ナンダル


 部屋を後にしたヘーゼンは、その足で、クミン族の捕虜が収監されている地下の檻へと向かった。階段を降りていくと、ワイワイと楽しげな声が聞こえてくる。


「イルハ ロナ バハロ キル」

「ダグ ニホラ ゴル カナ」


 すでに、2人は会話を始めていた。ヤンが幼児の風貌だからか、警戒心が薄い。割と盛り上がっているようだ。ヘーゼンはクミン族の捕虜に気づかれぬよう、少し離れて座る。


 ヤンは気配でこちらに気づいたようだが、構わず捕虜と会話する。ヘーゼンは、護衛士のカク・ズを手招きで呼び、エダル二等兵を呼び出すよう指示をした。


 やがて、エダル二等兵が入ってきた。ヘーゼンは、近くに呼び寄せて小声で話し始める。


「ヤンとクミン族の会話をすべて記録して、後からヤンに訳させろ。それも、すべて記載するんだ」

「はい。わかりました」


 エダル二等兵はすぐに羊皮紙にペンを走らせる。


「それから、私の部屋に常駐し、僕と一緒にクミン族の言葉を学べ」

「……少尉の部屋でですか?」

「問題か?」

「い、いえ! 決して、そんな。ただ、畏れ多いなとは」

「皇帝でもあるまいし、気にする必要はない」

「……」


 思わず苦笑いを浮かべるエダル二等兵。それがなぜだかは、ヘーゼンにはわからなかった。


「僕は1週間で大方マスターする予定だが、君は1ヶ月を目処に覚えるようにしてくれ」

「い、1ヶ月ですか?」

「これは特殊任務だ。その期間の軍事訓練はすべて免除。クミン族の言語に関する文献はないので、君がこれから記す言葉がそのまま教材となる。聞き漏らすな」

「……はい」


 エダル二等兵は不安そうに返事をする。期間はないと思うが、やってもらわなければならない。1週間毎にテストを交えてレベル毎に睡眠時間と自由時間を設定することも伝える。


「君には、ヤンと僕が去った後の、クミン族とのパイプ役をやってもらう。非常に重要な仕事だ。課題をこなせば一等兵に格上げだ」

「えっ!?」

「言っただろう? 僕は能力と成果に見合った褒賞を準備すると」


 通常は4、5年ほどかかる位上げが、わずか2ヶ月足らずで行われることになる。しかし、ヘーゼンは気にしない。成果主義とはそういうものだ。説明を終えると、エダル二等兵が、ゴクリと生唾を飲む。


「……ちなみに、ヘーゼン少尉も軍事訓練は指揮されないのですか?」

「やるよ。指揮官だからな。日々の業務もすべてこなす」

「そ、それで、1週間でマスターですか?」

「僕のことは気にしなくていい。君とヤンの会話を聞いているだけで、十分だ」

「……っ」

「なにを驚いている? 僕は複数の物事を同時にこなす訓練をしているからできる。君もトライしてみるといい。そうすれば、活用できる時間は何倍にもなるから時短になる」

「あの、理屈はわかるのですが。誰もがそれをできる能力があるとは限らないのでは?」

「僕はやれない者には提案しない」

「……やってみます」


 エダル二等兵がやる気になってくれたので、ヘーゼンは笑顔で頷く。そんな中、ひと通り会話が終わったヤンを近くに呼び寄せた。


「なんですか?」

「君の他にもう一人いるだろう? クミン族の言葉が使える者が」

「……なんで、そう思うんですか?」

「言葉の学習方法は大きく2種類。本能的に学ぶ手段と体系的に学ぶ手段だ。前者は、幼少期に感覚的に教え込まれることが多い。後者は、言葉の仕組みを理解し、習得する。いわゆる、第二言語というやつだな」

「……」

「この2つは言語変換のアプローチが全く異なる。ヤン。君は言葉を聞いた後、脳内で第一言語に変換している。若干だが、そんなタイムラグを感じた」

「……その通りですけど、こわっ!」

「なにがだ?」

「全部見透かされてるみたいで、気持ち悪いです」

「じゃ、お互い様だな。なんでわからないのかが、僕には全然わからないから、気持ち悪い」

「こ、こんな小さな女の子に向かって吐く言葉ですか!?」

「無駄話はこれくらいにして、どんな人物なんだ?」

「くっ……ナンダルという知り合いの商人です。なんで話せるかは知りませんけど」

「連れてきてくれ」

「なにを企んでるんですか?」

「商売の話だよ」

「軍人に必要なんですか?」

「一日中、軍人として行動してるわけじゃない。それに、人に委託するのは、軍規違反ではない」

「……でも、私とナンダルさんとの関係性もあるし」

「君の意見は聞いてない。やれ」

「……っ」


 とヤンの頭をグリグリと抑えつける。少し威圧すると、落ち込む精神虚弱者もいるが、この少女はそうではない。むしろ、叩けば叩くほど強くなる。前に出ようとする。ヘーゼンの好きな性格だ。


 ただの天才では、ヘーゼンは物足らない。そんなものは、所詮紛い物で本物の強さではない。成長するためには、図太さ、反抗心、向上心などあらゆる精神的要素が不可欠だ。


 ヤンはムキーっと怒りながら、階段を荒めに上がっていった。

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