ロレンツォ大尉


 その後、ヘーゼンは報告のため、中尉の部屋に向かった。そこには、モスピッツァ中尉だけでなく、彼の上官であるロレンツォ大尉がいた。


 柔和な顔立ちが特徴的な、穏やかそうな男だ。


「ヘーゼン少尉だな。初めまして」

「初めまして、ロレンツォ大尉。よろしくお願いします」

「君の話は、ジルバ大佐とモスピッツァ中尉から聞いている。かなり独特な男のようだな」

「そうですか」

「ゴホン」


 モスピッツァ中尉が隣で咳払いをする。風邪だろうか。


「そして、今日はなにをしに?」

「中尉に本日の報告を」

「ああ、聞いてるよ。第4中隊はよくクミン族撃退をしてくれた」

「ゴホン、ゴホン。ゴホン、ゴホン、ゴホン」

「……あの、モスピッツァ中尉」

「なんだ?」

「体調不良でしたら、医務室に行かれては? 大尉に移したら迷惑になりますし」

「くっ……ロレンツォ大尉。申し訳ない。少し、ヘーゼン少尉をお借りできますか?」

「ああ。構わない」


 すると、モスピッツァ中尉は、すぐさまヘーゼンの下へと駆け寄り、小声で話し出す。


「いったい、なにをしに来た? 言っておくが、私は間違った報告はしておらんぞ。貴様の隊は我が第4中隊所属の第8小隊だ」

「承知してます」

「では、なにをしに来た? 早く帰れ」

「いえ。重要な話ですので報告に」

「今、ロレンツォ大尉が来ておられるのだぞ? 順番すら守れんのか貴様は!?」

「どちらにしろ、上官の指示を仰ぐ案件になると思うので、私はロレンツォ大尉にも聞いて頂きたいと思ってますが」

「その話を上げるかどうかは、私が判断することだ。大尉との話など切り上げて早く帰れ」

「了解しました。では、ロレンツォ大尉。失礼します!」


 頭を下げて、ヘーゼンは退出しようとする。


「ちょ、ちょっと待った。私の話はまだ終わっていないのだが」

「申し訳ありませんが、『大尉との話など切り上げて早く帰れ』と中尉から指示がありましたので」


 !?


「いえ! 嘘です! 嘘嘘! ヘーゼン少尉、貴様、いったいなにを口走っている?」

「先ほど中尉が言われたことです」

「言ってない! 私はそんなこと、断固として言った覚えはないぞ!」

「確実に言いました。しかし、先ほど言われたご自身の発言を否定されるのですか?」

「当たり前だ! 私は、『大尉に失礼がないように』と、それだけしか言ってない」

「……そうですか。では、お話ししても?」

「問題ない。大尉がそれを望まれてるんだから、ぜひ、お話ししなさい」


 なぜか、額と背中に大量の汗をかいたモスピッツァ中尉は、慌てふためきながら答える。そんな様子を眺めながらロレンツォ大尉は笑みを浮かべる。


「……なるほど、面白い男だな」

「冗談は言っていないつもりですが」

「ははは、その通りだな。うん。まあ、ざっくばらんに君と好きなように話したいと思ってたんだ」

「そうですか。なら、2つほど聞いて頂きたいことがあります」

「……おい、少尉。わかってるよな?」


 モスピッツァ中尉が顔を真っ赤にしながら凄む。ヘーゼンはひと通り心当たりを探るが思い当たらない。いつもながら、この上官を読むのは難しい。


「なにがでしょうか?」

「……先ほどの件だ」

「ああ、はい。もちろん。ロレンツォ大尉、モスピッツァ中尉。お話ししたいのは、捕虜であるクミン族の扱いと、その通訳の話です」


 !?


「うおおおおおおおい!」


 モスピッツァ中尉の神経質そうな顔が、更に真っ赤になる。危うく、額の血管が切れてしまいそうなほど浮き出ている。


「貴様! 上官である私と、更に上官である大尉に、同時に報告するとは何事だ!」

「しかし、先ほど許可をいただいたではないですか?」

「きょ、許可? そんなもの出した覚えは毛ほどもない! 毛・ほ・ど・も・だっ!」

「いえ。頂きました。先ほど、私が中尉に『上官の指示を仰ぐ案件になると思うので、私はロレンツォ大尉にも聞いて頂きたいと思ってます』と言ったら中尉は『その話を上げるかどうかは、私が判断することだ』と言ったではないですか」

「……言ったらどうした!? その通りではないか?」


 神経質な男ががなり散らした時、ロレンツォ大尉が怪訝な表情を浮かべる。


「モスピッツァ中尉、言ったのか?」

「はい。私は確かに言いました。当然です。にも関わらず、この男はそれを無視したのです」

「しかし、先ほど君はこうも言ったぞ? 『大尉に失礼がないようにと、それだけしか言ってない』と」

「……は、はううっ」


 思わず、モスピッツァ中尉が唸り声をあげて沈黙する。嫌な時間が、またしても部屋を支配した。彼の身体から噴き出る汗は、もはやビッタビタになり、地面の絨毯がじわりじわりと染み始める。


「……」


 いや、もしかしたらこの時間が好きな人なのかもしれないなと、ヘーゼンは思い始める。


「どちらの発言が本当なんだ?」

「いえ……あの……それが、なにかの……あれぇ?」

「中尉。ご忠告ですが、嘘に嘘を重ねますと、前後のつじつまが合わなくなるので控えた方がよろしいかと」

「う、うるさい! 嘘などついてない!」

「しかし、つじつまが合いません」

「……いや、こうだ。忘れていたんだ。貴様があまりにも突拍子もない嘘をつくものだから動転して、つい、『それだけしか言っていない』と発言してしまったのです。ロレンツォ大尉。このモスピッツァ=ランデブ。天地天命にかけて、嘘などは言っておりません」

「……わかった。信じよう」


 モスピッツァ中尉は力業と迫力で、なんとか押し切った。彼は、九死に一生を得たような表情にかわり、また、水を得た魚のような表情へと変貌を遂げた。


「でだ。ヘーゼン少尉。貴様は、事もあろうに、上官である私の発言を無視して、恐れ多くも大尉に話を持っていこうとした訳だ。これは、重大な軍規違反ではないか?」

「いえ、違います」

「な・ぜ・だ!? 理由を説明しろ! り・ゆ・う・を!」

「……わからないのですか?」

「あ?」

「先ほど、ご自身で宣言したではないですか? 『自身の発言を否定する』と」

「……」

「……」

              ・・・

「はうわぁっ!?」


 またしてもモスピッツァ中尉から大量の汗が吹き出した。


「もう、本題に入ってもよろしいですか?」

「いや、それは、その、違うのだ。私が否定したのは、『大尉との話など切り上げて早く帰れ』と言ったところで……」

「モスピッツァ中尉」

「あっ! 違います。嘘です。言ってません。言ってません。私が否定したのは、だから、その……」

「もう、いい。君が嘘をついていたことは、よくわかった」


 ロレンツォ大尉が答えた瞬間、モスピッツァ中尉は絶望した表情を浮かべた。



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