの時。ヘレナは責めた。攻めたことに、責めた。元夫に対する罪悪感。なんてギルティなことをしてしまったんだと、後から物凄く自分を責めた。
だが、
「し、しかも、ゴスロ家って上級貴族の名門家じゃないですか。そんな所に正室として迎えられるなんて」
「はぁ……はぁ……執事の話だと分家ではあるようだ。当主のブギョーナの遠縁に当たる貴族だというが」
「な、なんで、そんな所にツテが……」
さすがは
当然、世間的に見れば、破格の婚姻譚なのだろう。だが、ヘレナはこんな生活に心底辟易していた。自分はつつがなく、小さな幸せを大切にする日々がいい。平民でもいい。ささやかでも、普通な日々が。
「はぁ……はぁ……これで……マスレーヌは……親友は……こんな私を……許して……ゴホッゴホッ!」
「ゲスリッチ様……逝かないでください! 私を置いたまま、逝かないで……どうか、まだ……逝かないでください……」
心の底から願い、ギュッと手を握る。だが、もはや、ゲスリッチの瞳孔は虚ろで、もう長くはもたないことがわかる。前の主人と同じ……
「はぁ……はぁ……へ……ヘレナ……」
「ぐすっ……はい……」
「縛って……くれないか?」
「……っ」
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