未来


 ビガーヌルは言葉を失った。今、コイツはなにを言っている? このドクトリン領の実質的なトップである自分に対して、降格して最下級になった、着任して数ヶ月に満たない下級内政官が。


 あり得ない。


 ありべきではない。


 思わず、身体中の体温が熱くなる。沸騰して皮膚が焼け爛れそうな屈辱がひしひしと流れる。しかし、感情的になってはいけない。それこそ、この男の思う壺だ。あくまで冷静に、この男を丸め込まなければ。


「わ、私はそうは思わないけどな」

「そうですか? では、お話はもう終わりにしましょう。自己保身でお忙しいでしょうし、まあ、頑張ってください」


 !?


「まっ、待ってくれ! わかった。これで、いいかな?」


 ビガーヌルは深々とお辞儀をした。角度を90度から125度くらいにして。


「はぁ。わかってないですね。全然高いです。だって、地面にすらついてないじゃないですか」

「ぐっ……うぐぐぐぐっ……」


 殺す。絶対に殺してやる。この件が終わったら、必ず。完全不可逆的に、殺す。沸き起こる憎悪の感情を必死に抑えて。ビガーヌルは膝と両手、額も絨毯につける。


「この……通りだ」

「んー。なんか、まだ高いですね」


 !?


 ヘーゼンは足裏をビガーヌルの後頭部に乗せてグリグリと押しつける。


「あれ? 下がらないな」

「痛っ……痛痛痛痛いだだだっ……これ以上下がらない! これ以上」


 ガンガンガンガン!


「ふんぎゃああああああっ!?」


 何度も何度も思い切り足裏で打ち付けられ、鼻骨が潰れた。ビガーヌルはそのままひっくり返って、悶絶し、絨毯に血が真っ赤に染まる。


「あれ……気のせいだったか。もう、下がらないんですね」

「ぐっ……ふぅ……言ったじゃん! だから、言ったじゃないかぁ!?」

「じゃない、?」

「……んぎぃっ」


 なんだ、この異常者は。どこまでも見下してくる。タメ口すら、許されないのか。こいつ、どこまで。どこまでナメきってくるのか。


 リスク管理。


 落ち着け……落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろぉ。


 ビガーヌルはニヘラと薄ら笑いを浮かべる。


「じゃ、じゃないですか。言ったじゃないですか。すいません、言葉を間違えました」

「そうですか。次から、言葉づかいには気をつけてくださいね?」

「……っ」

「返事は?」

「は、はい」

「よくできました。まったく……無能だから、躾をするにも骨が折れますね」

「……ふぐぅ」


 ナデナデと優しくなでられながら。ビガーヌルは屈辱など生ぬるいような狂気的な感情に襲われる。想像で何度、この男をナイフで滅多刺しにしただろう。しかし、物足りることはない。どう殺してやるかを今後、数年かけて考え尽くしてやることを心に誓った。


 そんな、どれだけ憎んでも足りない男は、爽やかな笑みを浮かべて話を続ける。


「では、状況を整理しましょうか」

「せ、整理?」

「この書類を見れば、誰だってあなたの判断ミスだと思うでしょうね。マラサイ少将が愚物でなければ、即刻中央に訴えるでしょう」

「くっ……」


 今更。そんなことは、わかりきっている。だからこそ、これほどの屈辱に耐えているのに。


「そして、文官の出世には慣例がある。次期領主代行は長官の中でも、内政長官を選ぶと言う慣例が。そうですよね?」

「だ、だから、それがなんだって……はううっ!」


 ここで。ビガーヌルはある予測へと辿り着く。


 内政長官……内政長官って……


「ビガーヌル領主代行はダゴル長官を牢獄に入れましたよね? それって、中央からどう見えますかね?」

「……はぅ」

「私が中央の将官だったら、あなたが自身の失態隠しをした罪人。一方で、ダゴル長官は罪を恐れずに反抗した気概あるNo.2に見えますよね?」

「ゔっ……ゔゔっ」


 あり得る。と言うか、中央だったらそう見なすだろう。隠蔽を行った罪人に立ち向かった清廉潔白な賢者。そんな物語めいた、演出に酔った人事をするに決まっている。

 

「あなたが堕ちれば、ダゴル長官は領主代行。ほぼ、確実な未来ではありますよね。どうにも、あなたにとってよくない展開になりそうですね?」

「そ、それは君だって、同じこと……では、ないですか?」


 この男だって都合が悪いはずだ。領主代行の権限は大きい。自分同様、ダゴルから恨みを買っている。この男だって、それは困るはずだ。むしろ、自分を上にした方がいいと言う説得ができる。


 ここぞとばかりにアピールすべきだ。


 しかし、そんな期待を踏み潰すがごとく。ヘーゼンはゆっくりと首を横に振る。


「私にはクレリック次長、モルドド上級内政官がいますから。あと、知ってるかもしれませんが、この2人にも可愛いがられてるんですよ」


 そう言って、パチンと指を鳴らすと、ギモイナとバライロが入ってきた。


「お、お前たち」

「ねっ、可愛がってくれてますよね?」

「ひぐぅ……は、はい。わ、わ、私はヘーゼン内政官を可愛がってます。申し訳ありません……申し訳あり……ませぇん」

「……っ」


 ギモイナは涙を浮かべながら答えた。ビガーヌルはそんな姿を見て、思わず唖然とする。この男は、上官の上官の上官の上官の上官の自分にではなく、部下の部下であるヘーゼンにへりくだっている。


 どうしたら、そうなる?


 いったい、どうしたら、そうなるのだ。


「わ、わ、私もです。へ、へ、ヘーゼン内政官に危害が及べば、ぜぜぜ全力で……ててて敵をうごごごかなぐぐぐしまっす。うごごご……かなくっ……うごごご……うごごごごご……」

「……っっ゛」


 壊れてる。


 バライロは完全にぶっ壊されている。


 そんな驚愕の表情を浮かべるビガーヌルに対し、ヘーゼンは爽やかな笑顔を浮かべる。


「ビガーヌル領主代行。弱者はね。結局、本能的により弱者を虐げるんですよ」

「ひっぐぅ……」

「降格した落ち目の、誰からも嫌われている部下と次長以下ほとんどの上官から可愛がられている部下。どちらが弱者など、一目瞭然でしょう?」

「ううっ……ひぅう……」



























「多分ですけど……あなた、死にますよね?」

「……っ」

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