悲しみ


           *


 帝国ゼルクサン領クラド地区の隣にあるモナゴ地区。つい、先日70歳になったばかりのマスレーヌ=ギスカは、ベッドに横たわっていた。


「ヘレナ……ヘレナ……」

「はい。ここにおります」


 ギュッと手のひらを握り返して。女性は、潤んだ瞳で老人を見る。


「ありがとう。君のお陰で……最後にいい人生が送れた」

「そんなこと言わないでください。まだまだ、お元気でいてください。あなたがいないと……私……」

「いいかい? 君は……まだ、若い……別の伴侶を見つけ――」

「いいえ。いいえ。私にはあなたしかいません。どうか、どうか……」


 ヘレナは首を振りながら、何度も何度もそうつぶやく。


「……あり……がと……」

「マスレーヌ様!? マス……レーヌ様ぁ」


 老人の命が、事切れた。


「……ううううっ。うううううううううううう。ひぅうううううううううううううううううう」

「ヘレナ様……」


 覆い被さって泣いているところを、執事の女性が慰める。しかし、ヘレナは首を振って、拒絶する。執事は仕方なく、部屋を後にした。それから、控え室に入って大きくため息をつく。


「お可愛そうなヘレナ様」

「これから、お一人でどうなさるんでしょう」

「未亡人の身でありながらモナゴ地区を治めないといけないなんて」


 執事たちは、口々につぶやく。そんな中、執事の中で小太りなお局が鼻を鳴らす。


「あんたたち。頭、大丈夫? 泣いたフリをしながら笑っているに決まっているじゃない。子どももいないマスレーヌ様の土地も財産もすべて相続するのよ?」

「そんな言い方。あれだけ献身的にマスレーヌ様に尽くしていらっしゃったのに。きっと、深く愛してるに違いないわ」


 若い執事がそう反論するが、小太りの女執事は嘲ったように吐き捨てる。


「そんなのポーズに決まっているじゃない。たかが、数ヶ月看病したくらいで、莫大な金が手に入るなら、そりゃ献身的に看病するだろうよ」

「君はクビだな」

「えっ?」


 振り返ると、ドアに黒髪の魔法使いがもたれかかっていた。


「だ、誰よあんた!?」

「はぁ……本当に質の悪い執事メイドだ。主人である義母かあさんの息子の存在すら知らないなんて。ヘーゼン=ハイムです。どうぞ、よろしく」

「……あぐっ……あぐぅ」


 小太りの女性は思わず口をパクパクする。


「礼儀知らず。無知。浅はかで、性格まで悪い。マスレーヌ様は非常に善良な方で、君たち執事メイドにも優しかったはずだ。そんな彼に死が訪れた時に、出て来た言葉が下世話な悪口か?」

「はぐっ……も、も、も申し訳――」

「謝る必要はない。すぐに荷物をまとめて故郷に帰りなさい」


 ヘーゼンは冷徹な表情で吐き捨てた。


「そ、そんな! 私は身よりもなく、他に行く当てもございません」

「だったら、さっさとのたれ死ぬんだな」

「ひぐっ……そんな……何卒ご慈悲を……ご慈悲ぉ……」

「……」


 数秒経ち。ヘーゼンは小さくため息をついた。


「葬式の準備も大変だろうから、今回だけは大目に見る。しかし、今後、私の義母かあさんを貶めてみろ。その時は、問答無用でクビだ」

「は、は、は、はいいぃ! ありがとうございます! ありがとうございます!」

「みんなも、わかったか?」

「は、はい!」


 その場にいた執事たちも立ち上がって返事をする。


「よろしい。では、義母さんは僕に任せて、葬式の準備をしてくれ」

「は、はい!」


 控え室を後にしたヘーゼンは、その足でマスレーヌが眠っている部屋へと向かう。


 コンコンコン。


 控えめにノックをするが、返事はない。


「義母さん? 入るよ」


 柔らかな声で、ヘーゼンは部屋の中へと入る。そこには、未だヘレナが眠っている遺体に覆い被さって震えていた。


「義母さん」

「……こんな、私にもマスレーヌさまは優しくしてくださいました」

「……」

「こんな…‥私にも」

「……」

「……っ、うううっ、うううううっ」

「義母さん」


 ヘーゼンはソッと彼女の肩に手をおく。


 




























「もう演技はいい。よくやった」

「……っ」

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