上官(1)


 北方ガルナ地方に派遣され、1週間を経過した午後。訓練中に、軍令室から呼び出しを受けた。そこには、上官の面々が顔を揃えていた。


「お呼びでしょうか?」


 ヘーゼンが尋ねると、ジルバ大佐が笑顔を浮かべながら近づいてくる。


「驚いたよ。生きていたのだな」

「日誌は毎日提出していましたが」


 そう答えると、左端にいた神経質そうな小男の目がピクリと動いた。ジルバ大佐は振り返ってその男を見る。


「そうなのか? モスピッツァ中尉」

「私の下には来てません」

「そうか。まあ、君は忙しいからな」


 ジルバ大佐は、再びヘーゼンの方を向いた。


「いや、すまんな。第8小隊はならず者揃いで、御しきれる人材がなかなかいなかったんだ。しかし、しっかりと訓練をしていると聞いて、君の認識を改めたんだ。試すような真似をしてすまない」

「構いません」


 ヘーゼンはまったく表情を変えずに答える。


「では、直属の上官を紹介する。こちら、モスピッツァ中尉だ」

「よろしくお願いします。ヘーゼン=ハイムです」

「……自己紹介の前に。少し質問をしてもいいかな?」


 モスピッツァ中尉は、神経質そうな鋭い瞳を向ける。


「どうぞ」

「配属初日。部下のティモ曹長、ディケット曹長を殺したそうじゃないか」

「はい」

「その報告は、君から受けていない」

「いえ。日誌に書き、報告しました」

「だから、その日誌を私は受けとっていないと言っている」

「ならば、どこでティモ曹長とディケット曹長の死を知ったのですか?」


 尋ねると、モスピッツァ中尉の眉毛がピクリと動いた。


「他の部下から口伝えで聞いた。普通、重要な情報は口頭で伝えるものだし、そうであるべきだと思っている。そうじゃないか?」

「その通りです」

「では、なぜ口頭で報告しない?」

「重要ではないと判断したからです」

「判断するのは、君ではない」

「ならば、日誌に目を通してください。報告内容が載ってますので、重要かどうかの情報を中尉が判断してください」

「……なんだと?」


 モスピッツァ中尉の声が荒くなる。


「重要性の判断を部下の裁量で任されないのであれば、そうして下さい。口頭で全ての内容を報告するのは、無駄以外のなにもないので。日誌に目を通して頂くのが一番効率的だと思います」

「そんなことは言っていない!」

「では、なにがおっしゃりたいのです?」


 ヘーゼンは怪訝な表情を浮かべる。いったい、この上官はなにを取り乱して、激昂しているのだろう。こちらとしては、軍規に基づいて答えているだけなのだが。


「そんなもの感覚的にわかるだろう!? 口頭での報告もなしか? 重大だとも思っていなかったのか?」

「はい。感覚的にも、軍規的にも重要ではないと判断しました」

「だったら、君の感覚が異常なのだな。部下を2名殺しているんだぞ? 隠蔽ととられても仕方のない行為だ」

「隠蔽ではありません。日誌に書いて報告しました」

「だから、受け取ってないと言っている!」


 モスパッツァ中尉は机を強く叩く。


「書いたのは、1週間前です。受け取ったのは、第5小隊のガブィ准尉です」

「ほぉ。仮に、彼が受け取ってないと言ったら?」

「受領時に日時とサインを貰ってます。仮に彼が偽証すれば、それを提出します」


 ヘーゼンは基本的に他人を信用をしない。面倒だと言われつつも、受け渡しの記録はしっかりと取るようにしていた。


「……」


 モスピッツァ中尉は額に汗を垂らしながら、黙った。


「仮にガブィ准尉がそれを渡してないとしても、1週間も前の話です。すぐに指摘すれば、准尉もすぐに対処したのではないですか?」

「……忙しいのでな。週末にまとめて読むようにしている」

「日誌をですか? 重要な情報がタイムリーに書かれている可能性のある書類を、1週間後に知って、それを上官にあげられるのですか?」


 ヘーゼンは驚愕の表情を浮かべ、モスピッツァ中尉は再び黙り込む。


「……くくっ」


 その時、他の中尉だろうか。どこかから失笑が聞こえ、神経質そうな小男は顔を真っ赤にする。


「第8小隊は今月、非番だ! 国境警備の任についている隊の報告は当然目を通している。あくまで、非番の隊のみ、週末にまとめて読むようにしている。重要度の優先順位付けだ! 当然だろう!」


 モスピッツァ中尉はことさら大きな声で弁明する。


「では、やはり重要ではない情報なのでしょう」

「なんだと?」

「私が重要ではない情報だと判断し、中尉も非番の情報は重要視せずに放置した。口頭で他の隊員から聞いたにも関わらず、その時、私に聴取もせず、日誌にも目を通さなかった。私と中尉の見解は一致してます」

「ぐっ……緊急性がないと判断しただけだ! 重要視してなかったとは言ってない」

「……」


 顔面を真っ赤にして、目を血走らせて、身体を震わせて、なにをこんなに怒っているのだろうとヘーゼンは思った。


「そもそも、部下を2名殺してなんとも思わないのか?」

「思いません。軍人ですから。軍規に基づいて、殺す必要があれば、殺します」

「呆れたな。そんな異常な倫理観の持ち主が帝国の将来を背負って立つ将官であることに」

「……おっしゃりたいのは、倫理観を軍規よりも重要視しろと言うことですか?」

「そ、そんなことは言っていない!」

「では、なにがおっしゃりたいのですか?」

「くっ……」


 モスピッツァ中尉は三度、黙り込む。そんな様子を観察しながら、ヘーゼンはため息をつく。なんだ、この時間の無駄は。軍隊と言うのは合理的な規則に基づき、合理的な判断を突き詰める必要があると言うのに。


 ヘーゼンとしても、中尉に恨みがある訳でもない。上官に敵意など向けられても面倒くさいだけだ。以前、嫌と言うほどそれを味わっている。だからこそ、今度はそのようなことがないよう将官試験まで受けたと言うのに、これではまったく変わりがない。


 なんとか、怒りを収めてもらって、仲良くやりたいものだ。

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