謹慎(2)



「は、はぁ!? な、な、なんで!? どどどう言うことだ!?」


 シマント少佐が取り乱したように尋ねる。


「彼らは、私たちがディオルド公国と戦っている間に、大軍をもって要塞を攻撃し、すでに掌握してます」

「ぎょ、漁夫の利を取ったと!?」

「……いえ。どちらかと言うと、我々の恩人でしょう。なぜ、ディオルド公国の兵たちが撤退したのか判らなかったのですが、これで謎が解けました」

「ふざけるな! あの野蛮な猿ども……ふざけた真似を」

「しかし、おかげで兵たちは助かりました。ギザール将軍はヘーゼン中尉が倒したと言えど、流石に、数万の大軍を相手にするのは、こちらも数千単位の死傷者が出る」

「そんなことは関係ない! 見ておれ猿ども! 必ず要塞を奪い返してくれる」


 シマント少佐が指の爪をガジガジしながらつぶやく。


「あの……それは無理かと思います」

「無理? あんな蛮族の猿どもにミ・シル伯が負けるとでも!?」

「いや、そうではなくて。我々帝国とクミン族は、現在、5年間の停戦協定中です」


 遡ること3ヶ月前。ヘーゼンが締結したその制約が、ここに来て仇となっている。


「そ、そんな蛮族の犬との協定など、破ってしまえばいいではないか!」

「……破れば、帝国の信用度が下がります。格下の部族に対して、そのような行為に及んだのがば、各国にどう申し開きするんですか?」

「くっ……」


 シマント少佐は思わず口をつぐんだ。


 事態が変な方向に進んでいる。絶対絶命の危機を脱したにも関わらず、またしても帝国が……いや、この要塞運営が窮地に陥っている。


「では……今後5年以上、あの要塞には手を出させないと言うのか?」

「そうなります」

「……ぅばかぁな!」


 ジルバ大佐が発狂したように叫び、シマント少佐が荒々しく吠える。


「では、今後我々はどこを攻めていけばいいと言うのだ!? クミン族にディオルド公国との国境を塞がれたら、切り取れる領地がもうないではないか」

「……ひとつ、提案があるのですが、お聞きになりますか?」

「な、なんだ!?」


 ロレンツォ大尉は軍卓の上に地図を取り出して、線を引き始める。


「現在、帝国の支配地域はここです。ここは、クミン族から切り取った領地。しかし、我々が所有している北の山岳地域は実質的な利益はほとんどない」

「……そうか。領地交換か」


 ジルバ大佐がつぶやき、ロレンツォ大尉が頷く。


「あの要塞は、帝国にとって重要な拠点です。これまでクミン族から切り取った土地に加え、その他いくつかの土地を渡しても、お釣りが来ます」

「フフッ……なるほど。確かにあの要塞を手に入ることは、近年稀に見る快挙だからな」


 上官の満足気な声に、シマント少佐は惜しみない拍手を送る。


「さすがはジルバ大佐です。まさか、ミ・シル伯の力を借りずに、要塞を手に入れる方法を瞬時に思いつかれるとは」

「フフフ……やめてくれ」


 上機嫌なジルバ大佐は、棚に置いてあるブランデーをチラ見する。


「早速、交渉に入ってくれ」

「わかりました」

「あっ、ああ。ただし、この会合にはヘーゼン中尉は外してくれよ」

「……なぜでしょうか?」

「なぜ?」


 シマント少佐は首を傾げながら、ロレンツォ大尉を見る。


「軍で唯一クミン族と意思疎通の取れる隊はヘーゼン中尉の所属していた第4中隊です。なので、彼を外してやらせるのには不安があります」

「あ? そんなの誰でもできるだろう! 意思疎通さえ取れればいいのだから!」

「……帝国は長きに渡り、クミン族と交戦状態でした。新しい隊に担当させ、友好的な意思疎通が図れるとは思えません。あれは、ヘーゼンだからこそ成しえたことです」

「黙れ! たかだか交渉くらいでなにを言っている!? そもそも、あの無能は、不敬罪の嫌疑で謹慎だ!」


 そう叫んで、ロレンツォ大尉の胸ぐらを思いきり掴む。


「……直属の上官である私は、なにも聞いてませんが」

「私は貴様の上官だ。そして、貴様の上官の上官であるジルバ大佐が決めたことだ! なんか、文句あるか!? ああ!」


 シマント少佐は顔を近づかせ、ロレンツォ大尉の顔が微かに歪む。


「いえ」

「ふん、無能が! そんなことだから、ヘーゼンなどに舐められるのだ。ゲドル大佐、私にすべてお任せ頂ければ、蛮族の犬どもとの領地交換の交渉、整えて参ります」

「……何日でいける?」

「3日もあれば」


 シマント少佐は自信満々に答える。


「わかった。シマント少佐。すべて任せた。くれぐれも、ヘーゼン中尉や彼の息がかかった者は使うなよ」

「わかりました! 必ずや」

「すまないな。この件が成功したら、君を中佐……いや、大佐に推薦しておこう」

「ほ、本当ですか!?」

「もちろんだ。当面は、ケネック中佐が謹慎になり、君に中佐業務までをやってもらわなければならない。多大な負担をかけるがよろしく頼む」

「……ぅはい!」


 シマント少佐は感激に声を震わせながら返事をする。


「君は謹慎だ。どうやら反省が足りないらしいからな」

「……はい」


 ロレンツォ大尉は無表情でお辞儀をして、部屋を退出した。


 廊下を歩いて自室へと向かうと、部屋の前にはヘーゼンが立っていた。


「どうした?」

「いや、大変ですね。無能な上官とは、敵よりも厄介なものだ」

「聞いてたのか?」

「いえ。でも、そうなのでしょう?」

「はぁ……ここにいるところを見られるとまずい。私の部屋に行こう」


 ロレンツォ大尉は深いため息をつき、自室へと入った。


「私も謹慎になった。君といるところを見られるとまずいので、ここには来ないように」

「わかりました」

「クミン族との領地交換案。本当に君の名を出さなくてもよかったのか?」

「出せば、受け入れられない可能性がありますから。その様子だと、しっかり乗ってくれたようで安心しました」

「……彼らは君を外そうとしているぞ?」

「ご自由に。、別に誰がやったっていい。それが上官の権限ですから」

「やれない理由があるのか?」

「それは言えません」

「なぜ?」

「あなたが優秀な帝国軍人だからです」

「……」


 ロレンツォ大尉はその褒め言葉を警戒する。今後もこの男の発言には、ある程度のフィルターを持たなくてはいけない。ある意味で、ジルバ大佐やシマント少佐などよりも、心許せない怪物なのだから。


「仮に、私が言えば、あなたは帝国にとって最善の判断し行動しようとする。それは、あなたの立場を危うくするかもしれない」

「帝国軍人が、帝国のため行動することは当然の責務だ」

「もちろんです。ですが、あなたが思う帝国のための最適解と私の最適解は異なります」

「……私もまた無能だと言うことだな」

「違いますよ。あなたはご自身をいつも犠牲にしようとするところがある。私にとって、それは非常に困ることです」

「……やはり、無能だと言うことではないか」

「そうではありません。実直なだけです」


 ヘーゼンの答えに、ロレンツォ大尉は不思議な感情に襲われる。彼の言い方は、まるで引退間近の教師が、子どもを褒め称えるかのようだ。しかし、あり得ない。ヘーゼンは18歳であり、ロレンツォ大尉より10歳歳下だ。


「……まあ、いい。くれぐれも謹慎中に胃の痛くなるような行動は慎んでくれ」

「わかりました。ですが、それであなたの胃が治るかはわかりません」

「……ふっ」


 その発言を聞いて、多分無理だなと悟った。

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