モスピッツァ中尉(4)


 ヘーゼンは自室を出て訓練所へと向かった。現在、中尉格として隊の運営を任されている身なので、馬で各隊を視察して回る。


 第4中隊は、隊員40名ほどの小隊が10隊編成されている。モスピッツァ中尉は、ヘーゼンがいなくなった後の第8小隊を任せているが、実質的な運営はバズ准尉(昇進させた)に一任している。


 ヘーゼンはモスピッツァ中尉の戦闘能力を見て、愕然とした。まず、乗馬がかなり下手だ。それは内陸の将官にとっては、必須のスキルである。しかし、『馬で走る』という単純な行為自体が、辿々しい。


 そして、魔法使いとしての腕も酷かった。能力としては少尉でも下の方なのではないだろうか。


 思わず、『なぜこんな無能が中尉だったのか?』とロレンツォ大尉に尋ねたところ、モスピッツァ中尉の親が第9位階の上級貴族だからだそうだ。


 要するに、いいとこの無能なボンボンなのだ。


 モスピッツァ中尉は知能が著しく低く、性格が陰険で、倫理性に乏しく、度量が皆無だ。なので、魔法使いとしての実力は、最低でも大尉の上位以上を期待していたのだが、完全にアテが外れた。


 各隊の見廻りを終え、最後に第8小隊までやってきた。さすがにバズ准尉は、ヘーゼンが見込んだだけあって問題なく小隊を指揮している。隊員たちも他の隊よりも動きが洗練している。


 そして、問題児であるモスピッツァ中尉に目を向けると、ヘーゼンは大きくため息をついた。


「モスピッツァ中尉。なぜ、乗馬が上達していない。もう10日だぞ?」

「……私だって努力している」

「おい、敬語使えよ」

「……っ」


 モスピッツァ中尉は信じられないものを見るように、こちらを見てくる。いったい、なんなんだろうか。


「君は将官だろう? 努力など当然であって、結果を出す義務がある。人を率いるとはそう言うことだ。将官の心得にも書いてあっただろう?」

「……言うのは、簡単だが実際には」

「次、敬語を使わなかったら杖刑に処す」

「……っ」


 モスピッツァ中尉は驚愕の表情を浮かべて、口をパクパクする。どうやら、こちらの優しさと配慮が伝わったようで、ヘーゼンは安堵した。


 3度の失敗までは、許すという特別待遇は、我ながら甘すぎると言わざるを得ない。


 まあ、ロレンツォ大尉から『お手柔らかに』と指示されてしまったから、仕方がない。これが、雇われ軍人の宿命と割り切ってやるしかない。


「君はなぜ僕が敬語を使わせようとしているのか、その本質はわかっているか?」

「……いえ」

「将官とは、必ず下士官の規範となるべき行動を取らなくてはいけない。でなければ、軍の指揮に影響するからな。これは、上位下達を徹底する風土が育たなければ成り立たない。よって、上官には常に敬語を使い、序列を乱さぬよう心がけなければいけない」

「しかし、年功序列もあります。ヘーゼン少尉は私より20歳下ではないですか」

「そ、そうなのか? それだけ生きてきてその能力とは、さぞかし無駄な軍人生活を歩んできたのだな」

「……くっ」

「おっと。話がそれたな。君は言わないとわからない人だから、言うよ。軍人は等級が全てだ。年功序列、男女、身分、あらゆる区別、差別は除外して考えなければいけない。決して、個人的な感情からの理由ではないのだよ」

「……」


 モスピッツァ中尉は不貞腐れたように下を向く。本当にわかってくれているのか、心配だ。


「だから、僕の歳などはまったく関係がない。むしろ、そんなこともわからないから、君はそんな歳でも少尉格に落とされるのだろう」

「……ぐぐっ。しかし、ヘーゼン少尉が上官であった私に忠実だったとは思えませんがね!」

「それは君が無能だからだろう?」

「……っ」


 モスピッツァ中尉が激しくこちらを睨みつけてくる。なんでだろうか。ただ、事実を淡々と伝えているだけなのに。


「上位下達の根幹は、上官が必ず下士官よりも優れた見識と判断力を有すると言うことだ。君みたいに、個人的な利益を享受するために、発言の言葉じりを責めたてたりするような低能な輩は、排除されて然るべきなんだよ」

「……」


 なかなか言っても理解してもらえないのが、もどかしい。正直言って、この男を更生させるのは、難儀なミッションだ。しかし、ヘーゼンは軍人である。当然、部下の育成も業務内なので、力は尽くさないといけない。


「矛盾していると思うかもしれないが、僕はむしろ、異論・反論は大いに結構だと思っている。自由な議論は、判断を柔軟にさせるからな。ただ、軍人としての規律は守らないといけない。俗な言葉で言うと、ケジメってやつだな。わかったか?」

「……」

「次、返事がなければ杖刑に処す。わかったか?」

「……ぁい」

「おい、カク・ズ。モスピッツァ中尉を拘束しろ」


 !?


「へ、返事したじゃないですか!」

「聞こえなかった」

「そ、そんな……ひぎぃ!」


 尻を魔杖で叩くと、モスピッツァ中尉のズボンに赤い染みがジンワリと浮き出てくる。牙影も、こんな汚いケツを叩くような使い方は不本意だろうと、ヘーゼンはため息をつく。


「いいかい? 返事とは、する相手に聞こえなければ意味がないんだ。意思を伝えるものだからな。まさか、こんな幼児に説明しなければいけないことを、将官にしなければいけないとは思っていなかったが、まあ、それが軍人としての責務か」


 ヘーゼンは大きくため息をついた。


「……ひっ、ひっ、ひっ」

「さっ、いつまでも泣いてないで、早く馬に乗れ」

「し、しかし尻に血が出て……」

「自業自得だろう? 痛みくらい我慢しろ」

「くっ……ひぎいいいいいっ」


 モスピッツァ中尉は、歯を食いしばりながら馬にまたがった。


「馬にも乗ることは、将官として必須事項だ。だから、下士官になめられるんだ。それを、権威で押さえつけていたようだが、そう言うやり方はするな。わかったか?」

「……」

「おい、カク・ズ。モスピッツァ中尉を拘束しろ」

「はい! はいはい! 返事しました! 今、しました」

「遅い」

「そ、そんな……はっぎいいいぃ!?」


 牙影でモスピッツァ中尉の尻を叩き、血がぶっしゃあと噴き出た。馬の立て髪が赤黒く染まる。


「あー。馬が汚れてしまったじゃないか。後で、キチンと掃除しておくように」

「ひっ……ひっ……ひっ……」

「おい、カク・ズ。モスピッツァ中尉を拘束しろ」

「ひいぃ! もう許してください!?」

「返事しなければ永遠に許さん」

「ひっ……ぎいいいいいいいいいっんんん」


 またしても、血が噴き出た。もはや、顔面は蒼白で、少し口から泡が噴き出ている。


「返事もまともにできないとは。君は将官なのだから、帝国軍人として規範を示す必要がある」

「あの……ヘーゼン」


 おずおずとカク・ズが言う。


「なんだ?」

「これ以上やると、モスピッツァ中尉死んじゃう可能性があるんじゃ……」

「別に構わない」


 !?


「ひっ……そんな」


 モスピッツァ中尉は泣きじゃくった顔をこちらに向ける。


「返事もできない将官など、いない方がマシだ。また、この程度の拷問で参ってしまうほどの薄弱な軍人もな。モスピッツァ中尉、いいかい? 僕は難しいことは言ってない。キチンと返事をしろと言っている」

「は、はいいいいいっ!」

「では、馬に跨れ」

「は、はいいいいいぎいいいいいっ!?」


 モスピッツァ中尉は泣きながら、立て髪が真っ赤に染まった馬の背中に跨った。

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