相続権
*
ヘレナ=ダリ。33歳。遡ること数年前、彼女は、帝国の首都で中央ギルドの窓口を行なう一方、裏で奴隷ギルドへの斡旋業を営んでいた。都会を夢見るバカな田舎者に、『いい仕事がある』と持ちかけて、裏稼業の者たちに囲んで捕獲させる簡単なオシゴト。
中央ギルドは帝国に点在する各ギルドの統括本部である。
人材の適正を見極め、魔法、戦士、冒険者、鍛治、交易など、様々なギルドに配属している。そこには、一般人の窓口も存在し、コネもツテもない者にとっては、ここでの申請は避けては通れない。
受付窓口のお局として15年。今年、30歳を越えたベテランにとって、世間知らずの
斡旋料で得た金は、歓楽街の男遊びに消えた。罪悪感などは、まったくなかった。シャンパンタワーで、若いホストを喜ばせ、何とか一夜を過ごしたいと必死に貢いだ。
振り返れば、あの頃が幸福絶好調だった。
徹夜明けで二日酔いの朝、ヘーゼン=ハイムが中央ギルドに訪ねてきた。黒髪の青年。肌が若々しく20歳は越えていない。端正な顔立ちで長身だが、華奢な身体だ。ヘレナの性的視線の対象だったが、いかんせん頭がガンガンしてそれどころじゃなかった。加えて、帝国籍もない。魔法も使えない。典型的なゴミだ。
敵意と侮蔑をもって、吐き捨てた。『お前はこの中央ギルドにはふさわしくない』と門前払いした。
「君じゃ話にならないから、わかる人呼んでくれないか?」と言われた。
チェンジ。
中央ギルド勤務15年目のベテランがチェンジされた。
当然、10倍返しで罵倒した。当然だ。ヘレナは、中央ギルドの裏権力を握るお局の
結果、100倍返しで論破された。
「15年以上働いてその程度なら、才能が足りないんだろう。まあ、転職しろとまでは言わないが、少なくともそんな尊大な態度で人に接しない方がいいな。人を見る目で飯を食っておいて、人の見る目がないなんて、役立たずの寄生虫並の価値しかないのだから」
あんな酷い言葉を、未だかつて、投げつけられたことがなかった。
未だに忘れられない。
ただ、決めた。こいつだけは絶対にどのギルドにも斡旋しない。魂に誓って、職を辞したとしても、絶対に。それどころか、本部から通達を出して、どのギルドにも永遠に所属させないよう全力で働きかけようと決めた。
加えて。
「キイイイイイイイイイイっ!」
ヘレナは、逆上して殴りかかった。
バキッ!
瞬時に反撃して殴られた。思いきり、躊躇なく、問答無用にぶん殴られた。
未だに、あの時の痛みは忘れない。ジンジンと腫れている左頬を抑えた。やがて、内腔の痛みがピリッと襲ってくる。唇を手のひらで押さえると、血が滲んでいる。
静まり返る場内。
「な、なんてことを! 女性に対して手を挙げるなんて」
駆け寄ってきた別の男性職員が投げかけた言葉。
「正当防衛だよ。刃向かってくる者には、容赦はしない。僕は男女平等を唱えながら、過剰に女性を擁護するようなエセ人権論者じゃない。男だろうと女だろうと、敵は問答無用で排除する」
「……っ」
なんて◯カれた男だと思った。
「……えぐっ、えぐっ、ええええええええええええええ、えええええええええええええええええええええ」
ヘレナは泣いた。ここぞとばかりに泣きまくり、女の武器をフル活用した。
「はぁ……君は泣けば自分が被害者だと思ってるのか? それとも、弱者のような立ち位置でいれば、誰かが手を差し伸べてくれるとでも? 人に危害を加えようとする者が、人に危害を加えられる覚悟もないのか?」
「ええええええええええええええん! ええええええええええええええええええええええええええええええええんん!」
だが、ヘーゼンは泣きじゃくる彼女に対し、謝罪するどころか、追求を緩めるどころか、容赦なく突き詰してきた。加害者が反撃を受けて被害者面をする様を、この男はまるで、毛頭、さらさら許す気はなかった。
絶対に許さない……ヘレナは魂レベルでそう刻み込んだ。
すぐに早退して奴隷ギルドを派遣して、ヘーゼン=ハイムを捕獲しようとした。魔法が使えない。戦闘能力もなさそうな無能。取り囲んで、ボコボコにして、土下座させて、飼い犬にして、人権を完全に蹂躙してやる。
経緯は省略するが、ヘレナは奴隷にさせられた。
弱みを完全に握られ、住居を取られ、戸籍問題が浮上したので、強引に養子縁組さ
せられた。
ヘーゼンがテナ学院にいる間も、常に搾取され続けられた。中央ギルドで働きつつ、給料の70%を毎月徴収され、学院の行事では毎回強制参加させられ、溺愛し合うバカ親子の演技をさせられた。卒業式では、「大陸で一番愛している義母へ」という答辞を読まれ、せぐりくる恐怖で涙が出てきた(周囲は感動の涙だと勘違い)。
だが、やっと、卒業してくれたと思った。
これで、あの男の支配からも解放されると思った。
だが、卒業後にヘーゼンはやってきた。
恋人と強制的に別れさせられ、完全なる戦略上の目的で、ヘーゼンの所有しているクラド領の隣にあるモナゴ地区の領主マスレーヌ=ギスカ(70歳)と強引に婚姻させられた。
ああ……自分は、生涯をともにする伴侶すら選べないのか、と絶望した。
だが、マスレーヌは優しかった。常に自分を気にかけてくれて……まるで太陽のような暖かさで自分を包み込んでくれた。
一緒に時間を過ごす内に……
こんな愛もあるんだ、とヘレナは心からの幸せを感じていた。
*
そして、現在。ヘレナは思わず言葉を失った。演技はいい? 演技じゃない。本当に哀しいのだ。マスレーヌはこんな自分に安らぎをくれた。こんな自分なんかに。だから、献身的に介護もしたし、自分にできることの精一杯を捧げた。
こんなに、あったかい気持ちになったのは、初めてだった。
それだけは、なんとか、伝えたい。
「あの……誤解されてると思いますが、本当に悲しいんです」
「悲しむ権利なんか、ないよ」
「……っ」
シンプルに、酷い。
満面な笑みで、なんてことを言うのだろうか。こんな悪魔の母親に成り下がってしまったことを、ヘレナは心の底から後悔した。
「い、いえ。権利とかじゃなくて、感情の問題なんです。本当によくしてもらって、本当に悲しくてーー」
「嘘つけ」
「……っ」
シンプルに、酷すぎる。
「義母さんは、完全に財産目当ての後妻なんだから。それに、裏ではゲス不倫に勤しんでいただろう?」
「くっ……」
そうだけど。
それは、強制的に後妻にさせられたから。だから、前の恋人と不倫という手段を取らざるを得なかっただけで。
だから、断じてゲス不倫じゃない。そっちも、純愛だ。
「違う」
「……っ」
頼むから、心を読まないで欲しい。
「まあ、一応、気づいたお局メイドに釘は刺しておいた。義母さんの演技がよくて大勢のメイドが騙せたことが功を奏した」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながらも、ヘレナは頭を下げる。
「さすがは、裏で奴隷ギルドを営んでいるにも関わらず、堂々と太陽の下を闊歩していただけのことはある。その厚顔無恥さは脅威に値する」
「くっ……」
そうだけど。
「それで、今後の展開だが――」
「財産を接収なさるんですよね?」
わかっている。元々、そう言う話なのだ。自分が後妻として嫁ぎ、息子であるヘーゼンに資産を譲渡する。ヘレナはお金が大好きだ。この優雅な生活も正直、気に入っていたので、抵抗感がないわけではない。
しかし、逆らうことができないことは、わかりきっている。
「いや。財産は接収しない」
「えっ?」
「義母さん名義で、マスレーヌの土地と財産を継いでもらう」
「い、いいんですか?」
「ああ。あなたには、一人の貴族として独立してもらおうかと考えている」
この答えは意外だった。その瞬間にすべてを奪われて、次はなにをさせられるだろうとビクビクしていたのに。
「と言うことは、これまで通り生活をしてもいいのでしょうか?」
「ああ。貴族の未亡人として、当分は振る舞ってくれ」
「あ、ありがとうございます!」
ヘレナは深々とお辞儀をした。マスレーヌが逝ってしまって寂しいが、この生活は続けられる。そのことは予想していなかったので、素直に嬉しい。いや、むしろ主人亡き今、不倫中の恋人(元奴隷ギルド幹部)とも気兼ねなく会うことができる。
「……だいたい顔に書いてあるが、密会は極秘で頼むぞ。公然と屋敷に連れ込んだりしたら、不埒な女だと思われる。まあ、事実だが、僕の
「わ、わかってます」
癪には障るが、それぐらいは幾らでも我慢できた。むしろ、コソコソ会うことでドキドキ感が増すので、いい刺激になるかもしれない。今までは、むしろ罪悪感の方が強くて心の底からは楽しめなかった。
「あの、本当にありがと――」
「次は財産を持て余した悲しき未亡人として、他の貴族と結婚しろ」
「……っ」
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