なぜ
*
雨が降っていた。
阿鼻叫喚の嵐の中。
そこにいたのは。
目を瞑ったまま起きぬ少女と。
ヘーゼンが見た光景は。
あまりにも狂い狂っていた。
同時に。
この化け物を創ってしまった後悔と。
この化け物を解放してやれない無力感と。
この化け物の歩む道に。
いつか、自らが対峙しなければならない業を感じた。
*
意識が戻ると、そこは馬車の中だった。どうやら、気を失っていたらしい。ヘーゼンは手足の指を動かしながら、身体の機能を確かめる。
そして、薄くぼやけた瞳を開けると、そこには顔をぐしゃぐしゃにした黒髪の少女が座っていた。
「ひっ……ひっく……ひっく……」
「ヤン……なぜ、君が泣く?」
「ひっく……ひっく……」
「君は、僕のことが大嫌いなのだろう?」
「大嫌いです!
「……」
「しまいには、心配までさせてくれないんですか!? 身近な人が倒れて、泣くことまで許されないんですか!? バカ、バカバカバカ……
「……」
ヘーゼンは静かに、ヤンの額をコツンと突いた。すると、少女はフッと気を失って、崩れ落ちる。そして、そのまま寝転がっていたヘーゼンの身体にもたれかかった。
「ヤ、ヤン。どうしたの!?」
「心配ない。体力も精神も限界だったからな。情緒がグチャグチャになってたので、少し寝かせた」
馬車の外にいるカク・ズに向かって答えた。
続けて、ヘーゼンは指先を地面に向け、巧みに動かし文様を描く。すると、そこに黒々とした光が宿り、地面にはその黒光で描かれた魔法陣が精製される。
魔法使いの手が止まり、黒い稲妻の塊が魔法陣に駆け巡る。
<<その闇とともに 悪魔ベルセリウスを 召せ>>
ポン
「シンフォちゃん……違っ、違うんだ。あの子は、なんというか……アレ……」
5歳ほどの小柄な体格。黒く小さな翼が背中にちんまり。申し訳程度の牙がチラリ。そんな可愛らしい少年が出てきた。手には、黒い薔薇が一輪。
「久しぶりだね。ベルセリウス」
「ひっ……ヘーゼン=ハイム」
小悪魔の表情が如実に引きつる。
「すまない、邪魔をしたかな?」
「全然。全然です。むしろ、今、非常にまずいタイミングでむしろ助かりました。今日この日この瞬間で本当に本当によかった。神がかり的なタイミングでした、神がかり的な」
悪魔なのに、『神がかり的な』を連発するベルセリウス。
「それはよかった。じゃ、いつものようにヤンの記憶を断片的に封印してくれ」
「は、はい! もちろん」
「……断っておくが、変に弄くったりしたら、君の身体をバラバラに切り刻んで、縛って、二度とそちらの世界に戻れないよう幽閉し続けるから、そのつもりでいてくれ」
「……っ」
ニッコリ。
「や、や、やだなぁ。そんなことする訳ないじゃないですか。あのロキエルを
小悪魔はプルプルと首を全力で振りながら答える。
「悪魔の言うことは信用しないようにしているから、答えは要らない。ただ、これは宣言だ」
「……っ、あはい!」
慌てて頷いたベルセリウスはすぐさま、ヤンの頭に手を置く。この悪魔は、戦闘能力はほぼ皆無だが、人の心を読むことができ、記憶を自由に操作することができる。
改竄など高度なものについては対象者に相応の代償が伴うが、期限つきで思い出させなくすることなどは造作もない。
「雨を降らせるまでの一連の行為。あくまで、限定的に5年ほどの期間で頼む。もしくは、鍵を今、馬車の外にいる男に」
「は、はい」
ベルセリウスは指示通りにする。細かく言わないで済むのは、この小悪魔がヘーゼンの思考を読んでいるからである。
「……また、記憶を消すの?」
カク・ズが馬車越しに尋ねる。
「今、この知識はヤンには不要だ。彼女には、魔杖を駆使した魔法を覚えさせるので、成長の阻害になる懸念がある」
「……」
「しかし、彼女が成長した時には、さらなる飛躍のヒントになり得るかもしれない」
「なぜ、それを俺に?」
男の朴訥な声が、ヘーゼンの耳に届く。
「……もしかしたら。ヤンは僕と違う道を歩むかもしれない。その場合、対立する可能性も少なくはない」
「……」
「カク・ズ。僕は敵対する者には容赦しない。ヤンも君も例外ではない。仮に、僕に刃を向けたなら、容赦なく叩き潰す」
「わかってる」
しばらく沈黙が続いた後。ヘーゼンは再び口を開く。
「……その上で。この先、ヤンが僕と敵対した時。君が彼女の味方をした時。僕は決して、手を緩めることはないが……僕は君の選択を責めはしない」
「……」
馬車の外では、止まぬ雨がいつまでも降り注いでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます