末路



 開始の狼煙が上がった。ヘーゼンは、右腕の魔杖『浮羽ふうう』を掲げて遥か上空へ跳躍する。これは、自身の体重をゼロにする魔杖である。そのため、蹴り上げた方向に浮遊することができる。


 そして。


 左手に持った円形の魔杖を投げる。


火竜咆哮かりゅうのほうこう


 それは、まるで竜が放ったブレスのようだった。前方を撫でるように横列に炎が巻き起こる。


 火がついた兵たちは狂ったように踊り出す。


 へーゼンは意図的に威力を弱め、可能な限り範囲を広げた。その円輪は、軍から軍を渡って数キロほどの炎柱を発生させる。


 目的は2つ。


 1つは、より多くの者に怪我をさせるため。もう1つは、より多くの者の恐怖心を揺り動かすため。


 軍を恐慌状態に陥らせる。


 狙いは軍長ではなく、前方の兵士たち。魔法使いでもない彼らは、運が良ければ避け、運が悪ければ炎が乗り移る。


 炎の円輪は不規則に飛んでいく。前方後方斜め上空地面すれすれ。波のように揺れながら誰に命中するかもしれないそれは、兵士たちの恐怖を揺り動かす。


 恐怖とは、まだ起こらぬ未来にこそ想起されるものだ。そして、より身近なものにこそ強く刻まれるものだ。


 結果として。


「……ぎゃああああああああ!」「熱い熱い!」「こっちに来るなー!」「助けて助けてー!」「なんで俺だけ! なんで俺だけ!」「水! 水水水水水ー!」「落ち着け! 敵の思う壺だ!」「うるせー! 熱い熱い熱い熱い! なんとかしてくれ」「誰か助けてくれー!」「炎が! 炎がこっちにくるー!」「おい、お前なんで俺を盾にする! ふざけんな」


 兵たちは、隣の炎が燃え移り、助けを求め、巻き添えにしようとし、泣き叫び、絶望し、怒り、取り乱し、祈り、家族の名を叫ぶ者たちで溢れ、ひどい混乱をきたした。


 そんな中。


「突撃いいいいいいい!」


 一方で、ジミッド中将が号令をかけ、最も被害の多い敵軍に突っ込んで行く。彼の突撃から、軍の精兵たちが次々と攻め込んで行く。


「さすが、脳筋は鼻が効く」


 上空で、へーゼンは感心したようにつぶやく。誰しもが、大軍の中に突っ込むのは躊躇する。しかし、その恐怖の先にこそ勝利があることを、歴戦の勇士はわかっている。


 一方で。ドグマ大将の軍は、左翼へと向かう。そこは、最も被害の少ない場所。ノクタール国の守護神は、さすが要所を押さえている。


 帝国将官のギボルグは、未だ様子を伺って動き出さない。慎重なのか臆病なのかは微妙なところだ。ここで動かないのが、吉とでるか凶とでるかはわからない。ただ、その魔法使いとしての資質は気に入った。この戦で開花してくれればと思うが。


 軍の全容を見渡すと、明らかに劣勢な箇所はない。火竜咆哮かりゅうのほうこうが止められることも懸念したが、まだ向こう側が対応できていないらしい。


 この間、0.1秒。へーゼンは火竜咆哮かりゅうのほうこうを手放し、左手の鎖についていた小さなレンズのようなものをかざす。望遠ぼうえんという魔杖で、遠距離のものを見通すことができる。


 へーゼンの視界に飛び込んだ映像が脳内で光速に巡り巡る。グルグルグルグル。そして、10万を超える眼前の敵から、最も効果的な獲物を弾き出す。


 導き出した先は。


 炎に逃げ惑う兵士たちに気を取られているノロマな軍長。それは、油断というほどでもないのだろう。へーゼンの存在に集中せずに、隊列の立て直しに終始している。


 しかし、その一瞬をへーゼンは見逃さない。百聞は一見に如かず。自身の想像の範疇でしか敵を認識できなかった者の末路。


 ヘーゼンは左手を前にし、魔杖を持ち。


 まるで、なにかを射るかのように構える。


光白燕雨こうびゃくえんう


 唱えた瞬間、一斉に光の矢が弾け飛ぶ。


 数百以上のそれは、すべて不規則で、高速に飛翔する。


 結果として。


 その無情なる射撃は、名もなき軍長の身体に全てを突き刺した。































「軍長はあと、14人」



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