その日


 ドクトリン領での業務、最終日。引き継ぎも一通り終えて、ヘーゼンは自身の机で、相変わらず書類を作成していた。


「……ったく。なんで、私がいつも片付け役なんですか?」


 ブツブツと。ヤンが不満をつぶやきながら引っ越しの準備に勤しむ。


「言っただろう? 力仕事は、カク・ズ。雑用はヤン」

「言ったかもしれませんが、了承した覚えはないです」

「断る権利なんて、君にはないから言うだけで十分なのだよ」

「……っ」


 なんたる言い草。思わず、ヤンはガビーンとする。


「よし。これで、僕のやることは終わった」


 推薦文を書き終わり、ヘーゼンは大きく伸びをする。中級内政秘書官のジルモンドを2階級特進。下級内政官のビターン、ダズロ、コラドバを1階級昇進。この数ヶ月間で異例の出世といえるだろう。


 ジルモンド以外はハッキリ言って物足りなかったが、まあ、使えなければ淘汰されるだろうと割り切る。


「にしても、最終日なのに寂しいものですね。前は結構惜しんでくれたのに」

「まあ、上官なんて嫌われるものだ」

「……すーが、圧倒的に恐いだけだと思いますけどね」


 もちろん、上官には嫌われてると思いますけど、とヤンはつぶやく。


 そんな中。ジルモンドが部屋へと入ってきた。


「ヘーゼン内政官! なんで、私が中央なんですか!? 私も連れて行ってください!」

「……はぁ」


 いた。1人だけ、恐怖をものともせずに、ついてこようとする狂信者が。ヘーゼンが困ったようにため息をつく。


「できるわけないだろう? 君は帝国将官なんだから、辞令には従いなさい」

「なら、やめます! どうか、私を私設秘書官として雇ってください」

「すまないが、私設秘書官はもう空きがないんだ」

「……っ」


 ジルモンドは、かなりショックを受けているようだった。


「……その、君の能力を買っていない訳ではない。モズコール秘書官は少し……特殊な能力があるので、雇っているだけだ」

「……」


 特殊な性癖枠だと知ったら、もっとショックを受けるだろうなと、密かにヤンは思う。


「言っておくが、中央における君の役割は大きいぞ。クレリック領主代行の優秀な秘書官よりも、僕は君を推した。君ならやってくれると見込んでだ」

「……はっ、はい!」

「成果を出し続けていれば、いつか交わる道もあるだろう。その時には、頼りにさせてもらう」

「もちろんです!」


 一通り言いくるめた結果。ジルモンドは意気揚々と去って行った。


「ふぅ……疲れるな」

「慕われるの、慣れてませんもんね」

「……その嫌みな性格、なんとかした方がいいぞ」

すーに言われた!?」


 もはや、死んで転生するしかないと、ヤンは思った。


「ところで、本当に十倍も返すんですか?」


 ドクトリン領で得た金は莫大だ。緊急の食料難の対応で領から踏んだくった金。そして、ビガーヌルから搾り取ったお金で、ヘーゼンの財産は上級貴族の中でも相当な額になっていた。


 その中から、商人のナンダル、クミン族女王のバーシア、北方カリナ地区の軍人たちが出してくれた金を十倍返しで返金する。


 そうすると、手元に残る金が元金の倍額ほどになる。万々歳と言えばその通りだ。だが、自領の経営もあるので、ヤンとしては、もう少しは残しておきたいところだ。しかし、ヘーゼンは首を横に振る。


「余ってる金を持っている必要はない。今回の成功は、彼らのお陰だ。10倍相当の対価を渡すのは、当然だ」

「うー……でも、多分、5倍も10倍もそんなに変わりませんよ?」


 ヤンの指摘はもっともだ。破格のリターンであることは、5倍も10倍も変わりがない。なので、対価として受ける『嬉しさ』も変わりがないと言いたいのだろう。元商人のヤンらしい言い分だ。


 しかし、ヘーゼンは首を振る。


「味方が強くなることが必要だ。それには、自領が太るだけでは足らない」


 特にナンダルには、販路をどんどん拡大してもらわなくてはいけない。今後、損になる投資の依頼もしないといけない。商売敵を駆逐して行って、豪商の座まで登りつめてもらわないといけない。


 損得を越えたお抱え商人の間柄。


 それが、ヘーゼンの望む物だ。


「……急ぎすぎると、過労死しますよ、すーはともかく、ナンダルさんが」

「彼は、太く短く生きたいタイプだろう? 君との違いだな」


 ヤンはどちらかというと堅実派だ。確実な投資に、確実なリターンを望む。ナンダルは後者だ。自身の財を全部つぎ込んで投資したことで確信した。


 そして、それはヘーゼンと相性がいいのである。


「……刹那的に生きれば破滅が近づきますよ?」

「ヤン。僕の心を覗こうとするのはやめろ。どうせ、わかりはしない」


 ヘーゼンはヤンの澄んだ瞳を真っ向から見る。


 そう。


 わかりはしない。


 理解されることもない。


「あー、もう……くっそう」


 ヤンは悔しげに片付けを再開した時。


 モルドドが部屋の中に入ってきた。

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