迷走


 部屋を退出したダゴルは、足早に階段を上がり、すぐさま、ビガーヌルの元へ直行する。


「わはは! 騙されてやがって! 絶対に許さんぞ!」


 あのバカ、さぞかし、してやったり顔をしてるのだろう。しかし、違う。自分は屈したわけではない。こんな暴挙が許されるはずがない。


 部下の部下の部下の部下の部下である下級内政官が、上官の上官の上官の上官の上官である自分に逆らうなど、あってはならないことだ。


 ダゴルは勇み足で、領主代行の執務室に入った。そこには、不機嫌そうなビガーヌルが貧乏ゆすりをしながら座っていた。


「遅いぞ!」

「ひっ……申し訳ありません」

「で、どうだったんだ!?」

「……っ」


 そう詰められた瞬間、先ほどまでの安心感が不安に変わっていく。ダゴルは汗を全身でかきながら説明を試みる。


「あの、アイツが……ヘーゼンが相場の600倍でなら、売ると言ってきまして」

「はぁ!? なんだ、その滅茶苦茶な額は!?」

「……っ、そうですよね! 私もそう思ってまして」

「で!?」

「……は?」


 なにを言っているんだコイツは。こんな、前代未聞の話を。これ以上、自分に何をさせようと言うのだ。


「そう思ってたらなぜ、ここにそんな話を持ってきた!?」

「ひっ。いや、あの……下級内政官がこともあろうに、こんな事を言い出すものですから……」

「で!? なんなんだ!?」


 ビガーヌルは机に手を叩きつける。


 瞬間、ダゴルの脇、頭、背中……各所から尋常じゃない量の汗が噴き出す。そして、ビガーヌルは這うような鋭い瞳で、睨みつける。


「まさか、お前……下級内政官ごときを従えられないのか?」

「そ、そんなことは」

「だったら、自分で判断して断れ! そんなこともわからないのか!?」

「で、ですが……」

「そもそも、私は接収しろと言ったんだぞ!? なぜ、このドクトリン領の予算を使って出さないといけないのだ!」

「そ、それは帝国法に違反してまして」

「それを上手くやるのが貴様の仕事だろうが!」

「ひっ……」

「接収しろ! 金など、少しも出す気はない!」

「わ、わかりました!」


 ダゴルは直ちに身を翻し、執務室の扉を閉める。そして、急ぎ足で、階段を降りる。


「くっ……ビガーヌルめ。クソッ……クソッタレ……誰のせいで――」


 ブツブツとつぶやきながら、再びヘーゼンの部屋へと入る。


「どうでしたか?」

「だ、ダメだった! 申し訳ない、どうしても! ど・お・し・て・も! ビガーヌル領主代行がOKを出さないで――」

「610倍」

「……」

「……」


              ・・・


「……へ?」


 ダゴルには、その数字が理解できなかった。


「あなたたちには、時間がないのでしょう? 緊急性が高いほど料金は上がる。この世界の常識だ」

「……っ」


 非常識の塊のような、お前が言うか――


「そ、そんなのどうやって言えば……」

「伝えにくければ、あなたが出せばいいんじゃないですか?」

「……っ」

「別に私は、この話がなくなったとしても困らない。やめたくなったら、いつでも手を引きますから言ってくださいね?」

「そ、それは……」


 困る。こんな状態で投げ出してしまえば、ビガーヌルは必ず自分を巻き込んでくる。その身が危険だとわかれば、ヤツは、このことをバラすだろう。


 下級内政官の言うことすら聞かせられない長官。


 ……考えるだけでゾッとした。将官幹部はメンツが命。そのような汚名は、自分のみならず家名すら汚す。


 そんな中で余生を過ごすのは、耐えられない。

 

 しかし、逆に値段が上がれば、当然、ビガーヌル首を縦に振らないだろう。ダゴルは、自身の財からある程度肩代わりすることを決めた。


「クソッたれ……なんで私が……私のせいじゃないのに」


 ブツブツとつぶやくながら、ダゴルは階段を上がって、再びビガーヌルの執務室を訪ねる。そして、入るや否や、頭を深々と下げる。


「申し訳ないです! かなり交渉したんですが、ヤツめ580倍から、首を縦に振らないんです」

「ふざけるなっ!」

「ひっ……」

「払わんと言ったら、払わない!」

「し、しかし――」

「早くあの男を怒鳴りつけて接収しろ!」

「は……はひいぃ」


 ダゴルは、逃げるように慌てて扉を閉める。そして、しばらくその場で呆然とした。どちらも、まったく譲らない。譲る気すら、ない。


 どうする……どうする……どうする……どうする…… どうする……どうする……どうする……どうする…… どうする……どうする……どうする……どうする……


「……うぷっ」


 瞬間、胃の中のものが逆流して出てこようとする。


「ええええええええっ」


 ダゴルはその場で嘔吐し、大量の吐瀉物を吐き出した。

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