第6話 Conclusion


「邪魔すんぞ」

 厨房にいるグマに声を掛ける。肉の焼ける匂いが漂ってきて俺はごくりと喉を鳴らした。

「あいよ。いつもの部屋に行くんだろ」

「まぁな」

 手短に返し、階段を二段飛ばしで昇る。


「よう、今日もかこの寝ぼすけ」

 以前と同じ部屋に、ゲフィは寝かされていた。

 そう声を掛けながら部屋に入ると買ってきた荷物を下ろし、窓を開けると春の風がふわりとゲフィの前髪を揺らした。

 目を閉じたまま寝床に横たわっている姿は、こうしてみると本当にぐっすり寝たままのように見える。

「いい加減御起きねぇと、契約金一生掛けても払いきれなくなっちまうぞ」

 ゲフィからの返事は無い。


 俺は深く嘆息した。

「…そろそろいい加減、お前の声がどんなだったか忘れちまいそうだぜ」


 もう一年が経ったが、ゲフィは動きを失ったままだ。

 俺は寝台の傍の椅子に腰掛けながら、あの日のことを思い出していた。


……………………

………………

…………


 ゲフィを抱えたまま動転した俺は、他に頼れる伝も無く真っ先に酒場へ転がり込んだ。

 血相を変えて飛び込んできたにも関わらず、グマは慌てることなくゲフィを彼女の部屋へ安置させると俺を下に連れて行き、奥まった部屋で待機させた。

 そのまままんじりともせず俺は待機せざるを得ない。

 夜も更けてようやく、客を追い出して人気の無くなった店内に呼び出された。

「ほれ、これはサービスだ」

 度の強い酒を渡されたが、俺は傾ける気にならない。

「…なんかあんだろ、話が」

 そもそも酒場は基本、冒険屋のプライベートには関わらない。

 それが俺が一言言う前に部屋に置くよう誘導したということは、何かあったのだろう。

「まあね。話しながらだが、あたしはらせてもらうよ」

 そういうとグマは美味そうに酒を飲む。

 唇を湿らせたグマから聞かされた話は俺を驚かせた。

「あいつ、金を…」

「迷惑料兼葬式代って名目だけどね。あんたが来るほんのちょっと前に渡されたのさ」


 恐らく、ゲフィは覚悟していたのだろう――まともに言葉を交わせる最後だと。


「本来ならそういうのは受けないんだけどさ。だから条件として高めに吹っかけたんだが、それでもあっさり支払いやがった」

 そう言った額は、確かに個人の葬式の代金としてはありえないくらいべらぼうに高かった。

「幾らなんでもぼりすぎだろがババア。なんでそんなことを」

 こいつは確かに善人じゃないが、かといって無知な奴に付け込むあくどい真似をするような女じゃなかったはずだ。

 さらに貶そうとした俺だが。

「あんたに言伝を頼まれたからさね」

 その言葉に、つづく罵声を飲み込んだ。

「…俺に、言伝だぁ?」

「ああ。あたしのような酒場の主人は中立な立場にいなくちゃならない。だから特定の冒険屋には肩入れしないことになっている。そう言ったんだが、あの子はどうしてもと言ってね。しょうがない、なら吹っかければ良いかと思って適当な金額を言ったら…」

「素直に払った、と」

 彼女は肩をすくめた。

 確かに、普通ならそこでひるんだことだろう…が、相手が悪い。あいつの場合、そういう駆け引きは通用すまい。

「さすがに躊躇無く差し出されてからブラフです、と言う訳にもいかないからね。だから…」

 受け取らざるを得なかった、と。俺は深く溜息を吐いた。

「事情はわかった。んで、言伝って何だよ?」

「ああ。あの子から、あんた宛に倉庫のパスワードを預かっている。停滞症で完全に動かなくなる日が着たら、教えてくれ…ってね」

 そういって、胸元から折りたたんだメモを投げてよこした。そこにはいくつかの文字が羅列している。

 ゲフィ専用の貸金庫の番号とパスワードだ。

「確かに渡したよ。今見るかい?」

「ああ、頼む」

 そういって俺は再び彼女にメモを返した。

「ん。…ほれ」

 グラスを置いてメモを受け取った女主人はさっと手を振ると、俺たちと違う色のウインドウ画面を開く。そこを慣れた手つきでとん、ととん…と叩くと、ぽぉんという場違いに可愛らしい音が酒場内に静かに響いた。

「ほれ、空いたぞ。この中の物は今からあんたのものになる。好きにしな」

 そう言ってさっと手を俺に向けて振ってよこすと、ウインドウがすう…とすべるようにして眼前に移動してきた。

「…これか?」

 貸金庫の中には、いくつかの武器や道具、防具が順不同に無造作に羅列されている。

 そこから適当な物を取ろうと一旦手を伸ばしかけた俺は。

「…ん?」

 ふと違和感を覚え、手を引っ込めた。そして、サイドバーを動かし画面を下にスクロールさせていく。

[ベルファイア]

[イヴィルメイル]

[カラドリウス]

[アキナケス]

      ……, etc.

 上から道具、鎧、薬、短剣…と並んでいる。

 だが、そこからさらに下に行くにつれ、数枡開けてから今度は

[委員長のぐるぐる眼鏡]

[親父の腹巻・ステテコ]

[カイゼル髭]

[ギュルファギニング十周年記念盾]

[至高のハリセン]

[ひな鳥の巣]

[ヒヨッコサンダル]

 …と並んでいた。これらはきちんと五十音順で、しかもその下にも幾つか段階を分けてこれまでに渡した装備や道具類がきちんと整頓されて保管されていた。

「…どういうこった?」

 再びスクロールを上へ戻してみる。今度はちゃんと全部を確認してみた。

[ベルファイア]

[イヴィルメイル]

[カラドリウス]

[アキナケス]

[アキナケス]

[輪天刃]

[ガイアナックル]

[トライアームズ]

 …やっぱり、順不同だ。

 この並び方、何か意味が…数順見返して、俺ははっとした。


 ゲフィが買っていたのは、これらだったのだ。


「あの…馬鹿。口に出して言えっての」

 かろうじてそれだけを口にした俺は酒を呷った。久しぶりの酒は目に染みる。

「ばぁか、そうできる自信が無かったからだろ」

「んなこたぁ判ってるよ…判ってるとも」

 それきりしばらくの間、二つのグラスを傾ける際になる氷の音だけが部屋に響いていた。


 そうやって小一時間ほどが経ち。

「ああ、あと、さすがに貰いすぎたからね。葬式費用を別としても半年は置いておけるよ。どうせあんたのことだ、そうするんだろ?」

 何度目か知れない酒を注ぎ足しながらようやく女主人はのんびり口を開いた。

 筋の通らん金を受け取れないというのは、雇用を預かる酒場の主としての矜持からといったところだろうか。

「…判ってて聞くのか」

 まだ少し鼻に掛かったような声だったが、グマはそれについては無視してくれた。そういう気遣いができるのはさすがというところだな。

「当たり前だろ。前も言ったが、口で言わなきゃなんも伝わりゃしないっての。金だけじゃなく言葉まで惜しむつもりかい、ベガー」

 …皮肉かよ。まあいい、俺はまた一口酒を呷り答えた。

「わーったよ。そうしてもらえると助かる。…これでいいんだろ」

 女主人は満足げにうなずいた。

「あいよ。ただ、さっきも言ったけど半年。そこから先はどうするかはあんたが決めな」

 今度は俺がうなずく。


 彼女は暗に言っているのだ。――半年過ぎて尚、復帰しなかった場合の覚悟を決めておけ――と。

 そして、この時点で俺の方もどうするかすでに決めていた。



……………………

………………

…………


 トントンと扉を叩く音で俺は我に返った。


「入るよ」


 返事を待つことなく、グマが入ってくる。そして床にある荷物を見て呆れたように嘆息した。


「店はもういいのか?」

「ああ、あんたが着たから早仕舞いにしたよ。そんな気分になれないし」

「良いご身分だな」

「おかげさんでね」


 憎まれ口を叩きながらグマはテーブルの上に酒瓶とグラスを二つ置くと、対面に座るよう顎をしゃくって促してきたので大人しく従った。

 とくとくとく…琥珀色の液体がコップに注がれる。

 片方を受け取り、互いのコップを軽くぶつけた後、俺たちは酒を煽った。

 久しく忘れていた、胃の腑を焼く感覚が心地よい。


「まだ約束の一年まで時間はあるけどさ、あんたもいい加減自分の体を労わった方がいいんじゃないかい」


 グマにしちゃ珍しく、友人として忠告してくれている。

 彼女の痛々しげな視線は、俺の額から左頬に掛けて走る真新しい刀創に向いていた。

 だが傷はそれだけでない。

 一年前に比べると俺の身体には、無数の傷があちこちについている。


 それというのも今、俺は傭兵としてあちこちのギルドを渡り歩いていた。


 以前のようにちまちまモンスターを狩りして回るより、その方が圧倒的に実入りが良かったからだ。


 それほど金が必要な理由――


 ゲフィは、宿屋に『保管』してもらっていた。


 停滞者は一切動かない上硬直しているため放置しておくと埃が積もるし、倒れたりするともろにダメージを受ける。場合によっては部位欠損することもあるため、屋内においておく必要があるのだ。


 ちなみに当初は俺の家に置くことも考えたが、グマにその考えをしこたま怒られた。

 あのあばら家では雨露の被害を完全に防げないし、何よりゲフィが誘拐騒動のせいで元ゲイングニュルの所有者であることは世間に知れ渡ってしまっている。ゲイングニュルは俺預りになっているが、それを知らない奴もまだまだ沢山いる。そいつらが彼女の身柄を確保して脅迫…という可能性は十分に考えられることだ。

 はっきり言って、指摘されるまで防犯などまったく考えていなかった――何せずっと乞食呼ばわりされていたもんだから、そんなところにわざわざ盗みに入ろうなんて奇矯な奴はいないと思い込んでいたのだ――のでこういう措置と相成った訳だ。


 一応、宿屋で預かってもらう代金はゲフィ本人からすでに出ている。

 しかし、黙って彼女の快復を待つつもりは無い。

 何か、俺でもできることが無いか――考えた末に、俺は神の恩寵というアイテムに目をつけた。


 神の恩寵とは、ギルドメンバー全員の“死亡を含む全状態異常・体力・精神力をすべて即時回復させる”アイテムだ。

 だが、そんな便利な代物の需要が少ないわけが無い。

 入手方法は一定以上の格を持つギルドのマスターが、週一回所有する施設内で神よりランダムで与えられるのみ。

 そのため、大抵はそのギルドが自分たちの施設を防衛する際の切り札として保管されるためにほとんど市場には出回らないし、出たとしてもべらぼうな高値がつくことがほとんどだ。俺が以前調べた限りではノーイ・ラーテムと同額だったが、ゲイングニュルの存在が明らかになった今ではさらに値上がりしているだろう。

 

 それを手に入れるため、俺はしゃかりきになって働いていたのである。


 本当はゲイングニュルを売っぱらうのが一番手っ取り早くて確実なんだが、困ったことにそれが出来そうに無い。

 オークションへ出すため価格査定してもらおうとグマに預けたときに発覚したのだが、しばらくするといつの間にか勝手に俺の倉庫に戻っていやがった。

 ゲフィと共有扱いになっているからなのか…或いはひょっとしてバッドステータスが付いていないだけで、こいつ実は呪いのアイテムなのかもしれない。今のところ厄介ごとしか持ち込んでないし。

 …尚、それに気づいたグマと組んで、何度も売っては荒稼ぎするというアイディアもちょろっと脳裏に浮かんだが…ごめんゲフィ、流石にそこまで俺たちクズになれなかったよ…。


「あえて言わせて貰うが、きちんと弔うのがあんたにもあの娘にとっても良いと思うけどねぇ。停滞者が復帰したなんて事例はほとんど存在しないんだからさ」

「…………」


 んなこたぁ俺が一番よく知ってるよ。その言葉を、俺は酒と共に飲み干した。


 停滞してから一月くらいは、すぐ出来そうな対処法を調べまわった。停滞から復帰したといわれる者も可能な限り探し出し、縋る思いで話を聞いた。

 結果は…他人が能動的に打てる手は一切無い、ということを改めて確認したに終わった。


 暗黙の了解ではっきり口にこそしないが、正直に言えば神の恩寵を使ったとしても効果があるなんてお互い毛ほども信じちゃいない。

 だって、もしそれで快復した奴がいたならそういう話が出回っていないとおかしい。ギルドを所有している奴が誘い水に使えば、幾らでも身内に停滞症患者を抱えた有能な冒険屋を確保することができるからだ。


 やはり、運を天に任せるしかないのだろう。

 そうとわかっちゃいるが、それでも、何もせずにただ待つなんて出来ないから動いているに過ぎない。

 人は、理屈だけでなく感情と合わせて動く生き物なのだ。


 気まずい沈黙を破りたかったのか、蒸留酒のお替りを俺のグラスに注ぎながらグマがぼやいた。


「…やれやれ。あんたとこの子を引き合わせたのは失敗だったかねぇ」

「やっぱりそこから仕組んでやがったか、この腹黒ババア。道理で変だと思ったぜ」

「当たり前だろ、あたしを誰だと思ってんだよ」


 育成するなら、俺のような隠居なんかよりも現場で動いてる現役の奴の方が良いに決まっている。

 自分の立場を改めて省みた俺は苦笑しながら酒を呷った。


「だが、何故そこまで俺のことを気に掛けるよ。冒険屋個人には不干渉、それがあんたら酒場冒険屋ギルドの不文律じゃなかったのかい。さては年甲斐も無く俺に惚れたとか?」


 間髪入れず、馬鹿抜かせというお叱りを頂いた。


「あたしは酒場の主人以前に、国直営の管轄下にあるからさね」


 …ん?


「どういうことだ? 矛盾してないか」

「してないよ。…まあいい、ここからは独り言だよ。年を取ると酒に弱くなっていけないねぇ」


 言いながら結構度数の高い酒を大きく煽ったグマがぷはぁっ、と息を吐き出すと、ゆっくり語りだした。


「この国においてギルドシステムが発足した当時、国王の不意な病死により年若い皇子が継承した。そのため、古参の貴族からの支持が得られなくてねぇ…彼らの所有していた戦力が当てにできなくなったことで周辺国からの侵攻を危惧した国王は、苦肉の策を出したのさ」


 それが、国内に多く点在する遺跡を求めて諸国から集まってきた冒険屋を彼ら自身で束ねさせ、組織した集団を一時国軍扱いとすること。

 いわばハリボテの軍を見せつけることで国庫に負担無く国を守らせるつもりであったのだ。調べればすぐ分かることではあるが、国王は優秀なギルドを取り込むことで為し崩しに軍扱いへ昇格することまで想定していた。

 この一見子供だましとも見えた目論見は意外と当たり、ハーヴァマールが台頭していた頃までは各ギルドの立ち位置を懸念して侵略行為は収まっていた。


「だがねえ…国王一派の思惑が思わぬ所で狂いだしたのさ」


 その元凶が、神の武器。


 従来の、人の手により生み出された武器とは比べ物にならない強力無比な性能。そして、何よりそれを得る手段が基本的に守護者から渡される宝珠のみという極めて強い神秘性の二点から、所持者が国民、そして貴族の多数より崇められるようになってしまったのである。


「当初は国王はじめ大半が『それでも素人集団に何ができる』とたかを括っていたのだが…これが大失敗だった」

「そうなのか?」

「ああ。ハーヴァマールを乗っ取ることで急激に台頭したKoRが神の武器の所有率の高さでも有名になったろ? そのせいで、世論には神に愛されたギルドが国を代表するんだっていうイメージが根付いてしまったのさ」

「あぁ…そういう…」

「その上利権の匂いを素早く嗅ぎ取った教会も協力してねぇ。さしたる議論をする間もないまま、戦闘経験を積めず弱兵ぞろいとなっていた正規軍に代わりKoRが国の防衛を一身に担うという形を取り付けちまったのさ」

「…王は若過ぎてその辺見誤ったってことか」

「ま、そういうこと。教会も、大抵表向きだけはよくても内心は如何に上手く利権を貪るかに長けてる連中ばかりだ。そんな古狸相手じゃ、正直分が悪いとしかいいようが無いさね」


 そうした紆余曲折の末、正式な抑止力の場に納まったことでさらに国内外への影響力を想定以上に強めた形になったKoRは、当然国王一派からすれば非常に目障りな存在である。


「国王としちゃあこれ以上のさばらせたくないからね、どうにかして権力をそぎ落としたい。が、KoRに直接手を出すのはまずい」

「他国へ逃げられる危険などもあるからな」


 俺だったらそうするだろう。その考えを述べると、グマも深く頷いた。


「だから表面上は好き勝手を許しながら、水面下で何とかしようと考えた訳だ。まあ幸いといっちゃあ何だが、KoRの構成員は大半が名声に惹かれて寄っただけのロクデナシばかりだったからね。その被害を抑えるという名目で、国は冒険屋ギルドと協力するを取り込むことに成功したんだよ」

「それが“酒場”か」


 グマはもう一度頭を縦に揺らした。


「だからあたしらは一応国営機関でもある。その仕事の一環として各ギルドの動向には普段から注目していてね。国の運営に関わるようなことや、冒険屋全体の存在を揺るがすような出来事には秘密裏に動ける裁量が与えられてるのさ」

「なるほどね…納得」


 思い返せば、ゲフィが攫われた情報一つとっても仕事を斡旋するだけの酒場ができる範疇を逸脱していたからな。

 幾ら神の槍を所持していたといっても、一冒険屋の動向を夜中に把握しているとか普通にはありえない。

 しかし、KoRを監視していたというならさもありなん。


「酒を飲んだら忘れとくんだよ。さもなければ最悪、消されるからね」

「おお怖。そういうことならしこたま飲ませてもらうぜ」


 お替りを注ぎながら、俺は次の質問へ移った。


「グマ婆さんたちの立ち位置は分かった。だが、俺に拘った理由がまだ見えないな」

「人を婆さん呼ばわりするくせにあんたもボケちまったのかい。さっき言ったろ、国直営の管轄下にあるって。その立場から、有能な人材をあたら腐らせるのは許されないのさ」

「ふうん?」


 さしづめ、KoRに対抗するために協力を取り付けようと考えたのは冒険屋ギルドのみではないということだろう。

 そしてそれは敵対ギルド、或いは俺のような個人も含まれる、と。


 俺なんぞにそれだけの価値があるかは甚だ疑問だが。


「買い被りすぎだろ」

「無駄な謙遜ほど嫌味なものは無いよ」


 横目で睨まれた。


「言っておくけど、あんたのことはすでに調べがついてるんだよ。ハーヴァマールはKoRに乗っ取られたことで影が薄くなっているけどね、あのギルドが他に齎した組織的な運用は実は国軍でもその域に達していないんだ。それを取り込んだ男が有能じゃなかったら何が有能になるってんだい。多分、宰相辺りが知ったら確保に動くだろうさ」

「…手間掛けてすまないな」

「まったくだよ」


 そうならないのは…俺の心情を酌んでグマが現場で握りつぶしてくれていたのだろう。こりゃまたどでかい借りができたようだ。


「あーあ、過去の栄光にすがって燻ってた腑抜けがようやく蘇ってくれたかと喜んでたのに…また振り出しに戻っちまって。大の男が情け無いったらありゃしない」

「けっ、このお節介ババァめ。そう思うんなら放っておいてくれりゃ良かったじゃないか」


 噛み付くように返すとグマは苦々しげに答えた。


「そうは行くもんかい。力ってのは、そこに責任がついてまわるもんだ。力を私欲のために振るう奴も、逆に誰のためにも振るわないのも迷惑でしかない。どっちもろくでなしさ」


 グマからすれば、所詮は俺もルークと同じ穴の狢ということなのだろう。


「…耳が痛いね」

「ふん」


 グマは鼻を鳴らすと無言で酒盃を傾ける。からん、氷の音が室内に響いた。


「事実、あんたが表舞台に戻ってからは他のギルドをはじめとした冒険屋の動きは活発になった。結果として、KoRナイツ・オブ・ラウンド一強の時代は終わりを告げ、各ギルドも力を蓄えるようになった。今も尚それだけの影響力を持ってんだよ、あんたは」


 俺の影響力としてみるのには納得いかないが、結果としてKoRの失脚によってそれまで力を失っていた国軍が冒険屋に対する制御を取り戻せたことには違いない。さぞやグマの雇い主も今の情勢には満足されていなさることだろう。


 それ以上話すことも無いと、俺たちは黙ってグラスを傾けあう。


「なあ」


 しばらく黙ってグラスを傾けていると、再びグマが問いかけるような視線を送ってきた。


「あんた、この子とは別にまだ恋人ってわけじゃないんだろ?」


 俺は黙って肩をすくめるに留めた。彼女の意図が読めなかったからだ。


「なら…いい加減終わりにしてやっちゃあどうだい」


 俺の敵意のこもった視線にもグマはひるまなかった。


「報われないと判っていることをつづけるのは馬鹿のすることさ。生産性の無いことをつづけるのは、あんたもそうだしその子にとっても無益なことだと思うけどね」

「案外冷たいんだな。長い間面倒を見てるからもう少し情が移っていると思ってた」


 一瞬、グマが柳眉を寄せる。俺が思っている以上に傷ついたようだ。

 しかし、すぐにいつもの飄々とした表情に戻って嘯いた。


「そりゃあ他人事だからね。多少馴れ合ったからと一々感情移入してりゃ、うちは商売上がったりになっちまうさ。冒険屋相手なら尚更ね」


 俺はちらりと頭を巡らし言った。


「その割にはきちんと掃除もしてくれているようだが?」

「それが仕事だからね。前金は貰ったんだ、相手が何であろうとどうなっていようとその分はきちんと対応する。それだけのこったよ」


 何がそれだけのこった、だよ。


 枕傍のナイトテーブルにはアマツにだけ咲くウメの枝が一枝、小さな陶磁の花瓶に生けてあった。

 思い入れが無ければわざわざそんなことはすまい。


 俺の視線の先に気づいたグマはぷいと顔を背けた。永井耳が心なしか赤い。


 ふと気づく。

 グマがこうしてただの一個人に便宜を図っているのは、直接ではないとはいえ巻き込んでしまったことによる償いのつもりもあるのかもしれないな。


 まったく不器用なことだ。


「あんたも…俺と同じだな」

「どこがさ」


 俺はグラスを呷り、残っていた酒を飲み干した。


「俺はこいつを鍛え上げてヒュペルボレイオスへ連れて行くと契約したんだ。それなのにゲイングニョルなんて報酬よこしやがって…おまけに突っ返すことも違約金として上納することもできねぇ。なら、最後まで付き合うしかねぇだじゃねえか、なぁ?」


 そういって、じっとグマを見つめる。


 やがて、グマが先に視線を反らせた。


「そうかい。…気持ちは変わらないってこったね」


 女将は大きく溜息を吐き、今回の説得を諦めてくれたようだった。

 ついでだ、安心させてやろう。


「それに、あんたは間違ってる。前のときとは違うぜ」

「何が違うんだい」


 俺は空の右手を差し伸ばし。


「掴んだものが違う」

 拳を握り締め、そう言った。


「ゲフィが攫われたとき、俺は選んだんだ。ゲイングニュルじゃなく、ゲフィをな。大抵の奴にとっちゃゲイングニュルは一生を掛けても得られない代物だ。なら、ゲフィを取り戻すにも、それ以上の手間隙を掛けないと世の中つりあいが取れないってもんさ。…だろ?」

「あんた…」


 俺のあまりに含蓄深い台詞に言葉も無いようだ。


「何だい、感動でもしたってか。ならその分多少色つけてくれても良いんだぜ」


 俺の顔を見つめたまま、グマは長々と息を吐いた。


「はぁ~~~…冗談、なんでわざわざそんなことしなきゃならんのさ。つくづく馬鹿な男だと呆れただけだよ」


 ええ…

 自分じゃ内心、結構イケてると思ったんだけど…その評価はちょっとショックだ。


「へいへい。ま、知ってたけどな」

「…けど、安心したよ。んな馬鹿言える位ならまだ平気だろ。頑張って稼いでくるんだね」


 そういって女将は部屋を出ようと立ち上がったが。


「次はいつだい?」

「明日だ。夜にライト・オブ・ラウンドの援軍要請が出ているからな」


 KoRナイツ・オブ・ラウンドの元メンバーのうち、ルークに反感を持っていた少数派や潰されて無理やり吸収合併させられた他ギルドの構成員たちが独立して作ったギルドだ。そいつらがKoR残存メンバーに占拠されている(首都のとは別の)拠点を奪うための手伝いをする契約を結んである。久しぶりの大仕事だ。


「食事は用意しておくから、せめて今日くらいゆっくり休んで英気を養っておきな」

「助かる」


 今度こそ部屋を後にした女将に礼を言うと、俺はゲフィの方を振り返った。


「はやく起きろよ。お前と共にギルドを再び立ち上げる日を待ってるんだからな」


 いまだ眠ったままの彼女の頬をそっと撫でてやる。と、髪の上に一片のウメの花びらが舞い降ちた。


「風で吹き飛ばされてきたのか?」


 それを取り、屑篭に入れがてら俺は窓を閉めようと立ち上がる。


 ふと、背後で布の擦れる音が聞こえた気がした。

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