ため息
しばらくの間。ヘーゼンは扉を閉めたまま、うなだれていた。彼にとっては、非常に珍しいことであった。
モスピッツァ。軍人の時、ヘーゼンの上官であった男である。
しかし、知能が著しく低く、性格が陰険で、倫理性に乏しく、度量が皆無で、魔法使いとして下の下であった。
それ故に、ヘーゼンはモスピッツァを謀略ではめて、奴隷落ちさせたのだが、まさか自身の公設奴隷として跳ね返ってくるとは思わなかった。
反射的に「チェンジ」とは口にしたが、らしくない現実逃避だったと反省する。基本的に公設奴隷を拒否する権限はヘーゼンにはない。
むしろ、上級内政官が優先的な奴隷選定権を持つので、中級内政官には質の悪い奴隷しか回ってこない。
あとは、季節毎に人事が配置転換するのを待つしか手がない。
ヘーゼンはあきらめたようにため息をつく。そして、再び扉を開き、ゲッソリと痩せてますます嫌味ったらしい顔になったモスピッツァに向けて口を開く。
「……こい」
「は、はい」
2人は廊下を静かに歩く。
「し、しかし驚きました。その……ヘーゼン中級内政官が私の雇い主だなんて」
「……」
「あれから、私の生活も一変しました。さまざまな貴族に酷使される毎日。最近、よく昔のことを思い出すんです」
「……」
「あっ、あの。誤解してほしくないんですが、ヘーゼン中級内政官のせいだとは思ってません。すべて身から出た錆で、私の日々の行いの報いだと反省してます」
「……モスピッツァ」
「は、はい!」
「話しかけないでもらえるかな。君と話すことに価値をまったく感じないんだ」
「……っ」
「あと、見え透いた反省アピールはやめた方がいい。当たり前のことを当たり前に口にすることは時間の無駄以外の何物でもないから」
「……っっ」
モスピッツァは屈辱めいた表情を浮かべて、口を閉ざす。その様子を流し目で見ながら、ヘーゼンは再びため息をつく。
「やはり、上級奴隷にしたのが間違ってたかな……僕としたことが」
もちろん、理由はあった。彼の数少ない長所である『魔力持ち』という特技を活かすためだ。上級奴隷は、うってつけだった。平民向けの魔医などがそれに当たるため、なんとかこのクズに社会貢献の機会を与えようとしたのが仇となった。
「……いっそのこと殺すか」
「えっ!?」
「ああ、いい。君に向けた言葉じゃない。独り言だから気にしないでくれ」
「嘘ですよね!? 絶対に私に向けて言ってますよね!?」
「言っていない。頼むから話しかけないでくれ」
「……っ」
公設奴隷は、あくまで公共物である。したがって、勝手に処分したりするのはもちろん禁止。暴行などに関しての明確な規定はないが、人権派の貴族たちの勢力がうるさい。
まだ、貴族の中でどの派閥に属するかを決めかねている状況なので、奴隷への暴行による調教によって、レッテルを貼られるのもよくない。
「しかし……」
ヘーゼンはあらためてモスピッツァの顔を見る。すでに、年齢は40代。能力も低いし、事務処理能力もない。下の者に命令をするだけで威張り散らしてきた無能が、立派な奴隷として更生できるほど甘くはないだろう。
さすがのヘーゼンも人事省には、手を回せていない。そこは、最上位貴族たちがひしめく超権力の振るい合いであり、情報の書き換えはおろか、取得さえもできないほど厳重な結界と制約が張り巡らされているからだ。
自身の置かれた環境に対しては、自分がなんとかすればいいのであまり気にしていなかったが、まさかよりにもよって、この男とは。
「……はぁ」
ヘーゼンは3度、大きなため息をつく。
「そ、そんなに失望しないでください」
一方で、モスピッツァは、深々とお辞儀をして頭を下げる。
「ヘーゼン様。なにとぞ信じていただきたく思います。私は、心を入れ替えました。あなたの奴隷として、立派に働いてみせます」
「話しかけないでくれるかな? 必要な時に、こちらから命令するから」
「……っ」
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