本能

 




          *


 話は数時間前に遡る。


 暗い牢獄にいるダゴルの前に、ヘーゼンがやってきた。ダゴルは檻に張り付いて、野獣のように涎を垂らしながら手を伸ばす。


「は、早く……早くよこせ!」

「僅差ですが、ビガーヌル領主代行が勝利しました」

「そんな……嘘だ……嘘だ……嘘……うそ……うそー――――――――――――――――――――!?」

「現実とは厳しいものですね」


 淡々と答えて、明細を差し出す。


「はぁあああ……あああああ……ああああああああああああ……ううっ……ううううっ……ふぐっ……う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛っ」


 ダゴルは這うようにそれを見て、やがて、崩れ落ちてさめざめと泣き始めた。


「助かりたいですか?」

「う゛う゛う゛っ……ふざけるな! 貴様がっ……貴様がっ……私はすべてを賭けたのに……すべてを……」

「助かる方法が1つだけありますよ」

「聞かん! もう、貴様の話はなにも」


 ダゴルは耳を塞いでうずくまる。


 ヘーゼンはため息をついて、もう一枚の紙を地面に落とす。


「契約内容です。合意するならば、サインしてください」

「……」


 目をつぶりながらも、耳だけは傾けているのがわかる。当然だ。助かる唯一の方法を、希望を示されて、『聞かない』ことなどできはしない。


 ――それに。


「復讐したいのでしょう?」

「……っ」

「このままだったら、あなたはビガーヌルの玩具おもちゃです。あの悪趣味のサディストのことだ。殺しもせず、一生この牢獄で、悪戯いたぶられ続けるのでしょうね」

「う、うるさい!」

「私の提案は、外聞的にはあなたの尊厳と地位と財産を取り戻させてやれるものです」

「が、外聞的には……」


 やっと、ダゴルが目を開き、地面に置かれた契約書をチラ見する。


「当然、無料でそんなことを許すほど、私は慈善家じゃない。当然、あなたに不利な内容も存在する」

「な、なんだそれは?」

「奴隷」

「……っ」


 ダゴルはゴクリと生唾を飲む。


「これから、死ぬまで。永劫。私の言うことを聞き続ける。一切の否定すら許さない。そうすれば、ダゴル。あなたを領主代行にしてあげますよ」

「……」

「どちらを選ぶかは、任せます。契約魔法は自らの意志がないと合意できない」

「し、しかし……すでに、ビガーヌルの弱みは、ヤツの手に渡っている」

「取り戻しますよ」


 ヘーゼンはこともなげに堪える。


「バカな! ヤツの手に渡ったのなら、当然、焼却するに決まっている」


 ダゴルは鼻で笑った。


「しませんよ」

「そんな訳ない。そのために、ヤツはすべてを懸けて手に入れたのに」

「あなたや、私が目の前にいたら、そうするでしょうね」

「……」

「あなただったらどうですか? せっかく手に入れた戦利品だ。もし、あなたが手に入れた時。絶望に泣きむせぶ彼に、見せびらかしたくはないのですか?」

「……」

 

 しばし、静寂が訪れた。しかし、ヘーゼンにはわかる。沈黙が意味するものは、肯定であるということを。


 復讐とは、快楽だ。


 そして、人間とは、この純然たる甘い感情から逃れるのが、非常に困難だ。


「……ヤツはそんなに短絡的では」

「平常時ならば、そうなのでしょうね。ビガーヌル領主代行はリスクを極端に恐れ、排除する性格だ。理性で欲求を押さえ込む可能性も大いにありうる。しかし、逆説的に言えば、リスクを負ってしまった時の対応は、とことん弱い」

「……」


 今回、ヘーゼンはとことんビガーヌルを追いやった。実際、簡単に壊れた。リスクを背負えば背負うほど、短絡的で、愚かで、脆弱を晒した。


「だから、誰かにやらせようとしたんです。リスクを背負わないように必死に逃げて、あなたにやらせようとしたんです」

「……」

「そんなリスクの渦中にいる中、冷静な行動を取れますかね? ここ数日間。一睡もせずに、異常なプレッシャーを浴び続けながら、あなたと熾烈な競争をした後、しばし訪れた静寂と安堵の中。この1時間足らずの短い時間の中で、『リスクを恐れて焼却する』という行動など選択肢にすら浮かばないはずだ」


 目で見なくても、手に取るようにわかる。人間は失ったものから目を背け、手に入れたものを誇る。ヤツは、空元気で己の立場をひけらかしたに違いない。縋りついた領主代行の地位が至上のものだと。これ以外に自分は必要ないのだと、己自身に言い聞かせるだろう。


 そんな風に壊したのだから。


「……いや、しかし、そんな」

拙い、うっかりミスを犯すとは思わない? だから、いいんじゃないですか」


 ヘーゼンは歪んだ笑みを見て笑う。


「……」

「ビガーヌル領主代行は、このようなケアレスミスは、もっとも嫌いなタイプでしょ? 人生を懸けた大舞台で、そんなうっかりをした自分自身を、果たしてあの方は許せますかね?」

「……」


 無能。一文字の誤りや、文章のつたなさ、文字の大きさ、資料のみやすさ。それを指摘するたびに言われた、無能という言葉。


 全員の部下がいる前で。


 外部からの目がある前で。


 そんな自分を許せるか。


 認められないはずだ。


「……ククク」


 ダゴルは、脳裏に浮かんだであろう光景に、思わず笑みを漏らし。


 ヘーゼンもまた、心の中で笑う。


 同じだ。


 人間とは。


 所詮。復讐という快楽から逃れるのことできない業を負っているのだ。


 復讐に次ぐ復讐。それが、ヘーゼンの描いていたシナリオだった。


「わかりますか? 私なら、ビガーヌル領主代行が最も屈辱的な方法で。死ぬよりも後悔するやり方で、あの方を地の底に堕としてみせる」

「……しかし、マラサイ少将にはどう説明する? こんな内輪揉めの話など、彼にとっては、どうでもいいだろう」


 ダゴルの目に光が戻った。しかし、それは、正常な光ではない。人を陥れる時の、ドス黒く、陰鬱で、にぶい光だ。


「そこは、私に任せてください。手土産はキチンと用意してますから」

「……」

「……」


 しばらく、互いの視線が交差して。


 ダゴルは歪んだ笑みで笑う。


「貴様は悪魔だな」

「……」

「だが、面白い。乗ろう。悪魔の奴隷になっても、魂を全部売り渡してでも。私はあの男に復讐がしたい」

「ククク……キチンと領主代行を演じてくださいよ。堕ちる者の代わりと、皆が認めるように」






















 ヘーゼンはいっそう、歪んだ笑みを浮かべた。

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