モスピッツァ中尉(5)


「あぐっ……あぐぅうううう」


 泣きじゃくるモスピッツァ中尉に、ヘーゼンは大きくため息をつく。


「そんなに泣くなよ。そんなことじゃ、これから先の訓練は耐えられないぞ?」

「は、はひいいいぃ!」

「……はぁ」


 完全に戦力外だ。優秀な戦闘力をもつ軍人であるならば、有効活用しようと思っていたのに、これでは使い物にならない。


「いっそのこと殺すか」

「えっ!?」

「あっ、ああ。独り言だ、気にしないでくれ」

「……っ、全然気にしますよ! 嘘ですよね? 冗談ですよね?」


 モスピッツァ中尉の顔色が如実にひきつる。


「聞こえなかったのか? 独り言だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「し、しかし。絶対にやめてくださいね! それこそ、私は上級貴族なんですから……上級貴族?」


 その時、モスピッツァ中尉の表情が、ガラッと変わった。


「そうだったな。確か君は上級貴族だった」

「……そうだ。そうだよ。ヘーゼン少尉、貴様は平民出身だったよなぁ!?」

「おい、カク・ズ。拘束しろ」


 !?


「がっ……離せ……はぐうううううううっ、はうっがぁえあいい!」


 モスピッツァ中尉の小さな血肉の塊がボタッと落ちた。


「本当にわからない人だな君は。敬語を使えと言っているのに。まあ、質問には答えよう。確かに僕は平民出身だな」

「ひぐっ……ひぐぅっ……あ、あなたは……上級貴族……である私に……こんなことして……いいと思ってるのですか?」

「うん」

「……っ、平民と上級貴族の立場の違いを理解していないのですか?」

「もちろんしている。いったい、なにが言いたいんだ?」


 本当に意味不明な男だとヘーゼンはため息をつく。しかし、モスピッツァ中尉の瞳に、またしても力が宿る。


「あなたは! あ・な・たは! 平民の分際で上級貴族である私に傷をつけたのですよ? 帝国の法律では、当然極刑に値する行為だ」

「……っ」


 そう言い放った瞬間、ヘーゼンの言葉が止まった。そして、その額から汗が一雫流れた。その表情も、かなり沈んでいる。


「うわは、うわははっ、うわはははははっ、やっとわかったか!? 理解したか!?」


 モスピッツァ中尉は狂気的な笑みを浮かべる。


「……恐ろしい」

「そうだろう? 極刑だからな? しかし、もう遅い。ヘーゼン少尉。上級貴族である私に傷をつけたのだから! 今更、後悔したって遅すぎる!」

「まったく……本当に恐ろしいよ……君の学習能力の無さが」


 !?


「な、なんだと!?」

「もちろん、君が軍に所属してなければそうだが、軍人は等級が全てだ。年功序列、男女、身分、あらゆる区別、差別は除外して考えなければいけない。帝国の法律でもそう記している」

「……っ」

「と、5分前にそう叩き込んだと思った矢先にこれだ。あまりの無能に寒気がしたよ」


 それは、今までヘーゼンが行った指導が、すべて無駄であったことを意味する。なによりも無駄を忌み嫌う効率主義のヘーゼンにとっては、これにはかなり応えた。


 モスピッツァ中尉に費やす時間は生涯で30分以内と決めていたが、もしかすると1時間を要してしまうかもしれない。


「き、貴様……た、たとえ軍の中ではそうだとしても、私の実家が黙ってはいない。こんなことが明るみにでれば、絶対に貴様を極刑に処すぞ?」

「……そうかな?」

「な、な、なに?」

「モスピッツァ中尉。君は5男なので、当然だが継承権などはない。むしろ、上級貴族でありながら40歳オーバーで中尉格。相当な出来損ないと見ていい」

「……っ」

「もはや、実家には見放されていたんじゃないかな? だから、君のアイデンティティは中尉という軍人の等級に重きが置かれていた」


 モスピッツァ中尉は、思い出したかのように上級貴族のことを口にした。それは、彼の著しく低い記憶能力だけが原因ではない。


 自身にとっては重要じゃないことであるから忘れていたのだ。


「恐らく、相当なコネを使って将官試験を突破したのだろう。しかし、肝心な実力がなかったので、他人に威張り散らし、上官に媚びながら軍人生活を謳歌してきたわけだ……なるほど、そう考えると君の無能が一気に理解できてきた」

「……っ」

「そんな実家のお荷物である君が、いくら愚痴不満を書いたところで、耳を傾けたりはしないんじゃないかな?」

「そ、そんなことはない」

「いや、むしろ絶縁状態に近いんじゃないか?」

「そんなことないって言ってるだろぉ! なにを根拠にそんな発言をしている!?」

「だって、恥ずかしいだろ? 君みたいなのが家族だと」

「……っ」

「「「「……っ」」」」


 モスピッツァ中尉のみならず、聞き耳を立てていた第8小隊も、カク・ズも、すべての人が生唾を飲む。誰もが思っていることを口にしただけなのに、なにか不味かっただろうか。


「客観的な証拠で言うと、確か君は配属されて以来、一度も実家には帰っていない」

「ど、ど、どうしてそれを」


 モスピッツァ中尉から滝のような汗が出てくる。


「君は知らないだろうが、部下の休暇を計画するのも上官の務めなのだよ。これまでの、休日の記録や故郷への帰還歴などを見て、優先的に長期休暇の計画を立てようと思っていたのに、それが他ならぬ君だったとは……ものすごい皮肉だったよ」

「……っ」

「とにかく、どんな工作をしても構わないが、罰は受けてもらう」

「はっ!?」

「まずは、上官に対し、自身の貴族としての身分を傘にして軍の風紀を乱そうとした。杖刑10発」

「がっ……がががががががかっ……」

「そして、度重なる注意にもかかわらず、敬語を使用しなかった。タメ口を使った分だけ杖刑を課す。合計で、21発だな」

「へ、ヘーゼン。それだと、確実に死んでしまう」


 心優しいカク・ズが口を挟む。


「大丈夫だよ。3発毎に、僕が魔法で治療する。治ったら打たせる。それで、死ぬことはないだろう」

「ひっ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 モスピッツァ中尉は土下座しながら懇願するが、無視。


「だが……僕の時間ももったいないので、他の第8小隊の面々に頼むか」

「はいっ!」


 全員の声は、これ以上ないくらいに一致した。


「モスピッツァ中尉。これだよ、これ。上官の君がわからないとは、本当に情けない。っと、みんな。もちろん手心を加えたりした場合はその者にも杖刑に処すからそのつもりで」

「はいっ!」


 もはや、第8小隊の声は清々しいほどの満場一致であった。


「3発毎に、僕の部屋に連れてきてくれ。首に縄をかけて引きずってくればいい。あっ、だが絨毯は汚い血で汚すなよ」

「はいっ!」


 もはや、絶対服従の一手である第8小隊。


「で、でもヘーゼン。身体は大丈夫でも、肝心の精神がもたないんじゃ……」

























「ああ、大丈夫。があるから。じゃ、始めて」

「……っ」


 こうして、モスピッツァ中尉の断末魔は、深夜にまで響き渡ったと言う。


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