第5話 Denouement
「邪魔すんぞ」
「あいよ。いつもの部屋に行くんだろ」
「まぁな」
俺は酒場の主人に断りを入れると二階に上がり、すぐそこの個室の扉を開いた。
「よう、元気か」
「Wao、来テくれたんだネ、ベガー」
ゲフィはベッドの上で起き上がっていたようだ。
「そりゃ将来のギルド員なんだから見舞いに来るだろ」
むすっとして答えると、ゲフィは嬉しそうに目を細める。
「アハ…なら、一層頑張らないとネ」
そう答えたが、
「無茶すんな。いつまた症状がぶり返すかわかんねぇんだろ」
そういうと、ゲフィはこくりとうなずいた。
ゲフィを救出してから数日が経っていた。
幸い、助け出してからしばらくしてゲフィは吹き返した。
最初は停滞症にかかっていることをどう伝えるか苦心したが、逆にあっさりと知っていたと返され面食らったものだ。
彼女いわく、はじめてのことではなく、前々から良く起きていたことなのだそうで。
とはいえ、当人がそう言ったところでひょっとしたらゴルゴーによる影響、あるいはタイシャクとの戦いによる傷も影響を及ぼしているかも知れないじゃないか…そう判断し俺は彼女の寝床へ連れて行こうとしたが、ゲフィは家を持っていないと言った。
確かに、家を持たない奴はそれなりにいる。
だが、それは大抵買うことのできる金を持てない、低レベルの冒険屋であることがほとんどだ。
家は倉庫に入りきれない品物を別途保管したり、料理を作成できる。のみならず、体力や魔力を高効率で回復できるため、ある程度金が溜まったら早めに買いたい必需品の一つだ。
そのため、中級にあがると真っ先に買う物の一つとされることが多い。
そういう点で、これまでのペア狩りで最大の障壁である金銭問題をあっさりクリアしているはずのゲフィが持っていない訳が無い…俺はすっかりそう思い込んでいたのである。
つくづく思い込みというのは恐ろしいもんだ。
さて、寝床が無いのはわかったがそれを知った今はいそうですかと放り出すわけにもいかない。そこで酒場の主人に頼み、この部屋を仮住まいにさせた。
当初はそこまで迷惑を掛けるのはと遠慮していたゲフィだが、
そのときのびっくりしたゲフィの顔は特筆ものだった。
「ソウイエバ
りんごを剥いてやっている俺をじっと見ていたゲフィが、ふと思い出したように尋ねた。
「ああ…幹部連中をはじめとしてみんな相当痛い目を見たらしい。十天闘神のせいで装備も施設もぼろぼろ、ギルメンの大多数はレベルドレインされていたり状態異常を喰らわされまくってて当分は動けないだろうな」
「シカモ他ノギルドモ来テタッテ?」
「おう」
ルークを倒した後ほぼ時をおかず、酒場の依頼を受け、誘拐犯の討伐という大義名分を掲げた冒険屋たちがなだれ込んできたのである。
俺が単独で忍び込み、ゲフィを助け出す時間を稼ぐ。
そうすることで冒険屋を収集する猶予を稼ぎ、混乱に乗じて攻め入って最後にルークを総出で叩く――これこそ、俺がグマに頼んでいた最後の手だった。
ゲフィを助け出したことで通報できるから、KoRのギルドメンバーたちは犯罪者として扱われることになる。それにより大半は意気阻喪するだろうから、残るルークを袋叩きにしてしまえばいい。
神器を渡していたにしても、たった一人ではたかが知れている。ゲイングニュルはルークを討ち取った者のものだと明言しておいたので、冒険屋側の意気が劣ることもない。
…と、そこまで見越しての作戦だったのだが――十天闘神が全部やってくるとか、ゲイングニュルを持ったルーク相手にあっさり勝ててしまったりとか番狂わせばかりが起きたせいで、予定より遥かにあっさりかたがついてしまったのは完全に想定外だった。
おかげでゲイングニュルを手に入れる機会を失ったと、今でも残念そうに言ってくる奴がいる。
「凄かったぞ。途中はなぜか十天闘神と俺の雇った連中が共闘状態で背中を預けて、気絶から立ち直ったルークも合流したKoRと戦っててな。俺は傭兵がなだれ込んできたのを確認したところで離れたが、その後更にどっかからか話を聞きつけてきた、雇ってもいない他のギルドも続々やってきたんだそうだ。最後はKoRそっちのけで十天闘神と冒険屋混成軍との戦争になってたって話だぞ」
ちなみに後から参加した奴らはKoRに過去壊滅させられた他のギルド員たちだったそうな。そいつらも積もる恨みを晴らさんとだいぶ大暴れしたそうで、豪華なアイテムや神の武器がここぞとばかりに使われまさにお祭り状態だったようだ。
「…スゴイ話ネ」
「まったくだ。お前を抱えてなかったら参加したかったよ」
きっと、石喰い鬼の巣穴で戦ったときのような…いや、それ以上の興奮に包まれていたことだろう。そのときの光景を思い出すと、年甲斐も無く心が弾む。
ともあれ、十天闘神によって大ダメージを受けていたKoRの構成員は更に決定的なダメージを負うことになった。ほうほうの体でアジトを放棄して脱出した結果、彼らは最強ギルドとしての面目を無くし、今は散り散りとなってかなり縮小化したともっぱらの噂だ。
ハーヴァマールの末路を思えばちくりと胸が痛んだが、しかしいつまでも腐敗した残骸が残っているよりは遥かに良いのだろう。
こうしてすべて終わったとき、俺はようやく自分でも気づかなかった一つの区切りがついたことに気づいた。
「ソカ…」
被害者とも言えるゲフィはしかし、嬉しそうには見えない。
「何だよ、同情でもしてんのか?」
からかうように言ったが、ゲフィはこくりと頷く。俺はちょっと呆れた。
「なんでお前が同情するんだよ。お前被害者じゃねぇか」
「ソウだけど…もしかしたラ、ゲフィもあそこにいたカモしれないカラ」
「はぁ? 何でだ」
「ゲフィ、偶々ベガーと会えたカラ、冒険するコトの楽しさ忘れずニいられたヨ。もしソウジャなかったラ…KoRに入ってタラ、違ってたカモしれないネ」
ゲフィは哀しそうに言った。
「アホか」
俺は向き終わったりんごを突き出しながら呆れたように言った。
「お前が染まるとかありえねーよ。お前、俺を雇うと決めたとき自分で言ったか覚えてるか?」
ゲフィは覚えていないようだったが、俺は忘れていない。
「お前は、俺に『鍛えてくれ』と言ったんだ。いいか、『連れて行ってくれ』じゃあねぇ。…俺に会う前から、お前は自分の力で生き抜くことを決めてたじゃねーか」
「…ウン、そう言えばそんなコト言った気がする」
「あそこに集まった連中は、どいつもこいつもルークを利用することを考えていた連中だ。力が欲しいなら、自分で動くのではなく神の武器を恵んでもらうのを待つだけ。そんなところにお前、ずっといられた自信…あるか?」
ゲフィはぶんぶんと首を横に振った。
「だろ? そーゆーこったよ」
納得したようで、ゲフィが一つりんごを齧る。俺も相伴に預かったところで、ゲフィがつづけた。
「…ケド、ゲフィも神の武器もっともっと欲しい、考えるヨウになってたカモしれないヨ。レベル上げ大変、もっと楽したいネ」
「んなもん、誰だって同じだわ。俺だって楽してぇよ」
アホか、と一蹴した。
「…けど、毎回欲しいからと手を伸ばしてたらきり無いからな。神の武器はひっきりなしに新しいのが世界に顕れるが、俺もお前も腕は二本しかない。しっかり握れるもんは自ずと限りが生まれる。そこで人の手を取ることを選んだお前は、宝珠にしかすがれなかったあいつとやっぱり違うのさ」
俺の言葉を黙って最後まで聞いていたゲフィは、りんごをまた一つ齧ってからサンクス、と小声で呟いた。
「ゲフィにとって、ベガーと会えたの最高のラッキーヨ」
「なんだ突然。おだてたって何もでねぇぞ」
むしろ俺の方こそ、お前と出会えたことは最大級のラッキーだったさ。
以前は目的も無く過ごすだけの日常だったのが、今ではひよっこの世話でそれなりに充実している。
…何より、ハーヴァマールとの訣別。
別にゲフィが直接どうこうしたわけじゃないが、結果的にこいつのおかげで冒険屋同士の結束が見れた。
ハーヴァマールに固執する必要は無い、俺たちはいつでも結びつくことができる。
冒険屋も捨てたもんじゃない…そう、再び信じさせてくれただけでも余りある。
…ま、こんな臭いことを言うと何言われるか判らんから、面と向かって言う気はないけどな。
俺は感謝の気持ちを別の形で示すことにした。
「そんなことより、そんだけ言えりゃもう大丈夫だな。明日か明後日あたりにでも、ペア狩りを再開するぞ」
「エェ、もう…?」
「サボればサボるだけ夢が遠のくぞ」
「…判ッタヨ。じゃあ、明日から本気出すヨ」
「ゲフィ、こんな言葉を知ってるか? 『明日野郎は馬鹿野郎』」
「……ベガー、時々凄く意地悪ネ」
こうして、前と同じ悪ふざけの日常が戻ってきたことに俺は内心安堵していた。
だが…その実、ゲフィの不調は彼女自身ですら把握しきれないほど悪化していたのだった。
それをペア狩りを再開してからすぐ、俺は思い知らされることとなる。
「…また、か…」
俺はゲフィに聞こえないよう、嘆息交じりに漏らした。
ペア狩りに復帰して一週間後、俺たちはマンジュルヌ島へ狩場を戻していた。
発端は、ビフレストで狩りをしようとした矢先に再びゲフィが停滞してしまったことだ。幸いまだモンスターを殴る前だったのでさっさと町へ戻れたが、もし戦闘中だったなら大惨事になりかねない。
それから数度祈る気持ちで試してみたが、やはり何度も停滞したため結局高ランクの狩場は軒並み諦めざるを得なかった。
ゲフィの停滞はそれからも…次第に、そして急速に発症の間隔を狭めていく。
知り合った当初は数日に一度、それも何となく前兆があった程度だったらしいが、ついには一日に何度も起こすまでになっていた。おまけにいつ回復するかも完全にランダムで、とても狩りに行くどころではない。ひどいときは丸一日、狩場でゲフィを守って戦うこともあった。
それでも、ゲフィ――そして俺はヒュペルボレイオスの踏破を諦めていなかった。
俺はこれまでに無いくらい真剣に、ヒュペルボレイオスに至るまでの育成シミュレーションを練りつづけた。
かつてギルド長を務めていたときよりも熱心に……
……………………
………………
…………
やがて、ゲフィの体調と計画の練り直しがいたちごっこの様相を呈すようになったある日。
「ベガー、お願いありマス」
ゲフィが改まった顔で頼んできたのは、幾つかの町へ連れて行って欲しいというものだった。
「買いたい、アイテムあるデス」
いずれも転送屋を使えばいけるし、そんなに距離があるわけでもない。
サポートしてやればゲフィも行けるだろう。
「…そうだな、気分転換を兼ねてたまには買い歩きも良いか」
俺一人だったら決して出ない言葉に、ゲフィが相好を崩した。
「そうだヨ、ベガーもタマには買い歩きするネ」
「へいへい」
軽口を叩けるだけ今日の体調はマシなのだろう。ならばこの機会を逃すまいと、俺たちは手早く準備を済ますと転送屋へ向かった。
「じゃあ最初は…イースからにするか」
イースは海底にある、巨大な気泡の中に作られた都市だ。太古に怠惰の限りを尽くした王が海神の怒りを買って沈められたが、無辜の民の不幸を嘆いて身を投げた王妃に免じて滅びだけは免れたという伝説がある。
まあ特殊な海流のおかげで残っていた馬鹿でかい気泡をたまたま見つけ、そこへ移り住んだ奇特な連中が所領の正当性を主張するため創った話なんだろうと思うが…
「ウワァ…スゴイ、綺麗…」
転送直後に視界を取り戻したゲフィが感嘆の声をあげている。
その反応、判らんでもない。
何しろ、視界を巡らせばすぐ傍を泳ぐ色とりどりの魚たちが見えるのだから。
実のところ、あまり稼ぎに向いてない場所と聞いていたので俺も今回はじめてきたのだが、ゲフィ同様しばらくは黙って見とれていた。
「フフ、ベガーも感動してる?」
一足先に我に返ったゲフィが、ここぞとばかりに勝ち誇ったように聞いてきた。
お前が何かしたわけじゃないだろが…そう思ったが、ここで嘘をついても仕方ない。
「…まあな」
素直に答えると、それが意外だったようで一瞬目を見開くゲフィ。だが、すぐに嬉しそうに笑顔になった。
「ココにこれてヨカッタ」
…俺もだよ。
「まあ、まだ他にも色々あるんだから楽しみはとっとけ。それでどこに行くんだ?」
「武器屋!」
そう言ってゲフィは先を歩き出した。
「なんだ、武器が欲しいのか」
俺もその後をついて歩く。
考えてみれば今まではいつも狩場に応じて最適解となる武器をこちらが渡してやっていたから、そこから脱却したいと考えたのだろうか。
狩場によっても変わるのだから、あらかじめ相談してくれたら良かったのに…と思う反面、愛用の武器を自分で買おうという姿勢によくぞ成長したなぁという感慨もある。
…いや俺、子供どころか、恋人すらいたことねぇんだけどな。ハハッ…
「今度は…あぁ、あったあった。この店ネ」
ときどき足を止めながらもメモを片手に先導するゲフィの様子から見て、あらかじめ買う物を調べてあったのだろう。
「ほうほう、どれどれ…」
「ベガー?」
「へいへい、ちょっと他見てますよっと」
睨み付けられ、俺は慌てて離れた。
「ン、コレ二つくだサイ」
ゲフィが買い物を済ませてきた。
「おう、買って来たか…ん?」
包み紙からはみ出ている柄の部分を見て俺は首をかしげた。
この町で売っている、無骨な、飾り気の少ない装飾は短剣のアキナケスだ。それが二本ということは、暗殺者でも目指してるということか?
「ベガー、人の買い物ジロジロ見る、良くないヨ!」
俺の視線に気づいたゲフィが、口を尖らせながらそそくさと自分の倉庫へ仕舞ってしまった。しょーがねーじゃん、気になったんだからよ…
「へいへい、目敏くてすまんこってすね。んで、これで買い物は終わったのか?」
「まだダヨ」
ゲフィは指折り数える。
「あとココノツは最低必要。可能ナラ21」
結構あるな?!
それからも俺たちは夜の無い町不夜城、地下理想都市、湖上の黄金都市など幾つかの町を回った。
いずれも風光明媚だったり面白い特色があったりと、見て回るだけでも十分面白い。ギルドが無くなってからはあちこち旅する気を失っていただけに、俺もとても楽しんでいた――ゲフィの動向を除いては。
「おい、そろそろ引き上げないか?」
空にはすでに夜闇が広がり、上だけでなく足元に広がる空間に無数の星がまたたいていた。
今、俺たちは空中庭園都市アミュティスに来ている。砂漠のど真ん中にある空中に作られた石造りの都市だが、夜になった今は砂漠が町の月明かりを反射しており、そのためまるで星の海のど真ん中にいるようだ。
その美しさはしかし、俺たちの心には届いていない。
狙いの品が見つからないらしく、この街での買い物は難航していた。もう三十軒ほど色んな店を梯子しており、今また市場の真ん中ほどにある大手の武器屋から出てきたところだ。
何度目かの問いに、同じく何度目かの首振りで返される。
「まーだーネ。…もう音を上げたノ? ベガー、年?」
動き出したゲフィがからかうように返すが、彼女の目は笑っていない。数時間前と比べて白くなった額に、大粒の汗が浮いている。
俺は努めてそれらに気づかない振りをして、あっけらかんと返した。
「ぬかしゃぁがれ。ひよっこに心配されるほど俺ぁまだ耄碌してねぇよ」
「フフ…そういうことニしとくネ」
そういう自分こそ久しぶりに歩き回った疲れが溜まっているだろうに、ゲフィは音を上げない。
恐らく――残された時間がわずかだと知っているからなのだろう。
こんな時間になってしまったのも、ちょこちょこ停滞症を発症していたためだ。
「次は何を買うんだ?」
「ソレは…」
言いさしてぴたりと止まってしまう。だが、幸い俺がどうこうする前にゲフィはすぐに再び動き出し、周囲をゆっくりと見渡した。
「…また?」
黙ってうなずいてやる。
「そっか。モウ、時間無いみたいダネ」
ゲフィも、淡々と呟いた。
そこには哀惜も慟哭も無い。
お互いに慣れたものだな…俺は脳の片隅でそんな他人事のように考えていた。
「んなわけあるか。どうせきっと、また元のようになるさ」
気休めの言葉を掛けると、ゲフィは曖昧に笑うだけにとどめた。
最初は元気付けようと色々気休めを言ったものだが、今はそれが無駄なことだとお互いに知っている。
だから、いつしかお互いそう遠くない未来から目を背けるように軽口を叩き合っていた。
しかし…
いつまで、こうしていられるだろう?
いずれはゲフィと別れて、かつてのように一人で生きる日常に戻る――そう考えたとき、はじめて心の底からぞっとした。
以前のように、無為にただ一人で生きていく…その恐ろしさに、俺は気づいてしまった。
誰とも関わらず、関わられることのない生…そんなの、停滞しているのと同じじゃないか!
いやだ!
もう、一人で生きていくのはいやだ!
…一方で、そんな俺の心を知らないゲフィは嬉しそうに続けている。
「ゲフィ、感謝してるネ。ベガー、いつもゲフィのコト気遣ってクレテル。ゲフィ、ベガーと組めて幸せダタヨ。ゲフィ、そんなベガーのコト…」
動揺を振り払うことに精一杯だったせいで、俺はつづく言葉を聞き逃した。
「好きダヨ」
その余りのさりげなさに、俺も思わず軽く返してしまった。
「ああ、俺もだ?」
ぴたり、ゲフィの足が止まる。
「エ……」
と、あんぐりと口を開けたまま。
いきなり視界から消えたためなんだろうと振り返った俺のことを、まるで信じがたいものでも見たかのように目を丸くして見つめている。そのせいで、自分が何かえらい事を口走ったらしいことに遅まきながら俺も気がついた。
「それ……ホント?」
そして俺を見つめる大きな瞳へ見る見るうちに大粒の涙が溜まっていく。
「ちょ、おまっ…」
往来のど真ん中で立ち止まりぼろぼろと泣き始めたゲフィと、戸惑う俺。
「あらなあに奥さん、あれ」
「いやあねぇ、女の子を泣かすだなんて…」
「いまどきの男って奴はこれだから…」
たちまち野次馬たちが集まってきて、好き勝手言い始めた。その内容は概ね俺が悪人である前提だ。
「お、おい、いきなりこんなとこで泣くんじゃねぇよ! 俺が泣かしたみたいじゃねーか!」
「ダッテ…、ダッテぇ…」
「だってって、泣きてぇのはこっちだっての! ああもう!!」
すんすんしゃくりあげるゲフィの腕をとっつかみ、野次馬の波を掻き分け俺はその場から逃げ出した。
……………………
………………
…………
「落ち着いたか?」
市場を抜け、町の外れに来た俺たちは水路の傍の石段に並んで腰を下ろした。ひんやり冷えた水に手巾を浸し、固く絞ってからゲフィに投げてやる。
「とりあえずそれで顔でも拭け、な?」
言われたとおりおとなしく顔を拭いている間、この後につづける言葉を慎重に選んだ俺は、ゲフィがようやく顔を上げたところで切り出した。
「あー…落ち着いたところをすまんのだが。さっきの、すまんがもう一度言ってくれないか?」
途端、ゲフィの目つきが剣呑なものになる。
慌てて俺は補足した。
「い、言っておくが、別に聞いてなかったというわけじゃないぞ?! …ただ、お前さんがどういう心積もりで言ったのか、改めてきちんと聞かせて欲しいんだ」
「ドユコト?」
ゲフィが小首をかしげる。まあ、そりゃあそうだよな…俺は咳払いをして説明した。
「…恥ずかしい話だがよ。俺、この年になってもその…色恋沙汰とかにはとんと縁がなくてよ。『好き』という言葉がどういう意味で使われた言葉なのか、いまいちわからねぇんだ。だから…」
「ベガー、ギルドメンバートハ…」
「だからそういう相手はいなかったんだってば。創設時のメンバーは家族みたいなもんだし、その後から入ってきた連中は手の掛かる子供みたいな印象だったからよ」
嘘は言っていない…が、全てを話す必要もないだろう。
実際にはいいな、と思う相手は一応いた。
女騎士だった。
俺と共闘しているとき、一度致命打を貰いかけたときに身を挺してくれたことで背中を預けあい、共に最後まで残った一回り年上のサブマスター。
…だが、何くれと無く面倒を見ているうちに彼女は他の団員とくっついてしまい、そのままギルドを抜けてしまった。彼女が抜けたときはちょうど他にも停滞者がぽつぽつ出はじめた頃で、穴を埋めるため新しく入った団員たちを鍛えるのに手一杯で感傷に浸る暇も無かった。
また、下手に名前が売れたことで俺に取り入ろうとしてきた女も一人や二人じゃなく、そんな手合いに痛い目に合わされかけたことも何度かあり、気づけばそういう関係を意識することは無くなっていたのだ。
「ソッカ…ソッカァ」
ゲフィはというとなんだかニヨニヨしている。愉しそうなことで何よりです。
まあいい、ここで俺は一つ息を吐いた。
…すごい緊張する。
「で、だ。恥を忍んでストレートに聞く。お前の好き、って言葉は…友達として、か?」
「モチロン異性として、ダヨ」
「ええ…」
こいつあっさりと答えやがったぞ。
俺の不安とか覚悟とか、馬鹿みたいじゃねぇか…
「…デ、ベガーハ?」
「んぇ、俺?」
不意に話を振られた俺はつい頓狂な返事をしてしまった。
「ゲフィ、自分の気持ちハッキリ伝えたヨ。なら、ベガーも返事する、当タリ前ネ」
ごもっとも。
気を取り直し、俺は改めて再び白眼視してくるゲフィへ向き直る。
「ありていのままに伝えるぞ」
「…ウン」
こほん、と一つ咳払いして俺ははっきり言った。
「俺も好きだ! …と思う」
一瞬嬉しそうな顔をしたゲフィだが、すぐにつんのめりそうになった。
「何ソレ!」
「…さっきも言ったろ、俺は色恋沙汰にはとんと疎いんだって。んでそりゃ、自分についてもなんだよ。だから、俺の好きって気持ちが、お前のと同じ方向を向いているかまだ自分でもよく判らん。ただ…」
「タダ?」
「…これからも、ずっと…一緒にいたい、とは思ってる」
ゲフィの顔がほころんだ。
「ナラ一緒だヨ!」
「そうなのか? 微妙に違うように思うが…」
俺としては異性とかというよりは…失礼な話ではあるがそう、多分滅茶苦茶手の掛かる妹、あるいはペットが近いようにも思う。
そう伝えたらゲフィはしばし腕組みをして考えた後で、
「今はソレでも良いヨ」
あっけらかんと答えたものだ。
「おいおい、俺が言うのも何だが、それでいいのかよお前」
「だって、ベガーまだヨク判らないんでショ?」
「…まあ、な」
「なら仕方ないネ。何しろ急な話ダシ、まだ整理もツカナイとゲフィ思う。ソレニ…」
「それに、何だよ?」
ゲフィは腕組みしたままふんぞり返った。
「他の人よりゲフィ有利。ベガー良い男ダケド、ライバルいないノハラッキーダヨ。好カレテルなら、後はジャンプアップするダケネ」
…あれ、ひょっとして俺が思うより意外にしたたかなんじゃないかこいつ?
「お、おう…まあ俺が良い男かどうかはわかんねぇけど。そうありたいとは思ってるけどな」
「ソウいうトコロが好キなのヨ」
今度こそ、ゲフィは満面の笑みを浮かべた。
「やれやれ…お前にゃ適わんね」
「ベガーに鍛エラレタからネ」
互いにぷっと吹き出し、俺たちはたまに通る通行人の視線を無視してしばし笑い転げた。
「ヘイ、ベガー」
ひとしきり笑った後、再びゲフィが真剣な表情で切り出した。
「オ願い、あるデス」
「何だよ改まって」
「手付け、クダサイ」
「なんじゃそら」
またぞろ何か妙なことを言い出したなコイツ…
「酒場の主、言ってマシタ。大きな契約する時は簡単に裏切られないヨウ、何か貴重な物を預ケルのが決まりト」
言われて思い出したが、確かに冒険屋を雇うときは悪質な依頼を避けるため幾ばくかの金なりそこそこの貴重なアイテムなりを預ける規則がある。そのことを言ってるのだろう…が、今回の場合コーチ契約更新の手付けって意味じゃ無いよな、多分。
「…具体的には?」
「そうネ…キス、でドウ?」
そういって上目遣いに見上げてくる。
く、そんな顔されたら断りづれぇじゃねぇか。
「や、妥当なとこだと思うぜ」
やや早口になってしまったが、それでも人生の先輩として情けない姿は見せたくない。なけなしの矜持で余裕ぶって答えられた…はず。
ゲフィはくすりと笑うと、俺に向き直ると目を瞑り、顎を少し上げた。
こうしてみると、整った顔をしているのがわかる。
年甲斐も無く、鼓動が速くなった。
「ン…」
緊張に手を震わせながら、俺はゲフィの顔にそっと手を伸ばす。
そして、ゆっくり唇を重ねていく。彼女のやわらかい唇から、ほの暖かい感触が伝わってきた。
「…ゲフィ?」
そのせいで、俺は直ぐに異変に気づいた。
慌てて顔を離すが、ゲフィは目を閉じたまま動かない。
「嘘だろ……」
震える手で、彼女の口元へ手を伸ばす――わずかな間に、彼女の唇は傍の石段のように冷たくなっていた。
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