アウラ秘書官(3)


 ガラララララッ……


 車輪の音がやけにうるさい。そう感じるほど、馬車内でアウラは打ちひしがれていた。


「どうでした? エマ=ドネアは」

「……今、私に話しかけるな」

「す、すいません」


 副官のレイラクの問いを、苛立たしげに、雑に封じる。エマの下書きには、それだけパンチの籠った感情が読み取れた。


 内容としては、半ページ満たない。だが、手渡された下書きが全部で200枚越え。同じ内容で細かなニュアンスを変えて数十枚。洋皮紙の種類が違っていたものが数十枚。字体が気に入らなかったのか、同文のものが数十枚……etc


 誰が見ても全く同じ下書きが数十枚。


 日付も10日ほどに渡っており、出すか出さないかもかなり悩んでいたようだ。


 どんなバカでもわかる。間違いなく、エマ=ドネアはヘーゼン=ハイムに想いを寄せている。しかも、こじらせ方が非常にヤバい。


 ヘーゼンが苦境に立たされた場合、エマはヤツのために何でもやるだろう。それくらいの強い……と言うか異常な想いを感じた。


「はぁ……」


 厄介なのは、本人が、そこまでの自覚もないのだ。


 名門の箱入りお嬢様にありがちと言えばありがちだ。純粋培養で育ってきたので、恋愛のアレコレを経験していない。なので、自分の精神状態がどれほど不安定かも自覚できないでいるのだろう。


 ヘーゼン=ハイムからの指示を差し止めておけば問題ないと思っていたが、アテが外れた。彼女ならば、自発的に躊躇なくヤツを助けにかかるはずだ。


「ふぅ……すまない。少し情報を整理していた」


 アウラは小さくため息をついて、副官のレイラクの方に視線を合わせる。


「ドネア家を通じた皇帝陛下への直訴。なんとか防ぎたかったが、無理だな。同盟を正式に決裂すれば、こちらの報告よりも早く伝わる」


 必要な段取りを行なって、エヴィルダース皇太子が報告するまでに、ドネア家を通じて皇帝に知られることになるだろう。


 必然的に、こちらの陣営は苦境に立たされる。


「エヴィルダース皇太子殿下には報告しますか?」

「いや。しても、意味がない」


 アウラはそう言い切る。まず、解決策を示してくれるような長ではない。それに、努力の過程などは一切の考慮を入れず、結果のみを求めるような性格だ。


 それならば、独力で動いて解決した方が早い。


「……レイラク」

「はい」

「腕利きを数人連れてヘーゼン=ハイムのところへ向かえ」

「し、支援なさるんですか?」

「非公式にだ。闇で動かせるだけ、物資も持っていけ」


 アウラは物事の知見以上に、感覚を大事にする。現場で実際にノクタール国を……ヘーゼン=ハイムを見て、勝ちそうな雰囲気を感じ取った。


 当然、賭けにはなる。敗北すれば、私財も優秀な部下も……何よりもこれまで築いてきたエヴィルダース皇太子に対する信頼を失う。


 だが、勝てばより強固な信頼を勝ち得ることができる。


「私にはとても信じられませんが」

「博打だよ。厳しい選択を、2者択一で迫られた場合、最後は感覚だ」


 アウラはそう断言する。人は信じたいものを信じる。それは、自分にも当てはまっている。人生を賭ける選択をする時に、選びたくない道に進んで後悔するのは御免だ。


「……逃げるという選択はされないのですね」

「そう言う者は、いざと言う時に当てにされない」


 地位を上げるためだけに仕事をするのならば、リスクを避け続ける人生もありだろう。しかし、そんなヤツらを吐き捨てるほど見てきたアウラには、『自分はそうなりたくない』という自尊心にも駆られる。


 アウラは己のスタンスを大事にしている。地位を上げる目的は、やりがいのあるでかい仕事がしたいからだ。逆に言えば、地位に執着して楽な生き方をする気もない。


「……」


 より柔軟な上官であれば、別の選択もあり得ただろうが。


「……エヴィルダース皇太子に仕えるのも辛いものですね」

「言うな。全部承知の上だ」


 いくら理想的な上司に巡り逢えても、権力がなければ大きな仕事はできない。求めているのは、人格ではない。帝国を牛耳る力があるかどうかだ。


 長い帝国将官人生の中で、その選択が吉と出るのか凶と出るのか。


「しょせん、人生など博打だろう」


 普段から几帳面に物事を考えるアウラはそう笑う。計算だけでは運べないものがある。それが自身の経験則でわかっているからだ。


 その時、ヘーゼン=ハイムの強烈なインパクトが脳裏によぎる。


「クク……あり得ないな」


 一時的に道は交わっても、共に歩く道は想像できない。たとえ、ヘーゼンがこの件で異例の功績を上げても、ヤツが帝国のメインストリームに躍り出ることはない。


 超名門のドネア家ですら、皇帝が変われば追いやられるのだ。


 今後、帝国の舵を切っていくのはエヴィルダース皇太子を支える自分たちになる。そう確信しているからこそ、今の苦難に耐え乗り越えることができる。


「……」


 その時。


『私の言葉を覚えておいてください。いずれ、あなたの前に、皇帝に足る器を持つ者が現れるでしょうから』


 かつてヘーゼンが言い放った言葉が脳裏によぎる。


「……クク。あり得ない」


 アウラは、自信を持って笑った。

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