帰郷
「……なんだ? あの膨大な資料は?」
モルドドが声を震わせながら尋ねる。自室に戻ると、ほとんどが書類に埋め尽くされていた。唖然とすると同時に、だがしかし、確認しない訳にもいかず、嫌々この場所に足を運ぶ羽目になった。
「過去の資料とこれからの資料。あと、参考文献を一式手配しておきました。引き継ぎの時間がありませんでしたが、あなたならなんとかやれるでしょう?」
ヘーゼンは平然と答えた。
「ふ、ふざけるなよ。読むだけで何年かかると思っているんだ?」
「3日で読んでください」
「できるか!?」
信じられない表情を浮かべながら、モルドドは頭を抱える。
「まったく……やっと、ぐっすり眠れると思ったのに」
「そんな暇はないと思いますけどね。この後のドクトリン領は大変ですよ? あなたは『私のやることはない』と言ったが、課題は山積みです」
「くっ……ま、まあ、それでも。君がいないというストレスフリーな状態が続くのは嬉しい限りだな」
「そこまでハッキリ言われると傷つきますね」
「嘘つけ。君の鋼のような心臓に、一ミリも響いて居ないことは、私がよくわかっている」
「……」
「……ふっ」
「ククク……」
ヘーゼンとモルドドは互いに吹き出して笑った。
「元気でな。もう一生会いたくない。部下として君の下で働くのは骨が折れそうだ」
「せいぜい上に
「ぬかせ」
「ザッと見たところ、クレリック領主代行を支えられるのは、あなたとガスナッド次期長官くらいでしょう? 必死に盛り立てれば、この領はますます伸びますよ」
「わかっている。お土産に、山のような資料ももらったしな」
「ゲスノヒト後方支援官は、仕事はできますから。せいぜい、酷使してあげてください」
「それも、わかっている」
「では、もう引き継ぎ事項は必要ないですね」
「……気をつけろ」
モルドドは真面目な表情を浮かべ、囁く。
「なにがですか?」
「君は目立ちすぎた。北方カリナ地区で武官として功績をあげ、中尉格に昇格。その後、文官に配属され、一気に上級内政官に2階級昇格だ。ハッキリ言って例がない」
「……」
「中央――天空宮殿では、ちょっとした騒ぎになっているぞ。『ヘーゼン=ハイムとは何者だ?』と」
「……」
その流れ自体はヘーゼンも予測していた。最短での出世を求めていけば、どうしても目立つ。
「仕方ありません。遅かれ早かれです」
「そろそろ、どこかの派閥が君に目をつけても不思議ではない」
「……面倒ですね」
ヘーゼンは思いきり深くため息をつく。集団で群れるのは苦手だ。派閥という非生産性の高い集団には極力属したくはないのだが。
「君の性格上はそうだろうが、早く属しておいた方がいい。でなければ、想像もし得ないところに飛ばされるぞ?」
「……無難なところでいけば、エヴィルダース皇太子の派閥ですか」
現在、皇位継承権第1位の存在だ。帝国の中枢を担っており、半分ほどの勢力を手中に収めている。
「まあ、安パイだろうな」
「私は、まだ
真鍮の儀式は次期皇太子を決定するための儀式である。5年に1度執り行われ、皇位継承候補者の魔力を測定し、皇太子を『星読み』と呼ばれる祭司たちが決定する。唯一魔力のみを測定するのは、判断基準の中で潜在魔力の量が最も大きく左右されるからである。
「君は野望が深いのだろう? エヴィルダース皇太子の派閥に取り入って、その地位を盤石にすれば、帝国で要職に就くことも可能だ」
「そこまで推すと言うことは、モルドド上級内政官もですか?」
「ふっ……私もクレリック次期領主代行も出世のメインストリームから外れた左遷組だよ。中央では領主のノリョーモ様が、なんとかエヴィルダース皇太子の派閥に取り入ろうとしていたかな」
「……くだらないですね」
ヘーゼンは、心の底から吐き捨てた。2人とも能力的には申し分ない。たとえ中央で働くことになっても、相当に有能な部類だ。それなのに、あの汚職領主の方が近い位置にいたなんて。
「だからこそ、君には頑張って欲しい。ガチガチの中央の体制に一石を投じて欲しいんだ」
「……」
よほど辛酸をなめた想いをしているのだろう。モルドドの言葉には熱があった。しかし、ヘーゼンは明確に首を振った。
「いえ。お断りします」
「……なぜだ?」
「今、後発で派閥に入ったとしてもたかが知れています。それよりも、今は力を蓄えたい。中央よりも、むしろ地方で」
「そんなに上手くいくか。閑職に就かされて、日の当たらぬ日々を送るのがオチだ」
「どこにいたとしても私は私です。昔も、そうやって生きてきたし、今も、そうやって生きてます。そして、
「……はぁ」
モルドドは大きく息をつく。
「すいませんね。せっかくの助言を」
「いや、いい。君らしいと言えば君らしい」
「
その時。外から、ヤンの声が聞こえる。
「では、行きます」
ヘーゼンは手を差し出した。
「……ああ」
モルドドもまた、その手をギュッと握った。
ヘーゼンは、振り返りもせずに颯爽と城を出て、馬車へと乗り込んだ。
少しヤンとの喧噪が始まり。
やがて、その音は地平線へと消えた。
文官編 END
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