昇進
上官の昇進を目の前で、粉々に握りつぶしたところで。ヘーゼンは爽やかな笑顔で笑いかける。
「でだ。ついでにロレンツォ大尉を中佐格にぶち込め」
「ちゅ……そんな無茶な」
ジルバ大佐は涙目で懇願する。職位というのは、上に行けば行くほど狭き門となる。特に少佐格への昇進は訳が違う。ここの境目は非常に大きく、二階級特進など、まず聞いたことがない。
しかし、そんなことを歯牙にもかけずにヘーゼンは目の前のジルバ大佐を生ゴミでも見るかのように見下ろす。
「家族もろとも打ち首になりたくなければ、やれ」
「……それこそ、私が少将になった方が、彼を引き上げてやれる」
「……」
突然。ヘーゼンはジルバ大佐の髪を、もっと強く握って引き上げる。ブチブチと毛根が抜ける音がして、白髪の老人は思わず顔をゆがめる。
「……っ、ひぎぃ」
「いいか? 夢を見るな。これ以上、帝国の腐敗をさらすな。お前は、大佐格ですらもったいないんだから」
「ひっ……」
「それに、できないという言葉を吐くのはいいが、それならそれで僕は構わないんだぞ? であればお前は死ぬだけで、僕はなんの被害も被らない」
「や、やります!」
「やります?」
「……っ、やらせてください! お願いします」
ジルバ大佐は土下座して懇願する。
「まったく。やる前から難しいなどと。今回の功績を全部、ロレンツォ大尉の功とすればいけるだろう?」
「は、はい! やってみせます! 絶対に」
「……ヘーゼン少尉。どういうつもりだ?」
そんなやり取りを唖然と見ていたロレンツォ大尉だったが、自身の昇進に話が及んだところで、思わず口を挟む。
「どういうことって何がですか?」
「言っておくが、私はこんなやり方で上がる気はないぞ」
「そうやって逃げるんですか? 今、あなたは上層部の腐敗を目にしているんですよ?」
「……」
「帝国はその長い歴史の中で、着実に衰えてきてます。大樹の幹が腐ってきてるんですよ。上級貴族が主たる官位を占め、実力に応じた立身出世を望めない。古い枝葉を切り、新緑を育てなければ間違いなく滅びます」
ヘーゼンにとって、帝国は都合の良い餌に過ぎない。それは、巨大な力を持っているが、その中で新興勢力を興すには、既得権益を占めているものたちを一掃する必要がある。それには、優秀な人材を揃えなければいけない。
「君はなにが目的だ?」
「私は、私の認めた人が帝国の上に居て欲しいだけです」
自身の立身出世など、最たる問題ではない。己が帝国の実権を握った後、強大な力を持つ国家であることこそが最重要事項なのである。
「しかし、このようなやり方は私は好きではない」
「クク……強情な人だ。しかし、あなたが受け入れなければ、私はいつでも手を引きますよ」
「……」
「そうなって困るのはジルバ大佐方とその家族だ。別に、あなたがそれで平気なら、私は構いませんがね」
「ひっ……ロレンツォ大尉。頼む。後生だから、ヘーゼン少尉の言うとおりにしてくれ。でないと、私の家族が……私の家族がぁ」
ジルバ大佐が土下座しながらロレンツォ大尉の裾を引く。そんな哀れな様子に、思わず目を背けながら、実直なる軍人はヘーゼンを睨みつける。
「……言っておくが、私は君を評価しないぞ」
「どうぞ」
「どれほどの功績をあげようが、帝国軍人として誤った手段を講じるのであれば、それは野盗にすら劣る」
「もちろん。私も、本来、こんなやり方は好きではない。謀略などは、仕掛けられれば応戦するが、褒められたものではないし、評価されたくもない」
それは、ヘーゼンにとっては本音だった。しかし、そうせざるを得ないほど、世の中には目を覆いたくなるような汚物が多すぎる。
「……ヘーゼン少尉。モスピッツァ中尉がいない今、私は君の上官にあたる、実質的に君を評価するのは私だ。どのような評価も受け入れるか?」
「ええ」
「……」
ロレンツォ大尉は、しばらく迷っているように見えた。しかし、ヘーゼンにはそれが好ましく思えた。誰もが立身出世を望むのは当たり前のことだ。しかし、自分にその資質があるのかを自問自答することが重要なのだ。
「仮に私が引き受けなかったらどうする?」
「強要はしません。しかし、あなたはお人好しだから。きっと、この取るに足らない輩どもも見捨てられないのだと思います」
「……ヘーゼン少尉。仮に私が受け入れない場合。君はどうするのだ?」
「僕ですか? まあ、彼らも死刑になる代わりに、道連れにはしてこようとするでしょうから。この要塞をぶんどって、ディオルド公国にでも寝返りますか」
「……はぁ」
ロレンツォ大尉は大きくため息をついた。
「君を帝国から離すのは、あまりにも損害が大きすぎる。あくまで、監視役として、私がふんばることにする」
「そうしてください」
ヘーゼンは満面の笑みを浮かべて笑った。
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