ギザール将軍


 それから、10日が経過した。結果として、事態は動かなかった。ディオルド公国との本格的な戦は、冬を越えた春に行うという軍上層部の判断だったからだ。ロレンツォ大尉はヘーゼンを自室に呼び出しそれを伝えた。


「すまんな、上層部を説得していたんだが、その間に最新情報が入った。最近、ギザール将軍が配属されたらしい」

「ギザール将軍?」

「知らないのか? 雷鳴将軍ギザール。正真正銘の強者だ」

「……どのくらいの実力で?」

「雷属性の魔杖を使う……と言えばわかるか?」

「なるほど」


 雷属性の魔杖は、属性魔杖の中でも最も希少で、強力であるとされている。高位の魔法使いは、自身の身体を雷に変化することによって、高速での動きを可能にするからだ。雷属性の代表格は四伯のミ・シルなど、歴史に名を残す魔法使いも多く輩出している。


「ギザール将軍は、大将軍に匹敵するんじゃないかと謳われている有能かつ好戦的な男だ。そんな強者に対抗するには、こちらもより強い魔法使いで対抗しなければいけない」

「……なるほど」


 要するに、北方カリナの要塞には、彼に対抗できる魔法使いがいないのだ。ディオルド公国の規模は中堅国家だが、大将軍級になると、こちらだと中将クラスの猛者が必要となってくる。


「春にはミ・シル伯が来てくれることになっている。彼女の能力は、ギザール将軍の上位互換だ。油断は禁物だが、遅れを取ることはあるまい」

「……こちらの意図が、あちらに漏れてないといいですがね」


 仮に漏れたとすれば、逆にディオルド公国が攻め込んでくる可能性もある。ミ・シル伯は大物中の大物だ。彼女の動きは、大陸中が注視している。


「冬での戦争がどれだけ無謀が、あちらも熟知しているよ。それに、『ミ・シル伯はクミン族討伐のためにこちらへ派遣される』という噂も流しておいた」

「……わかりました」


 上層部の判断にこれ以上異論を唱えるのも無駄だと、ヘーゼンは判断した。だが、紛れもなく予想外の盤面となっていると言っていい。


 軍令室を後にして、ヘーゼンは自室に入った。そこには、エダル二等兵がヤンのスパルタ教育を受けて発狂しそうになっていた。


「アル マナハ ララパラ デマ ロハリョ」

「違いますって。キチンと文脈に沿って意味を捉えてください。あと、やっぱりイントネーションが少し前ですね。一つ一つの言葉、ちゃんと聞いてます? この言語はイントネーションで意味が違う特殊言語ですから完璧にそれはやってください」

「……うっ、うわあああああああっ! うわあああああああああっ!」

「はいはい。大人なんですから、そんな駄々っ子みたいにしてないで。続けますよ」

「……」


 純粋に、末恐ろしい少女だと思った。大の男が取り乱して叫び出すのを、ケロッとした感じでいなしている。


 なかなか、習得が難しい言語なのか最近のエダル二等兵はずっとこんな感じだ。スケジュール自体は遅れていない。いや、むしろ進んでいるのだが、ヤンがドンドン課題を増やしていく。


 それ故に、エダルの睡眠時間は平均30分を切っていた。


「ヤン。君の方は課題をこなしたのか?」

「やりましたよ、もー。私、エダルさん教えてて忙しいのに……」

「そ、そうか」


 ブツブツ文句を言いながらも、ヘーゼンの作った試験を満点で提出する怪物級少女。言語の体系学、生物学、医療、商学の基礎をキッチリとマスターしている。まったくもって、末恐ろしい少女である。


「交易の方は順調に進んでいるか?」


 小声でヤンに尋ねる。基本的にヘーゼンは人を信頼しない。なので、軍人であるエダル二等兵には、情報を隠している。仮に漏洩しても追及されることはないよう理論武装しているが、リスクは少ない方がいい。


「ええ。ナンダルさんは、すでに勾玉を卸し、市場に売り出してます。今度、質のいいものを持ってくると言ってました」

「……なるほど。考えたな」


 木を隠すなら、森。勾玉の中に紛れ込まされることで、宝珠の存在がバレるリスクを少なくしていると言うことか。


「勾玉は帝国では流通が少ないので、市場価値が高いんです。公然と交易できるようになって、ナンダルさん、喜んでました」

「そりゃ、何よりだな」


 互いに利益を享受できる関係は、長続きする。ナンダルとは秘密保持の契約魔法を結んでいる。当初、宝珠の話に驚きはしたが、快く引き受けてくれた。


「ああ……ただ、市場価値というのは、希少性が高いほど高く売れるものだ。一気に多く出回ると、勾玉自体の値段も下がる可能性もあるから注意してくれ」

「言わずもがなです。ナンダルさんは、そこらへんの感覚には長けてますのでご心配なく」

「そうか」


 ヘーゼンは頷き、それ以上は聞かなかった。ヤンがお墨付きをするのだから、信用してもいいだろう。この少女は、他の者とは次元が違う。能力的な面では疑いようもない。


 これは、あくまでヤンの個人的な経済活動の促進であり、ヘーゼンは知り合いと言う立ち位置でこれを助けただけである。法律と言えど抜け道は用意されているのだ。


 法律とは、流動的なものだとヘーゼンは見なしている。執行する者の権勢、国家の情勢、適応状況、対象者、事象によって、さまざまなケースが考えられる。


 何よりも、バレなければ捕まらないし、バレたとしても揉み潰せばいい。できなかったとすれば、最悪執行者を全員処分すればいい。ヘーゼンにとって、法律とはその程度のものだ。


「では、こちらの目当てのものを用意してくれと言っておいてくれ。あと、この手紙を渡してくれ」

「……嫌な予感しかしないので、嫌ですけど、まあ、わかりました」


 ヤンは大きくため息をついて、それを受け取った。

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