文章


 午後の訓練では、モスピッツァ中尉なりには頑張っていた(あくまで、彼なりにではあるが)。だが、それ自体かなりどうでもいいことだった。


 ヘーゼンは2秒ほど彼を視認した後、思考は彼以外の第8小隊に向く。やはり、バズ准尉はいい指揮をする。本来であれば、即刻少尉に取り立てたいところだが下士官はそこまでしか昇進することができない。


「法律を変える必要があるな」


 ヘーゼンはつぶやく。どれだけ無能なモスピッツァ中尉でも、落ちて少尉まで。どれだけ優秀な准尉でも、生涯准尉止まり。それでは、彼らのモチベーション低下に繋がりかねない。


 そんな中、モスピッツァ中尉は呼んでもいないのに、訓練の合間に、わざわざこちらにやってくる。


「はぁ……はぁ、はぁ。ヘーゼン少尉。どうですか?」

「……」


 汗だくになりながら必死アピールをしてくるのが、ひどく鬱陶しい。そもそも、体力がないから息切れするのであって、第8小隊の下士官は軽くこなしているメニューである。


 まあ、それでも。少しはマシにはなってきたか。


「バズ准尉。後で、チュモ曹長の日誌を渡す。モスピッツァ中尉が少しでも手を抜いたと感じたら、この日誌をチラつかせて杖刑に処せ」


 !?


「ちょ、ヘーゼン少尉!?」

「瞬発的な君の努力など信用できる訳ないだろう? あくまで、マイナス100の評価がマイナス99.999になっただけだ。物事は積み重ねだから、このまま継続してみせろ」

「……っ」


 モスピッツァ中尉は、『信じられない』と言った表情を向ける。しかし、別に構わない。こっちだって、全然信じてないから。


 その後、各小隊を見て周り、ひと通り小隊の戦力分析は終わった。どの隊も国境警備の最先端だけあって、申し分ない戦力を備えている。


 ヘーゼンは各小隊の少尉・准尉に訓練の計画を作成させ提出させた。そんな中、一人だけ遅れている者がいた。マルデ准尉。目の下に酷いクマができているので、体調が悪かったのだろうか。


「……君だけ提出が遅れているな」

「も、申し訳ありません! 徹夜でやったんですが……俺は平民出身なので、誤字・脱字が多くて、まだ修正してて」

「なんだ、そんなことか。読めればいいだろう。貸してみてくれ」


 ヘーゼンはパラパラと資料をめくる。その中で、誤字・脱字を赤色の筆で添削していく。やがて、資料は真っ赤に染まる。


「いいんじゃないか? 隊員の特性もよく捉えている。次からは、多少間違っていてもいいから期限には必ず出すことだ」

「は、はい。しかし読みにくかったのでは? 申し訳ありません」

「まあ、読みやすいに越したことはないから、一応修正しておいた。しかし、大事なのは内容だ。そんな付属的なものに捉われて、本質的なところが疎かになるようだったら、別に今のままでいい」

「……はい! ありがとうございます」


 マルデ准尉は、深々と頭を下げる。


「ん? お礼を言われることなどしていないが」

「実は、いつもモスピッツァ中尉に怒られてたんです。誤字・脱字があれば2時間以上説教されることもありました」

「はぁ……各小隊の資料がやたら綺麗だとは思っていたが」


 あの中尉。そんなところでも余計なことをしていたのかと、ヘーゼンはため息をつく。


「各小隊の少尉・准尉に伝えてくれ。資料など、最低限読めればいい。誤字・脱字もある程度は許容するから、肝心の中身に力を入れてくれ、と」

「わかりました!」


 マルデ准尉は嬉しそうに、部屋を後にした。


「……なんで、私には誤字・脱字に厳しいんですか?」


 隣で聞き耳を立てていたヤンが不平を口にする。


「君は言わずもがな中身が伴っているからな。誤字・脱字もないに越したことはない」

「なによ。全然、私には優しくない。私にだけ」

「なにをブツブツ言っている?」

「部下に発揮する優しさの10分の1くらいは、私に優しくしてくれたっていいじゃないですか!?」

「優しい? いつ、僕が部下に優しくした?」

「今です!」

「別に優しくしてない。当たり前のことを指示しただけだ」

「じゃ、私が誤字・脱字しててもいいんですね?」

「君はダメだ」

「わーん! なんでですか!?」


 喚きながら、殴りかかってくる少女の襟を掴みながらヘーゼンはため息をつく。


「ヤン、君は僕の代わりに資料を作成しないといけないから、誤字・脱字とかで上官の評価を落としたくないんだよ」

「だ、代筆させようとしてるんですか?」

「文系の分野は、君の方が優れているように感じる。僕もある程度は頭に入れてるが、最終的にはセンスがものを言うからな」


 性格的にも、ヤンは戦闘型ではない。もちろん、魔力が備われば訓練もさせるが、彼女の本質は別にある。


 研究の分野に特化させるのも面白いと思った。その中では、必ず論文作成が必要になる。そんな時に、誤字・脱字があるのは、時間のロスになる。


「わかるか? 彼ら軍人と君は違う。文官は、文書を生業とするのだから、誤字・脱字にこだわる人も多い。だから、意識的にそれをなくす訓練が君には必要だと言うことだ」

「ぐぬっ、ぐぬぬぬぬぬぬぬぬっ」


 ヘーゼンはヤンの頭をグリグリとなでる。


「もちろん、早さが重要な場合も多い。そんな時には誤字・脱字にとやかく言うつもりはない。必要な時に必要な事をやってくれればいい。それが、できてないから注意するんだ。わかるね?」

「わ、わかんないですよ!」


 そう喚きながらもヤンは、戻ってエダル二等兵にクミン族の言語を教えていた(いつもより厳しかった)。

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