困惑


 ダゴルはしばし混乱した様子だった。しかし、掲げられた書類を眺めながら、しょぼくれた態度が豹変し、一転して勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「ククク……ハハハハッ! ザマァ見ろ! なんで、むざむざ貴様の失態を闇に葬らなければならんのだ!?」

「……っ、どう言うことだ!?」


 ビガーヌルは、殺意を持った眼差しで秘書官を睨みつける。直接命令すれば、隠蔽になる。なので、不本意だったが、ダゴルにやらさざるを得なかった。しかし、確実に遂行させるよう秘書官に見張らせていたのだ。


「い、いえ。確かにダゴル長官は、ギモイナとバライロに指示しておりました。間違いありません」

「クハハハヒフハ! あの輩どもは、すでに調略させられていたわ。私の言うことなんて聞くわけがない」

「……っ」


 そんな、上官が存在すること自体に、ビガーヌルは驚愕する。


「お前、自分が情けなくないのか? 要するに、下級内政官に舐められて言うことを聞いてくれなかったのだろう?」

「だ、黙れ! 貴様だって、同じ目に遭う」

「……」


 この反抗的な態度。腹立たしすぎて、その場で首を絞めて殺したくなるが、そんなことをしても一文の得にもならない。ビガーヌルは『落ち着け』と自身に何度も言い聞かせる。


「なあ、どんな気持ちぃ? どんな気分だ! あの忌々しい男に弱みを握られて!?」

「……ダゴル。もう一度チャンスをやってもいい」

「ちゃ、チャンス?」

「ああ。私は貴様のことを買っていたんだ。クレリックとは違って、忠実に仕えてくれた」

「……」

「もちろん、私も人間だから、やりきれない感情はある。しかし、これまでの功績と君の忠義を鑑みてセカンドチャンスを与えないのは、フェアじゃないと思う」

「……」


 どうせ、このバカは食いつくに決まっている。このバカは餌をチラつかせれば、簡単に咥えようとする。ずっと、そうだった。


 ビガーヌルは偽りの笑顔を浮かべながら、ダゴルに優しく語りかける。


「もう一度、私に仕えてくれるか?」

「……か」

「ん? 聞こえなかった、もう一度言ってくれるか?」

「仕える訳ねぇーだろ、ばぁーか!」

「……っ」

「耳が腐ると思ったわ! ふざけるな! 貴様が一度逆らった者を絶対に許さないことは、ずっと仕えてきた私は知っている!」

「……っ」

「むしろ、貴様さえ失脚すれば、貴様によって捕えられた私は冤罪として放免される可能性が高い……いいぞぉ! いいぞぉ!」


 ダゴルは狂気的に喜ぶ。その様子は、あまりに正気からかけ離れていた。ビガーヌルは思わず、檻越しでダゴルの胸ぐらを掴む。


「貴様……本気で殺すぞ」

「……っ、離せ! 小僧!」


 !?


「ぐわあああああっ!」

「ぺっ……」


 激痛がして。ビガーヌルは慌てて手を引っ込める。そして、ダゴルが口から何かを地面に吐き出した。


 それは、ビガーヌルの人差し指の断片だった。


「はぐぁ……ひいだいっ! いだい痛いいだい! な、なにをするか貴様っ」


 泣きそうな表情で。噛みちぎられた部分を押さえる。


「くく……ははは! 私のことを侮ってるから、こんなことになるんだ!」

「ぐぅ……し、死刑だ! 絶対に死刑まで持ってってやる!」

「やってみろ! 今、ここで! グハハハ、しかし、その前に、貴様にはあの男が立ちはだかるだろうからな」

「……っ」


 逃げるように牢獄を去る。ダゴルはもうダメだ。完全に壊れてしまった。


 途端に状況を把握し、ビガーヌルの顔色がみるみるうちに青くなる。すでに、クレリックを切り捨ててしまった。再び、ヘーゼンになにかをさせるなら、持っておかないといけない駒だったのに。


「なんとかしないと……なんとか……なんとかぁ」


 何度も何度もそうつぶやき、ビガーヌルは、廊下を走ってクレリックの執務室へと向かった。


 到着し、ノックもせずに、扉を開ける。


「ど、どうかされたんですか? その指」


 クレリックは驚いた表情を浮かべながら、血塗れの人差し指を見る。


「き、気にしないでくれ」

「いや、そんな訳にはいかないでしょう。すぐに医務室に行ってーー」

「そんなことより! 君に伝えたいことがある!」


 ビガーヌルはなんとかこちらの言葉を聞かせようと、強く言葉を吐く。


「な、なんでしょうか? 話、聞きますので医務室に向かいながらにしましょう」

「その……私は今度の昇進に君を長官にする予定だ」

「そうですか」

「……っ」


 なんだ、そのいけすかない感じは。


「嬉しくなさそうだな」

「まあ、ダゴル長官がああなってしまえば、自然にそうなりますよね」

「くっ……しかし、上官である私が推薦しない限りは望みはないぞ? 他から招集することも可能だ」

「……ああ、なるほど」


 クレリックは心配そうな表情を豹変させて、ソファに腰掛ける。


「お好きになさってください」

「なっ……」


 クレリックは皮肉めいた表情で笑う。


「また、ダゴル長官になにかをやらせようとして、断られたのでしょう?」

「……っ」

「で、焦ってる訳だ。ちぎられた指など気にならないくらいに。で、それを、私に処理させようとした訳だ」

「くっ……」

「聞きませんよ。どうせ、困った時だけ、ニンジンをぶら下げて餌をやるフリをしておいて、食べようとすれば引っ込めるのでしょう?」

「そ、そんなことはない!」

「そもそも、先日、ヘーゼン内政官との交渉について、私はお礼は愚か、労いの言葉すら言われていない」

「……っ」


 細かいことに根を持つ小物だ、とビガーヌルは心の中でつぶやく。


「そ、それは……純粋な功績と言う訳ではなかった。私だって妥協したんだ」

「なら、あなたが自分でやればいい。自分の方が上手くやれるのなら、見せてくださいよ」

「く、口を慎め!」


 クレリックは心底失望したように大きくため息をつく。


「どうしますか? 私は、帝国のための行動はするが、あなたの保身のために行動する気は毛頭ない。それでも、私を説得するだけの言葉をお持ちで?」

「……っ、もういい!」


 ビガーヌルは吐き捨てるように言い放って、逃げるように退出した。


「……」

























「えっ……えっ……これ、どうすんの?」

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