停戦協定


 ロレンツォ大尉が驚くのも無理はない。6歳と言う年齢は、たとえ貴族でも、やっと文字の読み書きを始める頃だ。平民なら家業の手伝いを始める頃だが、それでもやっと自国語の言葉を流暢に話せるようになるくらいである。


 異民族との通訳ができるほどの6歳児など、前代未聞だろう。


「冗談だろう?」

「ただの子どもではありません。その女の子の名前はヤンと言いますが、非常に頭がよく、すでにクミン族と交易をしているようです」

「……にわかには、信じがたいな」

「ヤンは、彼らの習慣や礼節にも詳しいです。『帝国の子どもでも乱暴すれば追放される』という、クミン族の掟を利用したようです」

「……仮にそうだとしても、異様な風貌を持つ彼らの懐に入り込むなど、剛気な少女だな」


 ヘーゼンは頷きつつも、理解を示してくれたことに安堵した。正直、ヤンの説明が一番難しいと思っていた。


 ロレンツォ大尉は、かなり思考が柔軟なようだ。本来なら、笑われ、一蹴されてもおかしくない話だ。


「そこで、ヤンを通訳役として、私の下に置いて頂きたいのです」

「なぜだ? 雇うだけなら、この要塞に置く必要はない」

「私もある程度はクミン族の言語や文化を知る必要があります。それには、共に生活をして覚えるのが効率がよいのです」

「……具体的な段取りを教えてくれ」

「まずは、ヤンにクミン族の捕虜を世話させます。それから、十分に信頼関係ができた時、交易のツテを頼って停戦協定をします」

「随分と簡単に言うな」

「やったことがないことは、取り敢えずやってみるのが一番かと。それに、失敗して関係が悪化したところで、今の関係と大差があるわけではない。そういう意味では、リスクは少ないです」

「……しかし、失敗すれば交渉役の君も、そのヤンという少女も殺される可能性が高いのでは?」

「ヤンは子どもなので生かされるでしょう。しかし、私はなぶり殺しにされるでしょうね」


 もちろん、失敗したからと言って、むざむざ殺される気などは毛頭ない。しかし、ここではそう言った方が、こちらの覚悟が大きく伝わる。命懸けの訴えは、誰であろうと重く受け止めるものだ。


「……成功する見込みがあるのだな?」

「はい。私は自殺志願者ではありません。自らの命を投げ捨てるような博打はしません」

「わかった。私の責任で上申しよう」

「ろ、ロレンツォ大尉! 本当にいいのですか? 少尉風情の意見を取り入れて、もし失敗したら」


 モスピッツァ中尉が慌てて口を挟む。


「安心してくれ。中尉の名前は出さない。あくまで、私の独断で彼の意見を上申するまでのことだ」

「……別にそう言う心配をしてるわけではないのですが、わかりました」

「……」


 言い訳しながらも、案外簡単に引き下がるモスピッツァ中尉。要するに、自分では責任を取りたくないのだろう。


 この男は、そう言うクズだとヘーゼンは認定した。


「しかし、もしクミン族との停戦協定が結ばれるとなると、相当な戦果になるな。ヘーゼン少尉、君には特別大功を授与される可能性もある」


 特別大功は、非常に大きな功績を挙げた者に送られる褒賞である。金銀財宝の他、地位なども格上げされる。


 通常、少尉から中尉に昇進するのは6年ほどの歳月がかかるが、年内に中尉格上げの可能性が出てくる。その話を聞いた時、モスピッツァ中尉の顔色が一瞬にして引きつった。


「そ、それは、ヘーゼン少尉個人に特別大功ということでしょうか?」

「当たり前だろう? 今回の作戦を立案・実行するのは彼だ」

「しかし、この男の無謀な上申を承認したロレンツォ大尉、上官方の度量が素晴らしいという事では? 決して彼個人の功績にしてはいけないと思います」


 モスピッツァ中尉はことさら『など』を強調する。要するに、自分に功績が回ってこなければいけないと主張しているのだ。これには、さすがのロレンツォ大尉も呆れ顔を見せる。


「承認した程度で特別大功など授与されれば、毎年誰かが貰っているよ」

「し、しかし、少尉の分をわきまえねばなりません。組織の代表として、最低でも中尉クラス。そうでなければ他に示しがつきません」

「き、君が貰うと言うのか?」

「まあ、慣例で言うとそうなります。部下の功績は、一つ上の上官が代表して授与されるのが常です」

「……っ」


 ロレンツォ大尉は、思わず口を開けたまま黙ってしまった。確かに、前回、特別大功が授与されたのは、8年前。現在上級貴族第4位。軍人のトップ『四伯』のミ・シルがゼオルド連合国の都市を急襲した時だった。当時の彼女は中尉であり、これも当時は『上官の大尉が授与されるべきでは』と議論を呼んだ。


「モスピッツァ中尉。しかし、君は……その、特別大公を授与するに値すると?」

「僭越ながら、そう思います。私はこれまで、帝国のために人生を捧げてきました。これからも、その熱い想いだけは誰にも負けないと自負しております。中尉としての経験も長く、少尉となって1ヶ月足らずの者よりは、よほど資格があると思います」

「……本気なんだな?」

「はい」


 モスピッツァ中尉は淀みなく返事をする。そんな彼の様子をジッと眺めていたヘーゼンは、フッと笑顔を浮かべる。


「まあ、特別大功などもらえる確約もない。私は成功させることに尽力したいと思います」

「すまないな、ヘーゼン少尉。モスピッツァ中尉も、悪気があるわけではないのだ。帝国に対する情熱も強いので、つい空回りしてしまう部分もあるのだと思う」

「はい。私は帝国をこよなく愛し、命懸けで尽力する所存であります。ヘーゼン。貴様など、所詮は配属1ヶ月の少尉風情だ。分をわきまえろ」

「……」

「と、とにかく、クミン族の話はわかった。他に言いたいことはあるか、ヘーゼン少尉?」


 そう尋ねられると、黒髪の青年は少し考え、やがて口を開く。


「世間話など、ひとつ」

「……世間話?」


 ロレンツォ大尉が怪訝な表情を浮かべる。


「大尉はジルサス=ザラという軍師をご存知ですか?」

「……帝国がまだ小国であった頃に功績を残した英雄だったな。私は歴史には疎いので、聞いたことはある程度だな」

「彼の優れた軍略や思想には私も見習いたいなと思っております。ある時、彼は、人を四種類に分類して用兵を行うことを決めたそうです」

「四種類?」


 ヘーゼンは頷く。


「まずは、やる気があり、能力のある者。これは、前線での指揮官タイプ。次に、やる気がない、能力のある者。こちらは、後方での軍師タイプ」

「なるほど、それは面白いな」

「そして、やる気がなく、能力のない者。これは、前線の兵卒タイプ。使い物にならないなら前に出て強制的に戦わせろということです」

「ははっ。確かに」

「……最後にやる気があり、能力のない者」

「気になるな。それはどんなタイプなんだ?」


 ロレンツォ大尉が尋ねると、


 ヘーゼンがモスピッツァを見て。


 冷酷な視線を向けて。


 つぶやいた。


















「彼はこう言ったんです。すぐ、殺せと」




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