勝利


 部屋に入るや否や、カク・ズはめり込んでいるシマント少佐を見て焦る。


「どういう状況!?」

「ふっ……やはり、寝ていたな。まあ、先日の疲れがあるだろうから大目に見るが」


 そんなヘーゼンの言葉を無視して、カク・ズはシマント少佐を助けようとする。


「おい、彼は助ける価値のない男だぞ?」

「はぁ……ヘーゼン。人って、めり込んでたら引っ張り出すものだよ」

「……まあ、好きにしたらいい。君には僕の言うことを断れる権利があるからな」

「な、なんでカク・ズさんはよくて私は駄目なんですか?」


 ヤンがヘーゼンを睨みつける。


「彼とは学院からの友人だ。雇用関係はあるが、あくまで対等だ。だから、僕の依頼や提案に対して断ることなど自由だ。しかし、ヤン。君は金銭での従属関係だから、それを支払わない限り絶対服従だ」

「じゃ、支払えばいいんですか?」

「駄目だ」

「な、なんでですか!?」

「君は被保護者の立場だからそもそも契約を解消する権利がない」

「じゃあ、これでいいですか?」


 ヤンは一枚の洋皮紙を机の上に出す。途端に、先ほどまで余裕の表情を浮かべていたヘーゼンの顔色が変わる。


「委任状……いつの間に」

「私が契約書に目を通さないとでも思ってるんですか? この前、孤児院に帰った時にもらってきました。院長からしっかりと署名してもらってます。これでいいいですよね?」

「……しかし、仮に解消したいのならば大金貨10枚を僕に支払う必要がある。大方、ナンダルかバーシア女王を頼ろうとでも思ってるんだろうが、さすがにこれだけの大金は用意できないだろ」

「ふっふっふっ、ここにいるじゃないですか。ねえ、シマント少佐?」

「……えっ?」

「大金貨10枚支払って、私と再契約を結んでください」


 ヤンはニッコリと笑顔を浮かべる。


「なるほど。確かに、シマント少佐の家は上級貴族の家系だ。ついでに……モスピッツァ中位と親戚関係だったな」

「あ、あんな出来損ないのことは言うな!?」

「……そっくりだよ、皮肉にも」

「くっ……」

「しかし、まあ大金貨10枚なんて大金を支払うなんて思えないけどな」


 ヘーゼンは余裕の表情を浮かべる。


 それも当然だろう。大金貨1枚は少佐クラスの生涯賃金相当だ。その10倍などというのは、大佐クラスの生涯賃金を余裕で超える額だ。


「支払う」

「……なに?」

「支払うって言ってんだよ! ヘーゼン少尉! お前は頭と耳と性格が悪いのか!?」


 シマント少佐は、仰向けで動けないながらも、叫び散らす。


「……理解できないな。君が稼げる生涯賃金を超える額を出すというのか?」

「金じゃねーんだよ! 金じゃ……」


 この少佐という位に就くまでにどれだけの苦労を強いたか。次男という立ち位置で、家族にはいつも蔑ろにされていた。しかし、軍人というのは実力社会だ。上級貴族位でも少佐待遇は見る目が違う。


 どれだけ頭を下げてきたと思ってる。どれだけ、媚びへつらって生きてきたか。上官の言うことにはすべてYESしか許されなかった。そのためにガバダイ商会と癒着して、上官に賄賂を送った。


 この軍人としての地位が自分にはすべてなんだ。


「言っておくが、この額で口約束はなしですよ? キチンと契約書を結んで資産を確認して、整理してくれないと。あんたの能力であれば6ヶ月以上はかかると思うが」

「シマント少佐。私に任せてくれれば、1日で整理して見せますよ。契約書の条項には、その能力を確認するためにに試行期間が設けられてます」

「や、ヤン。君は……」


 初めて、ヘーゼンが焦ったような表情を浮かべる。シマント少佐は確信した。このヤンという少女こそが、この異常者のアキレス腱だったのだと。


「ククク……ハハハハッ! ハハハハハハッ! 無様だな! 奥の手をチラつかせてタカを括っていたか!? もう、貴様には極刑しか待っていない。今さら後悔したって遅いぞ? まあ、馬の糞を食べるって言うなら考えてやってもいいけどなぁ―――――――――! アハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「ちょ! シマント少佐! すーに挑発するなんて、なに考えてるんですか!? 殺されますよ!? 止めてください」


 ヤンが必死に止める中、ヘーゼンは心外そうな表情を浮かべる。


「……僕が野獣かなにかと勘違いしてないか? まさか、君がここで出しゃばってくるとは思ってなかった。合法的な契約破棄だったら僕にはどうすることもできないよ。カク・ズ。これ以上、不快な声を聞きたくないので、さっさとその男を医務室に連れて行ってくれ」

「わ、わかった」


 カク・ズは仰向けになっているシマント少佐の肩を貸して、部屋の外へと運ぶ。放心状態であったシマント少佐は、先ほどの光景を何度も何度も思い浮かべ、やがて、つぶやく。


「勝った……のか。勝った……そうだ、勝ったんだ!」


 あの化け物に。ロレンツォ大尉も他の中尉たちもできなかったことを。


「アハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 いつまでも、シマント少佐の笑い声が響き渡っていた。



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