売買
ひと通りジルバ大佐のことを老害呼ばわりしたヘーゼンは、向きを変えてシマント少佐の方を向く。
「さて。君とは最後に決めておくことがある。ヤンのことだ。僕は、彼女を買い戻したいのだが」
「ど、どうぞ。この小娘を大金貨10枚で買い戻して頂けるのなら」
「何を言っている? 支払うのは大金貨3枚だ」
!?
「なっ……いくらなんでも」
「不満か? なら、大金貨2枚でどうだ?」
!!?
「さ、下がってるじゃないですかぁ!?」
シマント少佐は泣きながら叫ぶ。
「これでも嫌なのか。じゃ、小金貨3枚」
「しょ……それは、あまりにも……馬の糞でもなんでも食らう。食らうから、どうか……どうか……」
「今更、そんなことをしてもらってもね。少金貨1枚」
「ひっ……お願いしますから……大金貨3枚で……いや、1枚でもいいですから」
「大銀貨5枚」
非常なる宣告は秒単位で行われる。値段が下がっていくセリ会場。ジルバ大佐もロレンツォ大尉もヤンも唖然としながら、その様子を見つめていた。
やがて。
「ひっぐうぅ……わかりました」
消えいりそうな声で、シマント少佐は頷く。
「聞こえないな。大銀貨3枚」
!?
「そ、そんな……わかりました! 大銀貨3枚でこの小娘を売ります! 売りますからぁ!」
「商談、成立だな」
ヘーゼンは振り返って黒髪の少女を見る。
「お帰り、ヤン」
「こ、こんな鬼畜な所業をした後で、なんでそんな爽やかな笑顔を向けられるんですか?」
「鬼畜? 心外だな。契約とは、あくまで両者の合意があって成立するものだ。それにしても、シマント少佐は酷いな。君を大銀貨3枚の価値だと思っているのだから」
「に、2度と人に対して『酷い』という単語を使わないでください」
ヤンは大きくため息をつく。
「まったく。変な子だな」
「だから、サラッと流すのをやめてください!」
「さて。雑談はこのくらいにして。バーシア女王の下に行きましょうか?」
ヘーゼンは立ち上がり、外出の準備を始める。
「えっ……私もか?」
ジルバ大佐が答えると、ヘーゼンはその白髪をガン掴みする。ブチブチブチっと、数本抜ける音がして、思わず老人は顔をしかめる。
「当たり前だろ? お前が大佐なんだから、その場で調印してさっさと終わらせるんだよ」
「ひぎぃっ……ごめんなさい、ごめんなさい」
「ヘーゼン少尉! やめろ!」
ロレンツォ大尉が、慌てて制止する。ジルバ大佐は涙ながらに彼の背中に隠れる。
「まったく。無能な上官とは厄介なものですな。もちろん、ロレンツォ大尉のことではないですよ」
「……君はもう少し、年長者に対する敬意を持つべきだな」
「年長者に対する敬意の根源は、年長者が若輩者よりも豊富な知識を持っているからです。こんな、チープな罠に引っかかってしまうような知識しか持ってない老人を、僕は敬うつもりがないんですよ」
「はぁ……本当に頭が痛い」
「大丈夫ですか? 体調が悪いようでしたら、医務室に連れて行きますが」
「……はぁ」
ロレンツォ大尉は、こめかみに手を当て、深くため息をついた。
「本当に調子が悪そうですね……わかりました。バーシア女王との会談はこっちでやっておきます。おい、早く準備しろ」
「い、痛いっ!」
ヘーゼンは泣き崩れているジルバ大佐とシマントを蹴って起こす。
「ヤン。とりあえず、行きながら契約魔法の条項について起票しろ。こいつを完全に服従させる契約書を作成する」
「わ、私だけ? この男はーー」
「シマント少佐は、もう破滅だろう? どうせ、堕ちていく男に利用価値などない」
「ひっ……どうか、勘弁してください! 許してください! 許してください! 許してください!」
何度も何度も頭を擦り付けて。シマント少佐は懇願する。涙も汗も鼻水も唾液も、おおよそすべての体液を流しながら、額に血が出るほどに。その様子をジッと見ていたヘーゼンは大きくため息をつき、やがて、シマント少佐の髪をガン掴みして、ヘーゼンは鋭い瞳を近づける。
「おい」
「ひっ……」
「このまま、少佐の身分でいたいか?」
「は、はい! 何卒……」
「僕の言うことをなんでも聞くか?」
「は、はい! なんでも聞きます! なんなら、馬の糞でも食べます!」
「……わかった。では、今回指示する命令に従えば、今のまま少佐の身分でいることを許してやる」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、約束だ」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
シマント少佐は何度も何度も地面に頭をこすりつける。
「では、行くぞ。時間がもったいない」
ヘーゼンはそう言って、歩き出す。ジルバ大佐とシマント少佐は慌ててその後をついて行った。
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