業務


          *


 始業時間になり。ビダーンはいつものように執務室へ向かうと、廊下で同僚のタズロと鉢合わせた。彼らは早朝勤務なので、誰よりも勤務が早い。


「おはよ」

「おっ、おう。おはよう」

「……」

「……」


         ・・・


 歩きながら、しばらく、無言の時間が続く。


「あのさ、へー」

「やめろ! その名前を口に出すな」


 タズロは怯えたような表情を浮かべながら首を振る。


「す、すまない」

「俺はなにも見なかったし、聞かなかった。ただ、昨日は歓迎会で少し羽目を外して、5次会まで行った。これが、事実だ。それ以外は何もない」

「そ、そうだな」


 ビダーンもまた、震えながら頷く。標的にされた彼自身、ざまぁみろという感情がなかった訳ではない。


 しかし、それも最初の5分ほどの間だけだ。


 その後は、ヘーゼン=ハイムという怪物に、ただただ恐れを抱いた。躊躇なく、ありとあらゆる拷問を浴びせる様は、先日までにいた理想の上官とは、まるで別人だった。


 とにかく、絶対に、敵に回してはいけないと確信した。


 執務室の扉を開けると、バライロが部屋の掃除に勤しんでいた。そして、2人に気づくと、爽やかな笑みで暖かく迎え入れる。


「おはようございます、ビダーン内政官」

「お、おはようございます」

「昨日は、本当に申し訳ありませんでした」


 昨日の横柄な態度とは一変し、深々と腰を90度に曲げて、謝る。


 ファサ。


「……っ」


 その時。


 バライロの髪がまとまって落ちた。


 晒されたのは、つるっぱげになった、形の悪い頭だった。


「おっと」

「ど、どうしたんですかそれ?」


 触れていいかどうか迷ったが、あまり気にせずにズラを直しているので、恐らく恐らく尋ねる。


「ああ。少しだけ抜け毛がひどくてね。それを心配してヘーゼン内政官から贈られたんだ。この、クズの私に対して、慈悲をくださった。ありがたい限りだよ」

「……っ」


 ごりっごりに、人格が変わってしまっている。


 そんな中、ヘーゼンが同じく執務室へと入ってきた。


「へ、へ、へ、ヘーゼン内政官。お、お、お、おはようございます」

「おはようございます、バライロ内政官」

「……っ」


 ごりっごりに、怯えている。


 腰を135度に(恐らく可動限界まで)、曲げながら、ウィンウィンの首を小刻みに震わせる様は、まるでなにか別の物体のようだった。


 ファサ。


「落ちましたよ、カツラ」

「も、も、も、申し訳ありません」

「いいんですよ。はい」


 笑顔でヘーゼンは、バライロの頭にカツラをカポらせる。


「はあぁ! なんと、お優しい。こんなクズな私の失態を許してくださるなんて」


 大男が、カクカクと腰をくねらせながら、悶えている。


「……っ」


 めちゃくちゃ気持ち悪く、なっている。


「さっ、仕事しましょうか」

「は、は、はい! わかりました」


 バライロは誰よりも早く先に着き、書類を一枚一枚読み始める。その中で、先ほどビダーンが提出した書類を書き直し、ヘーゼンの机に書類を差し出す。


「あ、あの……バライロ内政官。それは、私が提出した書類では?」

「はい。わかっております。ただ、私は判断能力のないクズですから。ヘーゼン内政官に一読頂くようにしてます」

「……っ」


 なんだ、それは。


 実質的に、ヘーゼンが上官じゃないか。


「……ビダーン」

「は、は、はいぃ!」


 呼ばれた声に反応した。


「なにを怯えている? 僕は君たちに危害を加える気はない。同僚なんだし、もっと気さくにやろう」

「……っ」


 難しすぎる、とビダーンは思った。


「一応添削しておいた。考え方自体は悪くないと思うが、こう進めればというアドバイスもいくつか書いておいたから参考にしてくれ」

「あ、ありがとうございます」

「敬語じゃなくていいよ。フランクにいこう」

「……っ」


 難しすぎる、とビダーンは思った。


「バライロ内政官」

「は、は、はい!」


 ビクンと反応して。大男は、椅子から飛び上がって、直角に硬直する。反動でカツラが取れ、首がウィンウィン小刻みに震えている。


「少し席を外してもいいですか? 民たちの様子が気にかかりまして」

「も、も、もちろんです! ご苦労様です!」


 バライロは深々と180度、頭を下げて。カツラを落として。ウィンウィンと小刻みに身体を左右に振るわせながら、挨拶する。


「なにか不安なことがあれば、ジルモンドに尋ねてください。彼は優秀なので、言うことを聞いておけば間違いありません」

「はい! ジルモンド秘書官。こんなクズの私ですが、よろしくお願いします!」

「え、ええ」


 戸惑いながらも、ジルモンドが頷く。


 誰もいなくなった部屋で。部下たちは全員、バライロを観察した。様子が豹変する様子はない。


 みんながホッとしたように、仕事を進めていると、突然、ばばばっと、バライロが動き始める。


「しまった……しまった、しまった。忘れていた……忘れていた……」


 落ち着きなく小刻みに震え出し、やがて、1人で身体を投げ出す。何度も何度も。


 まるで、殴られているかのように。


 そして。


「い、痛っ! ありがとうございます! クズな私に罰をくださって、ありがとうございました!」


 斜め上の天井に向かって、何度も何度もお辞儀をする。


「あ、あの……バライロ内政官。誰に向かって話しかけてるんですか?」






















「やだなぁ。ヘーゼン内政官に決まってるじゃないですか」



 











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