難航


 ダゴルの目の前で景色がグニャリと曲がる。それでも、なんとか歩こうとして、フラフラになりながら廊下を進む。


「なにか……他の……他の手を……」


 そうだ。クレリック。あいつなら――


「だ、ダメだ。アイツは裏切り者だ。では、モルドドは? いやいや、あいつも裏切った」

「……」


 廊下ですれ違う者が、不審な表情でダゴルを見る。しかし、そんな視線など気にも止めず、疲れ切った老人はブツブツとつぶやく。


「やっぱり、ビドルだ。ビドル……」


 思い出したように歓喜し、ダゴルはビドルの部屋へと向かう。


「ビドル! いるのか!?」


 扉をガンガンと叩くと、慌てたように秘書官が出て来た。


「ど、どうかしましたか?」

「ビドルはどこだ!?」

「えっと……今は不在で」

「どこにいる!? すぐに呼び戻せ!」

「そ、それが……数日、アテナの町に視察へ行くと突然出て行かれまして」

「あ、あの男」


 逃げやがった。


「もういい! 帰ってきたら、覚えておけ! そう伝えておけ」


 そう叫び、乱暴に扉を閉める。


「他部署は……そうだ、財務部のナグラ長官に」


 ダゴルは、歪んだ廊下をフラフラになりながら歩く。


「……っダメだ」


 そもそも、なんて説明をする。『下級内政官が手に負えないので、なんとかしてください』とでも、頼むつもりか。ダゴルはブンブンと首を振って、足取り重くヘーゼンのいる執務室へ向かう。


 ノックする余裕すらなく、ダゴルは倒れ込むように執務室へと入った。


「どうでしたか?」

「や、やはり、どうにもならない。せめて、100倍……いや、200倍で――」

「620倍」


 !?


「そ、そんな! 目一杯やってるんだ!?」

「言ったでしょう? 緊急性が高いほど価格は上がるって」

「もう、私には無理なんだ! 私だって精一杯やっている!」


 発狂せんばかりに、ダゴルが叫ぶ。


「私は! ある程度は負担する気でいたそして、実際に提示額よりも下げてもダメだったんだよ!」

「……」

「はぁ……仕方がないですね」


 ヘーゼンは深くため息をつく。


「わ、わかってくれたか!? ありがとう、本当にありが――「630倍」


 !?


「な、なんでぇ!? なんで増えるんだよ――!」


 ダゴルは泣きながらヘーゼンの裾を掴む。


「気に入らないからです」

「そ……そんな」

「あなたが一度でも、『己に益をもたらす』という結果以外で他者を評価しましたか? 僕にはそうは思えませんね」

「……っ」


 瞬間、ダゴルの脳内に走馬灯のように景色が巡る。今まで、何度同じようなことで、部下の評価を貶めてきただろうか。


「図星でしょう? 都合のいい時だけ、自分の頑張りを認めてもらおうとする腐った姿勢には、本当に辟易します」

「でも! 私だって頑張っているんだ!」

「ダゴル長官」


 ヘーゼンは老人の胸ぐらを掴んで、その鋭い瞳で射貫く。


「将官に努力賞はないんですよ」

「ひぅ……」

「早く説得しに行ってください。まだまだ、身の削り方が足りませんね。努力が不足しているんですよ?」

「無理だ……無理……そ、そうだ! ビガーヌル領主代行の下へ連れて行く。自分で話したらどうだ? 自分で話せばわかる!」

「嫌です」


 !?


「な、なんでぇ!? なんでなんでなんで……なんでえええ!?」


 ダゴルはブンブンと首を振る。しかし、そんなことはお構いなしに、ヘーゼンは困ったように首を傾げる。


「これを言われると矛盾していると思われるかもしれませんが、んですよ」

「……っ」


 矛盾というか。


 とてつもなく、理解不能わからない


「頑張りは結果が伴ってこそ、評価される。あなたの頑張りが評価されるように、ここは辛いかもしれないですけど、乗り越えて欲しいんですよ」

「の、乗り越えるだと!?」

「そう。あなたが私のために、厳しいと評判のギモイナ内政官とバライロ内政官を上官にして頂いたようにね。私も、彼らに認めて頂きました」

「そ、それは――」

「っと。これは、意地悪ではないんですよ? 誤解しないでくださいね。私は、あなたに成長して欲しいんですよ」

「……はっ……くっ……貴様っ」


 まるで、上官かのように振る舞うヘーゼンに、殺意を覚える。


「も、もういい!」


 ダゴルは扉を強く閉めて、ビガーヌルの元へ向かう。


          ・・・


「貴様……本当にわからないのか?」

「ふっ……ふぐぅ……わかってます! けど!」

「けど、なんだ!」

「……ううっ、もう一度、説得します」

「ダゴル、あまり私を舐めるなよ?」


          ・・・


「640倍」

「はっ……はぅう……」


           ・・・


「出さないって言ってるだろう!」

「390倍でも、390倍でもダメなんですか……」

「クドい!」

「ひっ……」


           ・・・


「650倍」

「そ、そんなご無体な!」


           ・・・


「貴様……私をおちょくってるのか?」

「ひっ……」

「払わないと何度言ったらわかるんだ! この無能が! そんなことだから初級内政官にも舐められるんだ!」

「ふっ……ふぐぅ……」


           ・・・


「700倍」

「勘弁してください―! もう……もうそんなに……できません! できませえええええええええええん!」

「できるできる。ほら、立って。頑張ってください」


          ・・・


 めくるめく世界。


「誰か……誰か……助けて……」


          ・・・


「どうした!? 今度こそは接収を取り付けて――」






















「貴様がやれ―――――――――――――――――――!」

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