第5話 そうきたか。

うー。いつものことながら、朝は苦手だ。


布団の中で少し伸びをしながら朝の陽射しから目を背けながらも身体を起こす。ハッキリしない頭を刺激するように、毎度のことながらも、おはようの儀式をしっかりとこなしていく。少しずつ目覚めてきた頭が、昨日のことを思い出させる。


あ、そういえば昨日ケイに送ったメールの返事は来ているかな?

歯ブラシを咥えながら、布団の脇に無造作に転がっている携帯に手を伸ばす。

ポチっ―映りだすホーム画面には、無常にもカエルの待受けしか映っていなかった。


はぁ、流石にあれか。俺がひとりで燃え上がってしまっただけかと、少し肩を落とす。そりゃああれだけの月日が経てば人も変わるしなと、自分の中で謎のセーフティネットを張り始めた。

おはようの儀式を終え、朝食はどうしようかと悩んでいたところで、携帯が鳴る。


ジリリリリン―。携帯に目をくれると、どうやら発信先は母親のようだった。


「もしもし」

ケイからの返事がなかったこともあってか、少し不機嫌に声を発した。

「おはよう、コウちゃん。元気してた?」

電話越しに聞こえるそれは、母親のものではなく、昨日思い出していた記憶の声にものすごく似ていた。似ている?


「んんんんん?もしかして、ケイか?」

驚きのあまり、返す言葉が少し裏返りながらも問いかける。

「そうだよ!ごめんね。こっちに戻ってきたらすぐに声をかけたかったんだけど、いろいろと仕事の打ち合わせとかで忙しくて。今になっちゃった」

電話越しでもわかるくらい、はにかんでいる姿を思い描ける口調で彼女は言った。

「いやいや、いいって。そうだ!昨日TVでみたよ。すごいな!」

昨日あれほど言おうか悩んでいた言葉は、思いのほか、すっと言葉になった。

「ありがとう~みてくれてたんだ!あ、あとごめん!携帯昨日トイレに落としちゃって・・」

「あぁ、そういうことか。昨日夜中にメール送ったけど返事なかったから」

その言葉を聞いて安堵したのか、ぶっきらぼうに返す。

「連絡くれてたんだ。ホントごめんね?で、今コウちゃんの家に遊びに来てるの」

「いやいや、わかるよ。だって母さんからの着信だったからね」

なんだか昔に戻ったように、饒舌に話す自分に、少し驚いている。

「今日はコウちゃんお仕事あるでしょ?」

「いや、ケイがいるならたった今仕事を休みにした!今すぐ向かうよ。待ってて」

こんな時にこんな仕事をしていて良かったと思える自分も、どうしようもないのだが。今はケイに会いたい一心だけだった。


「嘘、やった!コウちゃんに会える!」

もの凄い喜びようだ。ここまで喜ばれると、なんだかこっちも嬉しくなる。

「あ、母さんに朝ご飯お願いしますって伝えてくれるかな?」

「うん、わかった。奈美さんに伝えておくね」


それじゃと、電話を切り、俺は少しその場でガッツポーズをしていた。


なんという展開、ケイにまた会える!そのことしか頭の中になかった。そそくさと普段着に着替え、急いで玄関のノブに手を伸ばしたところで、何とも言えない不安が俺を襲ってきて、その場に固まった。


俺は今、こんな仕事をしている。昔追っていた夢も、とうに諦めてしまった。

しかしどうだ、ケイは夢を叶えている。こんな俺が、ケイに会っていいのか?


首を横に何度も強く振り、妙な不安を振り払う。

そんなことは別段重要じゃあないだろ。今どう生きているかだ。

俺は、この仕事と呼べるかわからない仕事でも、誇りに思っている。

親父がいたからっていうのもあるけど、俺自身が今好きでやっている仕事だ。


昨日TVで顔を見た瞬間から、醒まされていくケイに会いたい気持ち。

俺に会えると、ケイが喜んでいる事実に俺はなぜ尻込みをしてしまっているのか。


不安を振り払うように、勢いよく玄関のドアを開け、愛車へと向かって走った。

ケイに会えると焦る気持ちを抑えつつ、実家へと車を回す。


無駄に広い実家の駐車場に車を停め、いつも通りを装い、実家のドアを開ける。

「ただいまー」

「おかえりなさい。居間でケイちゃん待ってるわよ」

出迎えてくれたのは、いつもよりなんだか眼尻に皺の多い母親だった。

「う、うん」

しかし、玄関を開けた先にいたのが母親で良かった。いきなり、ケイだったらどうしようかとも、少し考えていた。深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら、彼女がいる居間へと向かう。


ハハハハ!

居間に向かう廊下で、なにやら居間で笑い声が聞こえる。


まさか、また親父がケイに何かを言っていなければいいんだが。

あの人の言うことは事実に6割くらい誇張をつけるから怖い。

しかも事実とはそう離れていないから嫌になる。こういう人がいるから、噂話の方がよく出来ているなんて言われるんだろう。また、どうも親子なんだろうか、女の趣味が合うというかなんというか、親父も俺と同じで好きな女にしか饒舌にならない。

流石に、男として負けるとは思っていないが、あの野郎。クソジジイ。


「お待たせ」

居間で親父と駄弁っているケイに向け、一声を放つ。

「あ、コウちゃん!おかえり!」

そういうと、いきなり俺に抱き着いてきた。これが、フランス帰りの女性の凄さというものなのだろうか、ふんわりと香る香水に、ちょっと頭がくらくらした。

「ひゅー!熱いねお二人さん!んじゃ、おじさまはお仕事へと向かいますかね」

すっと座布団から腰を上げ、親父が立ち上がる。去り際に、俺の肩に手をあて

「今日は目いっぱい、ケイちゃんを楽しませてやれよ」

そういうと、ポンポンと二回肩を叩き、ニヤつきながら居間を出ていく。

この野郎、チクショウ。なんでもお見通しかよ。


「元気してた?」

抱きついて来た腕を少し、恥ずかしそうに解きながら彼女に問いかける。

「うん、もちろん!うあーコウちゃんに会えてうれしい!」

喜びを身体全体で表現している彼女に、少し後ずさりながらも、何か懐かしさを感じていた。

「でね、今日は1日お休みなんだけど・・・付き合ってくれる?」

「おう、どこか行きたいとこはあるか?」

「うん、私ね、久しぶりに高校に行きたい。懐かしい風景を見て回りたい。コウちゃんと二人で」

その言葉に、うん、と頷き。恥ずかしさを紛らわすように車のキーをくるりと回す。


「あらあら、若いっていいわね」

ふふふと、遠目で見ながら母親が頼んでいた朝食を持ってきながら笑って言った。「あ、そうだ。学校に行く前にケイの家に少し寄っていいかな?しばらく顔も見てないし、折角だから挨拶したいな」

少し思い出したように、俺はケイに問いかけた。

「うん、今日は二人ともいるよ!」

なぜか待ってましたと言わんばかりに、目をキラキラとさせながら俺に言う。

「えぇ、親父さんもいるのか・・・緊張するな」

「大丈夫だってば!ほらほら、早くご飯食べて!!」

少し急かし気味に、尻尾があったらフリフリしてるんじゃないかってくらい身体をくねらせながら、ケイは言う。

「おう、ちょっと待っててな」

いただきますと、両の手を合わせ朝食を摂り始める。

「あ、帰りに携帯買いに行こうな」

朝ご飯の鮭をつまみながら、思い出したかのように、声に出した。

「あ、私も思ってた!ないとやっぱり不便だもんね」

はははと笑う彼女を見ながら、コイツと幸せになりたいなと少し将来を考えた。

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