モスピッツァ中尉(3)


 モスピッツ中尉は、今にも泡が吹きそうなくらい驚いていた。


「ろ、ろ、ろ、ロレンツォ大尉」

「聞かせてもらったよ。部下の報告を自分の都合のいいようにねじ曲げるのは、感心しないな?」

「ち、ち、ち、違います! なにか……その失礼があったらいけないので……その……」

「モスピッツァ中尉。君の無礼・失礼は聞こえてきたが、ヘーゼン少尉に失礼なところなどはなかったよ」

「ひっ……あの、どこまで……」

「最初からだ」

「へ? 最初?」

「君とヘーゼン少尉の会話の最初から。私は扉の外で立っていたんだ」

「はぐぅわぁ……な、なんれですか?」


 ボタッ、ボタと、モスピッツァ中尉の口から、涎が下垂れ落ちる。舌の呂律も回っていない。どうやら、気が動転すると口内が制御できないタイプらしい。


「要塞に帰って来たと言う報告を受けて、ヘーゼン少尉を待っていたんだ。もちろん、すぐに聞きたかったが、『モスピッツァ中尉からロレンツォ大尉には絶対絶対絶対絶対、先に報告をするな』と釘を刺されているとのことだったので、少尉と君に配慮して外で待たせてもらったんだ」

「へ、へ、ヘーゼン少尉……貴様ぁ!」

「……」


 知らん顔。完全に計ったのだが、意図しなかった表情を浮かべる。ヘーゼンとしては、上層部にキチンと伝わるように、一つや二つの失言を聞かせれば十分であった。


 しかし、この男が吐く台詞のほとんどが失言で、もはや失言に聞こえないほど清々しく感じていた。一方で、ロレンツォ大尉はモスピッツァ中尉を不快そうに見つめる。


「責める相手が違うだろう? 卑しくも、君は彼の功績を掠め取ろうとした。しかも、無理矢理にだ。恥を知りたまえ!」

「ひっ……」

「君には、中尉は早かったかもしれないな。上層部には、停戦協定の成功と君の少尉への降格人事を申し入れておこう」

「そ、そんな……では、誰が中尉に?」

「まあ、功績としてはヘーゼン少尉を推すべきだろうな。


 !?


「そ、そ、そ、そんなバカな!?」

「ロレンツォ大尉、いいんですか? 私は帝国を蝕む害虫は踏み潰しますよ」


 ヘーゼンはモスピッツァ中尉を睨みながら、手のひらで真っ二つになった害虫を地面に落とし、足でグリグリとすり潰した。


「ひぷっ……」


 真っ赤な絨毯に残る粉のような死骸を目の当たりにしたモスピッツァ中尉は、よだれを撒き散らしながら、ロレンツォ大尉のズボンに抱きつく。


「ひ、ひいいいいっ……どうか、どうか、どうかぁ」

「……ヘーゼン少尉。今回の沙汰は、あくまで暫定だ。中央が正式に通達するまで、時間もかかるだろう。あくまで等級は少尉だが、『中尉格の権限を有した』と解釈してもらいたい」

「なるほど。わかりました」


 暗に、『ほどほどにせよ』とのお達しなのだろう。ロレンツォ大尉は温厚で柔軟な人柄の軍人だ。このように弱者を痛ぶるのは好かないのだろう。


 しかし、ヘーゼンは違う。弱者か強者かなどはどうだっていい。自分の敵は敵としてキッチリと処分する。


「ロレンツォ大尉。ただ、ひとつだけお願いがあります」

「なんだ?」

「モスピッツァ中尉は、第4中隊に配属するよう進言頂けないでしょうか?」

「ひぺっ!?」

「なぜだ?」

「中尉は、隊の下士官に横暴を働く悪癖があります。他の中隊配属になれば、その部下たちが可哀想です。その点、私の目に止まる隊ならば、そのような事をすれば、即刻処罰できます。徹底的に」

「……わかった。しかし、報復はするな」

「まさか。ただ、腐った性根は叩き潰すだけです。徹底的に」

「ひっ……ひっ……ひぴっ……」


 モスピッツァ中尉が口から泡を吹きながら、地面に両手を置き、泣き崩れた。そんな様子を眺めながら、ロレンツォ大尉は苦笑いを浮かべる。


「しかし、大したものだな。配属されて1ヶ月も経たない間に、中尉に昇進とは」

「そんなことよりも、すぐに次の手を打つべきだと思います」

「次の手?」

「ディオルド公国との戦争です。今ならば、あちらはクミン族との停戦協定に気づいていない。その間に、相手方の要塞を落とすべきかと」

「上層部としても、そのような話は出てきていた。しかし、今は時期が悪い。大軍を興すだけの食料がないんだ」


 通常、国境警備は自ら攻めるようなことはしない。なので、食料備蓄も限られている。そして、中央から食料を運ぼうにも北方の積雪が原因で時間がかかる。


「ならば、我々だけでやりましょう」

「……我々だけ、とは?」

「第4中隊のみで、要塞を攻略するのです」

「それは……いかに、ヘーゼン少尉でも無理があるのではないか?」


 ロレンツォ大尉は驚きを口にした。敵の要塞には、少なくとも5千の兵がいる。想定していたのは、少なくとも3万の軍勢だ。


 それを、4百足らずで攻めるなどと言うのは、夢物語にも等しい。


「もちろん、後続隊は準備していただきます。砦の制圧のために。しかし、開門まではこちらですべて段取りします」

「……一度、軍にあげて検討しよう」

「急いだ方がいいと思います。でなければ、この停戦協定が、むしろ悪影響を及ぼす危険がある」

「簡単に言うな。ここでの膠着状態は10年前から続いている」

「しかし、停戦協定で時は動きました。互いに攻め手を欠いた頃とは違う」

「……よく、考えさせてもらう」


 ロレンツォ大尉は、去った。

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