交換
ヘーゼンが部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。
「ヤンはまだ戻ってないよ」
扉の外からカク・ズが声をかける。
「だろうな」
こともなげにそうつぶやいて、ヘーゼンはゴロンと寝転ぶ。
「……徹夜になると思う」
「ヤンがそう判断したのなら、それでいい」
「……」
その答えに。カク・ズは、少しだけ不満気な様子を見せる。
「ヘーゼンは部下や俺には優しいのにね」
「優しい? なんのことだ?」
「ヤンはまだ子どもだ。無茶だよ」
「子どもだろうと部下だろうと。やる時にはやらなくてはいけない」
「でも……部下たちには残業を規制して、あの子には徹夜させるの?」
「あの子は代わりを務められるが、あの子の代わりは務められない」
「でも、まだ13歳だ。身体は幼児そのものじゃないか。無理をさせ過ぎだよ……精神的にも肉体的にも」
「……」
カク・ズはヤンをかなり気に入っている様子だ。大方、娘のように思っているのかもしれない。
「この案件は、あの子にとっては仕事じゃないんだよ。だから、自発的にやるとこまでやるさ」
「だから、辛いんじゃないの? きっと、すべては救えない。きっと、目の前で何人も死んでいく。あの子は……耐えられるかな」
「あの子は弱い子じゃないよ」
「でも、子どもだ。感受性も強い」
「目の前だろうと、そうでなかろうと。毎日毎時間毎分毎秒。吐いて捨てるほどの人が死んでいる。誰もがその事実に目を背けているだけだ」
「……そんな理屈めいた考えができる人ばかりじゃない」
「ヤンは心配ない」
ヘーゼンはキッパリと言い切る。精神力の強さは折り紙つきだ。そして、もっともっと強くしなやかにならなければいけない。
それでも、カク・ズの心配そうな声が響く。
「……あの子にヘーゼンは超えられないよ」
「どうかな? 資質はある」
「ヘーゼン」
「ん?」
「君は自分の後継者を育てようとしてるんじゃないの?」
「まさか。そんな余裕はない」
「覚えておいて。ヤンにはヘーゼンの代わりはできない。どれだけ優秀だったとしても」
「……」
カク・ズがそう答えた時。
ヘーゼンの脳裏に、ある男の顔が浮かぶ。
「……一人、いたよ。完全に超えられたと思わされた男が」
「まさか……」
「負けたよ。集中力も、思考力も、発想力も。魔力も」
「その男は……結局、どうなったの?」
「壊れた」
「……」
しばしの沈黙が続き、やがて、ヘーゼンは口を開く。
「安心してくれ。自分の代わりにする気はない。やれるという僕の見立てを信用してくれ」
「……わかった。あっ、あと。ナンダルさんから手紙が来てるよ。机の上に置いておいた」
「早いな……あと、数日はかかると思っていたが」
ヘーゼンは手紙を受け取り、読む。
「なんて書いてあるの?」
「……できる限りの全てを投資すると。あと、2日もすれば到着するそうだ」
「太っ腹だね」
「返済条件は書いた。もちろん、すぐには、返済できない旨も」
それでも、この商人は迷わずこちらに投資した。恐らく自身の商売が経営難になるほどの額を。それほどまでにこちらを信用してくれることに、思わず胸が熱くなる。
ヘーゼンが予想していた額の3倍。10日分程度と予測していた食糧だったが、これで約1ヶ月は賄える。
すぐ、手紙で感謝の言葉と返済金額の上乗せを約束した旨の書いた。そして、扉を開けカク・ズに手渡す。
「この手紙を出しておいてくれ。あと、ここはいいからヤンの手伝いに行ってあげてくれ」
「わかった」
「ああ、あと。ヤンが食事を抜こうとしたら、無理矢理にでも口に突っ込んでくれ」
「……」
「僕が食事を抜くと言ったから、もしかしたらヤンも追従しようとするかもしれない。しかし、あの子は成長期で栄養が必要だ。カク・ズ、君も変な気を回すなよ。護衛が力を出さなければ仕事にならないからな」
「……ヘーゼンだって食べればいいじゃないか」
「優先順位だ。可能な限り救うが、ヤンや君の方が重要度が高い」
「……わかった」
「あと、今日。公設の上級奴隷が派遣されてくるはずだが?」
「別部屋に待機させてる」
「そうか。会おう」
ヘーゼンはすぐ、ベッドから飛び起きて部屋を出る。中級内政官以上になると、公設の奴隷が派遣される。ヘーゼンの昇進スピードが異常だったので、派遣が追いついていなかったが、やっと来たらしい。
今は圧倒的に人出が足りていないので、なんとか育てて使えるようにしたい。
足早に目的の部屋に到着して、扉を開けた。
「……っ、モスピッツァ」
「お、お久しぶりです」
「チェンジ」
「……っ」
ヘーゼンはそう言って扉を閉めた。
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