天秤


 死。


 ビガーヌル自身で、その文字が舞い降りてくるなど、おおよそ想像だにしたなかった。この男は、いったい、なにを言っているのだろうか。


「そ、そんな訳はない。あ、あ、あり得ない。わ、わ、我々は文官だぞ……ですよね? そんな……」


 そう言いかけた時、ヘーゼンは呆れたようにフッと笑みを浮かべる。


「平和な世界を生きてこられたんですね。常在戦場。文官であろうと、謀略・毒殺など日常茶飯事の国々を、私は腐るほど知ってますよ?」

「……っ」


 異常。


 異常。

 異常。

 異常異常異常。


 異常過ぎる。間違いなく、考え方がおかしい。イカれてる。イカれきっている。どんな誇大妄想を持てば、そんな思考になるのか。


 この男は、まだ将官になって一年未満。言ってみれば、ピッカピカの一年生だ。そんな若造が、大陸の国々の政情を語るだなんて。


「お、お、大袈裟だ……です。そもそも、ダゴルは、そんな、度胸のある男では」

「そうですか? あの方、結構、下に容赦ないですよ」

「……っ」

「少なくとも、私にギモイナ上級内政官とバライロ上級内政補佐官を派遣しました。同レベルの嫌がらせは、当然やってくるでしょうね」

「……っ」


 やる。


 いや、やつなら、それ以上のことを平気で。


 ビガーヌルは再び地面に額を擦り付ける。


「お願いします! なんでもします! なんでも! どうか……どうか、ご慈悲を」

「金」

「……はっ?」

「金ですよ、金。そう言えば、いくら持ってるんでしたっけ?」

「……っ」


 カツアゲ。


 堂々とカツアゲして来やがった。結局は、金かとヘーゼンのことを軽蔑しつつ、初めて交渉が進んでいる感覚があり、ほくそ笑む。


 ビガーヌルは、情けないような表情を浮かべて、口惜しそうに答える。


「わ、私はそこまでの上級貴族ではないので、多くの資産は……」

「とりあえず、大金貨100枚用意できますか?」


 !?


「だ、だ、大金貨……ひゃ、100枚!?」


 提示されたのは、破格の大金だった。つい、先日契約した額の10倍。とてもではないが、そんな額は準備できない。


「安いですか?」

「ふ、ふ、ふ、ふざけるな! そんな……ふんぎゃあああああああああっ!」


 ビガーヌルが思わずヘーゼンの胸ぐらを掴もうとした時、バライロが思いきり腕を捻って倒す。それから、マウントを取って殴ろりかかろうとする。


 しかし、直前でヘーゼンがバライロの手を止める。


「ありがとうございます。でも、ビガーヌル領主代行とは、もう少しお話ししたいので、そこまでです」

「も、も、も、申し訳ありま、ま、ませせせせん。ば、ば、罰をく、く、くださいますかありがとうございます」

「罰しません」

「あ、あ、あ、ありがとうございます」


 瞬間、バライロは、人形のように動かなくなった。一方で、ビガーヌルは腕を抑えながら、ゴロゴロと転がっている。


「ひぎぃ……ひっぎぃあぅ……」

「大袈裟ですね。軽く捻られただけじゃないです……か!」

「ひぎゃああああああああああっ!」


 ヘーゼンはビガーヌルの腕を踏みつけて、グリグリと地面へと擦り付ける。


「で? 出すんですか? 出さないんですか?」

「ひっ……ふっ、ふううぅぅ! ひっひっふうううううぅ……」


 腹式呼吸で痛みを抑えようとするが、痛いものは、痛い。


「次、答えないようなら交渉は打ち切ります」

「……っ」


 容赦の欠片かけらすらない。こんなに痛がってるのに、大丈夫の一言も。いや、それより痛がっているのに、すかさず、追撃を加えてきた。なんと言う非道。なんと言う鬼畜。


「では、もう一度だけ質問しますね。出すんですか? 出さないんですか?」

「だ、出しますぅ!」

「全て?」

「す、すべては無理です! どうやったって……せめて大金貨20枚……いや、30枚が本当に限界ですぅ」


 ビガーヌルは泣きながら懇願する。その様子をジッと見つめていたヘーゼンは小さくため息をついて、笑顔で首を傾げる。


「はぁ……仕方ないですね」

「そ、それじゃ……大金貨30枚で?」

「じゃ、行きましょうか」

「えっ? ど、どこに……」

「ダゴル長官のところです」

「……は?」




















「売りに行くんですよ。いくらで買ってくれますかね?」

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