呼び方
15分後、ヤンの荷物をひと通り片付けた。とは言え、持参したものはかなり少なかった。孤児院は共用物が多いので個人の持ち物などは、ほとんどない。
「ベッドは僕が使うので、君は毛布を下に敷いて寝てくれ」
「わかりました。あと、ヘーゼンさん」
「ん?」
「このコップ、私も使ってもいいですか?」
「……毒を盛られる危険もあるから、分けた方がいいな」
「ど、どれだけ周囲から反感買ってるんですか!?」
「別に買ってない。リスク回避として言っているだけだ。わかった、軍に申請して支給してもらおう」
『絶対に買ってると思う』というヤンの妄言を無視して、ヘーゼンは支給申請書を作成する。
これで、一応は共同生活できる環境が整った。
とは言え、この要塞におけるヤンの立ち位置も微妙だ。今は、クミン族との通訳として特例での雇用を申請しているが、彼がいつまで捕虜のままでいるかわからない。
要塞は軍人以外の立ち入りが禁止されている。もちろん、すべての要塞運営を軍人だけでは賄えないので例外はある。それは、料理人、護衛士、秘書官、交易商だ。
しかし、護衛士はカク・ズで埋まっているし、秘書官は中尉以上でなければ持つことができない。交易商も、要塞に常駐する訳ではない。
「……」
カク・ズを軍に編入させ、ヤンを護衛士にすることも考えたが、そうなればカク・ズがどこに飛ばされるかわからない。武官としての優秀さは将官以上だとヘーゼンは評価している。だから、なるべく手元には置いておきたい。
それに、彼は数少ない、心を許せる相手でもある。いざと言う時に信頼できる者がいることは、大きな強みにもなる。
「ヤン。君、料理はできるか?」
「ええ。まあ、一応。でも、得意ではないですよ」
「……そうか」
ならば、料理人見習いとして雇用してもらうかと考えた。料理人には師弟制度があり、彼ら弟子たちは料理人の下働きをしている。ヤンのように6歳から弟子となる例も少ないが、ある。それに、ガジイ料理長ならば信用できるし、同時に料理も学ばせることができる。
料理は生物学と相性がいい。手先も器用になるし、いずれ一人で生活することになっても必要なスキルだ。覚えておいて、損はない。
「ヘーゼンさん。また、よからぬこと考えてるんでしょう?」
「建設的なことを考えていた。ところで、ヘーゼンさんと言うのは、やや堅苦しくないかな?」
「そこまで距離を縮めたつもりもないんですけど」
「……そう言う問題じゃない」
そこまで呼び名に固執する
実際、ヤンの歳は13歳なのだが、その発育の遅く幼児にしか見えない。なので、軍では6歳という設定で通すつもりだ。その点でいくと、敬称などは他者から違和感を抱かれる原因になる。
「君は軍人ではないので、少尉と呼ばれるのも違うし、呼び捨てにも違和感があるな。今はクミン族との通訳役として雇用している関係だが、いずれは養子縁組で娘となる訳だし」
「む、娘!?」
「あっ、僕としたことが。それだと、誰かと婚姻を結ばなければいけないな」
帝国の法律関係はひと通り洗ったが、やはり膨大な資料があるので、すべて把握しているとは言いきれない。特に、婚姻制度などはまだ先だと思っていたので、頭から抜けていた。
「しかし、適当な相手も見つからないな……よし、僕の義母と養子縁組してもらうか」
「は、話を勝手に進めないでもらえますか?」
「君の意見は聞いてない」
「当人なのに!?」
「うん」
黒髪の青年は躊躇なく頷く。当たり前だ。ヤンは未成年で、ヘーゼンの保護下にいる。夫婦という契約を結ぶならまだしも、養われるだけの者に、決定権などはない。そう告げると、ヤンはなぜか絶望したような表情を浮かべて両手を地につけて、泣き出した。
「ひっく……ひっく……ちっ、ちなみに、義母はどんな人なんですか?」
「ギルド本部の受付。帝都に住んでいる」
「……ヘーゼンさんの義母にしては、まともですね」
「そうか? 副業で奴隷ギルドの非合理斡旋もやっていたぞ?」
「あ、後からパンチのある経歴を持ち出さないでください!」
ヘーゼンとの養子縁組を成立させるため、強制的に義母のヘレナ=ダリには偽装結婚をさせている。ヤンも同じく、養子縁組をさせるのに法的な問題はないはずだ。
「よし。義娘にすることはやめて義妹にしよう」
「しようって……養子縁組ってそんな気軽でしたっけ」
「そうだよ」
「絶対に、違うと思うんですけど……」
「案外、古風なんだな君は」
「絶対にそう言う問題じゃないと思うんです。あの、それってどうしてもしなきゃ駄目ですか?」
「駄目だ。僕が下級貴族になった時に、君も貴族に押し上げる必要がある。それには、血縁関係を結ぶのが最適だからな」
帝国憲法によると、貴族は、家長の地位が2親等(祖父母、兄弟、孫、その配偶者)までの家族に適応される。なので、ヘーゼンが家長であれば、義母のアグレア、ヤンなどは自動的に下級貴族に格上げされる。
「よって、関係性とすれば、兄弟となる」
ヘーゼンは図解を示してヤンに説明する。やはり、知識に対する興味は強いようで、自分の境遇にも関わらずうんうんと頷いている。
「なら、お兄さんって呼べばいいですか?」
「……虫唾が走るな」
「あなたが言わせたんじゃないですか!?」
「す、すまない。つい、できの悪い弟の存在を連想してしまった。君が悪い訳じゃない」
「……もう、なんでもいいから決めてください」
ヤンが、あきらめたように、つぶやいた。
「まあ、無難に師弟関係が適当かな。よし、君を僕の弟子とする。これから、僕のことは
「……よりによって、一番仰ぎたくない人に」
とヤンはいつまでも、意味不明なことを口走っていた。
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