第3話 Development

「え…抜ける?」


 何度となく再生された間抜けな声。


 ああ、またか。


 困惑するのとは別にどこか冷静な部分はやっぱりかと感じていたが、それでも俺は尋ね返していた。

「おいおい、冗談だろ…ルーク」

「冗談でこんなことを言うもんかよ!」

 そう怒声を返すルークは、今の全身雅やかな装備尽くしの格好ではない、小汚い使い古しの愛用品に身を包んでいる。その、手にしていた長年の愛用武器を地面に叩き付けた。

 キィーーンンン…

 古い、丹念に手入れされてきたはずの剣は、石畳とぶつかったときに澄んだ音を立てて欠けてしまった。

「もううんざりなんだよ! こんな、貧乏ったらしい格好で何が最大手ギルドだ! 元、じゃあねえか! いつまでも過去の栄光にしがみつきやがってみっともないったらありゃしねえ! 宝珠を積極的に使わないとこなんざ、今更他にないんだよ!」

 彼の背後には他のギルドメンバーも数人事の成り行きを見守っていたが、その言葉にはいずれも深くうなずいている。

「挙句の果てに俺たちのことを、裏で周りの奴らなんて言ってるか知ってるか? 乞食が頭領の乞食ギルドだとよ! 笑っちまうよなぁ!!」

「乞食だぁ?」

 馴染みあるその言葉に俺は思わず顔をしかめた。自分の名前とはいえ、好き好んで聞きたい呼び名ではない。

「何だよそれ。俺に面と向かって言うならまだしも、ギルドには関係ないだろうが」

 俺がやらないのはもちろんだが、ギルドでは他人に装備などを恵んでもらうような乞食行為をはじめとした、他人に不快感を与える行為については硬く禁止している。


 いや、百歩譲って屍肉漁りのことを指すなら、まだ分からんでもない。

 俺たちの主な収入源はダンジョンに出向き、そこでモンスターたちを倒してはその素材やら財宝やらを掻っ攫うことにある。だが、そんなことは冒険屋ならどこの誰でもやっていることであり、一々揶揄される筋合いではない。

 筋違いだ。


 しかし、そんな俺の考えは的外れだった。


「…あんたや俺たち上層部は確かにやってないがな。末端でそういうことをしている奴が出てきているのさ」

「なんだと?! だが、確かに前にはいたが、そいつらはもうとっくに辞めさせたはずだろ」

 

 そう、過去俺たちのギルドに身を置き、権威を笠に着たチンピラの一団が好き放題したことがあった。

 高級アイテムを騙し取ったり、ボディガードと名乗っては付いて回って絡んだり、美人局をしたり或いは女僧侶となって貢がせたり…(尚、その一人が後で男シーフとなっているときに貢物を仲間に見せびらかしていたことで把握した被害者連中が怒鳴り込んできたことが切欠となり、一連の問題の露見に繋がった)。

 発覚し次第、問題視した俺をはじめとした上位陣が力づくでそいつらを叩き出したのだ。

 自分の、人を見る目の無さを痛感した一件だった。


 俺の言葉に、ルークはうんざりといった体で首を横に振る。

「辞めさせたからと言って一時在籍したことに変わりは無い。だろう?」

 一度定着してしまった印象は、そうそう変えられないと言っているのだ。

「何より問題は…他に真似をする奴が増えたことにある。良い前例を知っちまったからな」

 その言葉に俺は仰天した。

「なっ…それは本当か?!」

「ああ。お前も知ってるだろ、がるぞ~の奴」

「…確か、数ヶ月前に入った奴だったか。中途半端にステータスを伸ばした騎士で、あまりぱっとしない印象があった」

「あいつ、女僧侶になって貢がせようと新人に声を掛け捲ってた。以前使ってた装備をしてたから判ったんだ」

「そうか…」

 俺は、全身から力が抜けるのが判った。その場にへたり込んでしまう。

「言っておくが、そいつだけじゃない。がるぞ~は氷山の一角だ。俺が処分してきたのが他にもごろごろいやがる。これでも乞食ギルドじゃありません、って言ったってそりゃ信じられるわけないだろうが!」

「ぐ…」

 確かに、他人事なら俺もそう感じるだろう。しかし、ギルドを預かる身としてはそんなこと到底許せるものではない。

「そうか…そうだな。仕方ない、もっと規則をしっかりしないと…」

「そこがダメなんだよ」

 そう言ったルークの声は、冷え切っていた。

「あんたはそこが分かってない。だから俺たちはもうあんたにはついていけない、そう判断した」

「分かってないって…何がだよ!」

「何でがるぞ~がそんな真似したか、分かるか?」

 ルークの問いに、俺は首を横に振る。

「力だ。力が欲しいからだよ」

 その言葉に俺は…ただただ、呆れた。

「はぁ? それなら普通に狩りをして、買い換えていけばいいじゃねぇか。何でまた、そんな品位を自ら落とすような真似をしてまで欲しがるんだよ。それじゃ本当に乞食じゃねえか。訳わかんねぇ…」


 俺たちのギルドメンバーは確かに、新天地が開拓された直後に向かったり、新しい神の武器が発見されたとあってもすぐに手に入れたりすることはできない。


 当時、青臭かった俺は理想はいつか叶うものだと信じていた。

 ちょうど神の武器が出回りはじめた頃、俺は神を信じられなくなっていた。

 安易に、だが環境によって明確な差がつく神の武器を、俺は至高神からの贈り物ではなく邪神からの不和の種にしか見えなかったのだ。


 本当に神がいるなら、何故力を等しく与えない?

 本当に神がいるなら、何故停滞した人々を助けてくれない?


 だからこそ、それでも地道に昇り詰め、鍛え上げ、最先端ではなくとも着実に踏破してきたのだ。

 その着実な歩みこそが、俺たちのギルドの強みであり、誇りでもあった――はず。


「…それじゃダメなんだよ。手っ取り早く、上にのし上がるための力が欲しいのさ。俺もな」

 手っ取り早く、という言葉で俺はルークが言いたいことをようやく理解した。

「神の武器、か…」

「ああそうさ」

「お前…まさか」

 お互い、しばし無言でにらみ合う。


 俺は、このギルドの長に就くよう頼まれたとき、一つの約束を設けた。


 俺たちは、仲間を恃みとして集った冒険屋だ。

 守護者から与えられる宝珠、神から与えられる武器に甘えることなく、己を律し、鍛えて生きよう。 

 神の武器は、誰かに与えられるのではなく、自らの血と汗を流した手で掴もう。

 そうするに相応しい自分、そしてギルドでありつづけよう。


 ――それが、ギルドを作る契機でもあったから、

         仲間たちは喜んで賛同してくれた――


 そして、仲間たちが消えた後には――


         ――約束は呪いとなった。


「神の武器を手に入れて何が悪いんだ! 金を溜めて買うのが構わないなら、さっさと強くなって溜めたって変わんねぇじゃねぇか! いつまでもあんたの懐古主義に、他の連中を巻き込むんじゃねぇ!」

 そう言い捨てるルークは、確かに古参だが厳密には創設時のメンバーではない。周りの賛同者たち全員もだ。


 懐古主義…確かに、彼らからすればそうなのだろう。


 創設時のメンバーは俺以外は皆、停滞者になってしまった。

 彼らがいつか、きっと、帰ってくる日のために、俺は頑ななまでにその約束を守ってきたのだ。


 だが…仲間が帰ってくる居場所を守り続けるのが、何が悪い?

 

 元々ここは、お前らのための場所じゃない。

 俺が、俺たちの居場所として作り上げ、守ってきたものだ!!


 それをばっさり切って捨てられ、俺も頭に血が上った。

「懐古主義と言われたら確かにそうだがよ。神の武器を得てさっさと強くなる? 笑わせんな! そんなもん、道具に使われてるだけじゃねぇか。数打ちさえ満足に使いこなせねぇひよっ子が寝ぼけたこと抜かすんじゃねぇよ!」

 俺の煽りに、ルークも青筋をこめかみに浮かべ言い返してくる。

「はぁ? 意味わかんねぇ。経験? 立ち回り? そんなもん、良い武器を手に入れたら自然と覚えるわ! くっだらねぇ…」

「覚えるわけねぇだろうが! お前は騎士志望だったな? 使ったら最後、なんでもかんでも木っ端のようにぶっ飛ばす武器を使って微妙な間合いの感覚が身につくとでも本気で思ってんのか? そんな奴と組んだら、相手が気の毒になるぜ。いつ一緒に巻き込まれるかも知れないんだからよ!」

 そう返すとルークはぐ、と言葉に詰まった。が、すぐに何かに気付いたのか、口元をゆがめて俺を嘲笑った。

「ああそうか、分かったぜ」

「あぁ? 何がだよ」

 つづけるルークは、

「あんた、俺たちに嫉妬してるんだ。自分の守護者は何もしてくれないからって、神の武器をくれる俺たちの守護者様によ…」

 笑みを作ろうとして、どうにも上手くいかないようだった。


「…けっ、馬鹿馬鹿しい」


 的外れな言葉に呆れた俺に対し、更に笑みを引きつらせ、ルークは勝ち誇ったように言う。

「図星を突かれたってかぁ? 与えられた力だろうが何だろうが俺は喜んでもらうぜ」

「そんなに強さが欲しいのかよ? お前もがるぞ~と同じだな。力だけを見て、大切なことを忘れている」

 目的は手段を正当化しないのだ。

 だが、俺の言葉を侮蔑と受け取ったルークが激昂した。

「がるぞ~と一緒にするな! 俺は品位を捨てた覚えは無い!」

「変わらねぇよ。品位を投げ捨てた相手が、同輩か守護者かの違いだけだ」

「抜かせ。その大切な物とやらを後生抱えたまま、あんたはそうやって、一人でずっと屍肉漁りでもなんでもやって地べたを這いずり回ってるがいいぜ。俺たちは力を手に入れて、もっと高みを目指す。…そう、神へも挑むんだ!」

 俺の言葉はもう、ルークには届かない。

 そう、目的は手段を正当化しないことを忘れたのは俺も同じだから。

「…一人、だと?」

 その言葉に、俺はようやく気付いた。

 いつの間にか、周囲にはギルメン幹部全員が揃っていた。

 そして、彼らは何れも、ルークと同じ視線を俺に向けている。

「お、おい、まさか…お前たちもなのか?」

 俺の問いに、視線が合った奴は誰もが気まずそうに背ける。けど、それだけ。

 答えは…明らかだった。

「…神へということはエデンか。いつかみんなで行こう、そう言ったじゃないか! なのに、どうして…」

 俺の叫びに答えたのは…意外にも、ルークだった。

「…ああ、いつかは行けただろうさ…だが、いつだ? それまでに、俺らやあんたが停滞者になっていないとどうして言える?」

 はじめての、怒り以外の篭った声。

「それは…」

 その問いには――俺も答えることができなかった。


 停滞者が少し前から増えているという情報は町中で溢れており、人々に恐怖を植えつけていた。

 それは…俺も、俺たちも、例外じゃなかった。


「…俺は、今のように、後から出てきて名を上げていく奴らの後塵を拝したまま、停滞者になって忘れ去られるのだけは嫌だ」

 ルークの声が震えたように感じた。そうと気付いた俺は何か声を掛けようとしたが、生憎気の利いた言葉が見つからない。


 停滞者となった創立メンバーに未練を抱く俺が、何を言えたというのだろう。


 何より、俺にも…その恐怖は、痛いくらいに理解できた。


 肉体の死は、許容できる。

 俺たちにとって終わりではないのだから。

 

 だが…停滞だけは、違う。

 すべてが終わり、世界から、人の記憶から、取り残され、やがて…忘れ去られる。


 そのとき、停滞者は何を思うのだろう。

 意識は消えるのだろうか?

 それとも残ったままで、自分が忘れ去られていくのをただ見つめるしかないのだろうか?


 その解を知る者は今も尚いない。

 未知は恐怖へといともたやすく転じる。

 そして俺もまた、友を忘れるという恐怖から逃れられないでいた。


 停滞症の恐怖に耐えられる者は、俺たちの中には誰もいなかった――それだけの話だったのだ。


「あんたとなら、そんな奴らにも負けずに戦い抜ける。上を目指せる――そう思っていた時期もあった。だが、あんたは過去に拘り、先を見ることをとっくに止めていた…俺たちを見ないでな。だったら、こっちとしてももうあんたと一緒にいる義理は無い。そうだろ?」

「…………」


 ルークは俺の反応を諦めたと思ったのか、仲間たちに合図をする。

 元仲間たちはもはや俺を一顧だにすることなく立ち去っていく。

 そして、最後に残ったルークは背を向けたまま、最後に言葉を吐き捨てた。

「あんたと一緒に神と戦いたい…俺だってそう夢見てたさ。だが――夢は、いつか醒めるもんだ」


 その言葉で俺は夢から覚めた。


……………………

………………

…………


「ふわ、あぁ~~~ああ…っと」


 大あくびしながら右手の大盾で天使型マンジュルヌこと『マンジュエル』三匹の体当たりをいなしてやる。

 飛び跳ねて転んだところに、俺の頭ほどもある音符のエフェクトが突き刺さり、一匹のマンジュエルが爆散した。

 この特徴的なエフェクトは、音叉剣ゲイド・メギデイオンの物だ。

 剣として使うこともできるが、道具として使うと音符攻撃ができる。火力こそ控えめなものの音属性には抵抗持ちが少ないので、雑魚散らしとしてはなかなかに有用なのだ。


「ベガー、油断…ヨクない」

 俺のやや左背後からむすっとしたようにゲフィが声を上げる。

「ベイカーだ。いい加減覚えろ。というかマンジュエル程度、今のカッコなら寝ててもダメージ受けねぇよ」

 今の俺は珍しくかっちりした甲冑に身を包んでいる。エデンを徘徊するモンスターたちは聖属性しか持たないので、ある程度以上育てば聖属性無効装備をつけることで文字通り無敵となるのだ。


 ちなみにゲフィの場合はさすがにまだ被弾したら一撃死してしまうが、そうならないためにも俺の掲げる盾の重心から俺へと結んだ延長線上の背後に立つよう、立ち回りをきっちり教え込んである。

 他にも無駄遣いしないよう敵の挙動に応じて注ぎ込む魔力量の調節方法や、囲まれた場合の対処法などを多岐に渡って細々と指示してきたが、根が素直なようでゲフィは着実に力量を上げていった。


 ゲフィはどういうわけか二日に一度程度しか来れないとのことで最短コースは無理なものの、この調子なら予定より一週間ほどはやく繰上げてビフレストに移れそうだ。


「コレで…ラスト! OK!」

 そんなことをぼんやりと考えているうち、残ったマンジュエルの掃討も終わったようだ。

「よし、それじゃ少し休憩だ」

 俺の言葉に、ゲフィは嬉しそうに破顔するとふらふらと傍の岩へ背を預けるようにして地面にへたり込む。その正面に俺も腰掛けた。

 こうすることでお互いの背後を注視する訓練も兼ねている。


「どうだ、結構大変だろ」

 声を出す余裕も無いゲフィはこくりと頷いた。魔力をガンガン使っているはずだから無理も無い。

 俺も魔法を使いはじめた頃は同じだったなぁ…つい昔を懐かしんでしまった。

「けどま、お前は筋がいいよ。ほれ、これでも飲め。魔力が少し回復するぞ」

 そういって俺は倉庫から取り出した二つのりんごジュースのうち一つを放り投げてやる。

 数ヶ月…いや、数年前だったかな?に作ったものだが、この世界では食い物が腐ることはない。瓶に詰められて密閉されているから埃も入らないし、わざわざそうと言わなきゃ問題ないだろう。

「アリガトゴザマス。ア、ソレなら丁度いいデスネ」

 りんごジュースを受け取ったゲフィがそれを脇に置くと、今度はいそいそと自分の荷物を漁り出した。

「コレ、ドーゾ」

 そう言って渡されたのは、小さな弁当箱だった。

「これって、わざわざお前が作ってきたのか?」

「ハイ」

 こくり、ゲフィが頷く。

「ありがたいけど、何でまたこんな手間掛けて?」

 そう尋ねると、ゲフィが苦々しげな顔になった。

「…モウ、その辺デ潰シタマンジュルヌソノママ食ベルの嫌ヨ」

「お、おぅ…」

 苦虫を口いっぱいに突っ込まれたようなその表情に、俺もさすがに茶々を入れるのをためらった。


 貧乏性の俺は、ゲフィが倒すまでの間にそれまで犠牲になったマンジュルヌたちの身体を集めていた。

 それを一緒くたにして、時間があるときに貪り食う!のが、昔からの俺たち冒険屋の流儀だったものだ。

 もちろん、この伝統はペットが流通してから瞬く間に廃れた。


「やっぱ味か」

 色んな種の混合率で味が変わるので、慣れない奴は慣れないかもしれない。

 人間、贅沢に慣れるといざというときが怖いね。

 かく言う俺も久しぶりに食べたらドブのような味だと思ったがこれは内緒だ。当時は仲間同士で作りあって食ったもんだが、ちょっとした運試し扱いだったっけ。

 食べ飽きていた普段のマンジュルヌがご馳走に思える日がくるとは思わなかったなぁ。

「違うネ。見た目キツイヨ。何でベガー、イツモ顔の部分バカリ食べサセる?」

 なるほど、そっちか。

 俺がわざわざ苦しみぬいたマンジュルヌのデスマスク部分だけを寄り繕ったのが御気に召さないわけだ。

「バッカお前、そりゃ奴らの断末魔の顔に慣れておけば後々他のモンスター相手にするときにも慣れるだろうという俺の親心よ」

「慣レタクないネ」

 ジト目で睨まれる。

 おおいやだいやだ、弟子にそのような目で見られようとは。

 レベルを上げた代わりにどうやらこいつは遠慮というものをどこかに置いてきてしまったようだ。まったく、誰に似たんだか。

「トイウカベガー、他の何故食ベナイ? 他の人、モット色々ペット連レテルヨ。ベガーなら、捕マエルのも飼ウのも楽ダヨネ? お金、ナイ?」

 …ホント遠慮しなくなったなコイツ。

 ここしばらく一緒に行動してきた結果、ゲフィもそれなりに見識を広げているようだ。そんな中でも、俺の生活様式は赤貧洗うが如しに見えるらしい。


 ここはその過ちを糾してやろう。


「…あのな。何にでもいえることだが、欲しいからとどんどん新しいのを買おうとするのって良くないことだぞ」

「ジャア…必要なら買ウ? ベガーも?」

 お前は俺を何だと思ってんだ。

「あったりめーだ。実際、俺だって必要と思った装備には手間と金を惜しみなく注ぎ込んでいるぞ」

 俺の場合、単に享楽嗜好には余分な金を使わないという考えが骨の髄まで染みているだけの話だ。

「世の中、手持ちの札しかない状態で勝負しなきゃならんときは幾らでもある。その度に新しい物を買うことで対処することに慣れちまうと、後々本当に必要なものが出たとき金が無いなんてことにもなりかねん。命を掛けられる武器や防具を、ペット買ったせいで買えませんでした~なんてことになったら後悔してもしきれねぇ。違うか?」


 そして、もう一つ言うと俺は大抵手札にババが来る。

 勝ちを見越して散在して、そして痛い目にあうのがセットなのだ。

 だから俺はギャンブルは嫌いだ。


「ンン…」

 ゲフィが頷く。

「ソレハソウダケド、ホドホドデ割リ切れるナラ良いノデハ?」

「ほどほど…まあ、きちんと自制できるんならいいだろうけどよ」

 俺の返事に、ゲフィは小首を傾げた。

「ベガー、違ウ?」

 イエスともノーとも答えず、俺は肩をすくめる。

「生憎俺は、世の中に自分ほど信じられるもんはねぇと思ってるんでな。下手に買った勝ったら、最初は満足できても、やがて満足できなくなる。周りの目だって気になる。だからまた新しいのに手を出す」

「ドッカデ止メタラ…」

 俺は首を振って断言する。

「それで誰もが自分を律せる奴ばっかりなら、今頃新しい装備が出るたびに宝珠を捧げる奴はいなくなっとるわい。大体、その区切りはどこでどうやってつける? 特に、冒険屋なんてやってる奴の大半はそんな区切りなんて端から持ち合わせてないぞ」

「…ソウカナ…?」

「そうだ。なんせ、いつ人生が終わるかも判らんからな。だから、大抵は享楽的で即物的だ。だからその日その日で楽しいと思うことは我慢せずに行うし、手っ取り早く強くなる手段があるならそれを得たいと考える。そうじゃない奴は…俺含めよほどの変人だけさ」

 言いながら俺は、今朝の夢でも見た一人の男の顔を思い浮かべていた。

 せっかくだ、そいつのことを話してやろう。

「…俺のある顔見知りはな、昔はその眼で世界の果てを見るための努力を惜しまない男だった。己を鍛えることに凄い真面目でな、在籍していたギルドを支えるに相応しい奴だった。だが…次第に焦りはじめた」

「焦リ?」

「ああ。俺たち冒険屋だけが、停滞病に掛かる。それが判ってからというもの、奴は手っ取り早く果てを見るため簡単に手に入る力を求め神の武器を集めだしたのさ」

 その後のことは、俺は伝聞でしか知らない。

「だが、世界が開拓されればされるだけ、強い敵が現れ、新しい力が必要となる。そいつらに対抗しようと新しい神の武器を求め、そのためだけに戦うようになり…いつしか自分どころか、取り巻き全員に配っても余りあるほどの神の武器を個人で所有するまでになっていた。首都の武器屋も顔負けさ。多分、この世界で活躍している冒険者の中でも指折りの蒐集家だろうさ」

 ゲフィが一旦何か言いかけるが、結局そのまま口を閉じる。頭の良い奴さんのことだ、誰を指しているのか察しがついたのだろう。

「だが、そうなった今でもほぼ毎日神の武器を集めている。武器を握る手はたったの二本しか無いのにな。それは必要だからじゃない、揃えたい、集めたい…そして、注目されたいからやってるんだろう。事実、あいつのギルドも…今は、新しい世界を開拓しなくなって久しい」

 俺は、目があったときのルークの勝ち誇った表情を思い出しながら吐き捨てた。

 昔、共に果てを見に行こうと輝かせていた目は、鏡で見た俺のと同じように暗く淀んでしまっていた。

「あいつは…もう、冒険屋でも何でもなくなったちまったのさ」

 瓶の蓋を乱暴に開けるとりんごジュースを一口含み、喉を湿らせる。

 マンジュルヌに食べなれた結果、野良マンジュルヌを食っても美味しいと思えなくなるのと同じだ。

 至高剣ノーイ・ラーテムを得ても尚、何の感慨も持てない人生。

 昔はあんな奴じゃなかった。

 はじめてマンジュルヌを狩ったとき、いきなり出た二束三文にもならないアイテムを心底嬉しそうに俺に見せ付けてきたっけか…

「確かにあいつは守護者に恵まれている。幾らでも神の武器を手に入れられるからな――だが、それが本当にいいことなのか俺にはわからねぇ。なんせいつまで経っても満たされることがないんだからな。あいつは他の連中が一生分の運を使い果たしても手に入れられない物を得たとしても、もう、一生満足できることはないんだろう。…まるでガキだぜ」

 あいつの守護神様も大概残酷だと俺は思う。

「ガキ?」

「ああ、ゲフィは知らんか。ヨモツってとこにいる雑魚モンスターのことだ」

 そこにいる奴の説明だと『生きている間生前に贅沢をした者が、罰として死後永遠の飢餓に苦しむようになった姿だ』って話だそうだが…実際、冒険屋を見ると貪りつこうとする。

「わらわらとどこからともなく沸いて出るあいつらに大量に絡まれた場合、最悪鎧ごと齧り殺される。食料を投げればそちらにいく習性を利用して逃げるのがデフォなんだが…奴らにはどんだけ食い物を与えても満腹にはならねぇんだ」

 それを聞いて、ゲフィがぶるっと身震いする。

 どうせ生きたまま齧られるところでも想像したのだろう。ま、ぞっとせんわな。

「ウン。確カニ、ヤリスギヨクない。ガキ、怖い。ゲフィも思ッタヨ」


 ゲフィも神妙な面持ちで同意した。うむうむ、判ってくれたようでおじさん嬉しいよ。


 が、すぐにぱっと表情が変わった。

「ケド、ソレはソレ、コレはコレネ。ベガーなら、キット平気ネ」

 あっけらかんと言われ、俺はまじまじと見返した。

「…お前、人の話聞いてた?」

「聞イテタヨ!」

 むっとしてゲフィは返答する。

「ソノ上で思ッタヨ。ベガー、キットノーイ・ラーテムモラッテもホトンド使ワナサソウ。刃こぼれシタラ勿体無いトカ何トカ言って」

 そんなこと俺は言わない…いや、言うか。言うな。

「持ッテテ使ワナイ、なら同ジだヨ」

「いやぁ、そりゃどうかな」

「判るネ。ベガー、無駄に物持チ良い」

 恨めしそうに手で鼻先をなぞる。鼻眼鏡のつもりだろう。

「ナラ、武器買ッタツモリでタマに贅沢スルのも良イ思ウヨ。ズットズット我慢シ続ケルだけ、イツカ爆発シチャウネ。ソウイウトキ、キット滅茶苦茶なる…ソウゲフィ、思ウ。我慢シスギも良く無いネ」

 むう…それは、そうかもしれない。ペットを集めようと思ったときまさに爆発して、結果爆死したわけだし。

「ソレに、贅沢はオ金掛ケルダケ違ウヨ。別ノペット飼ッテ料理クライシナヨ。キット、同ジ狩リしても雰囲気変ワルネ!」

 ゲフィは何が楽しいのか、面白そうに笑みを浮かべて言う。

「いや、変わらんだろーよ。所詮狩りは狩りだぞ」

「エー、変ワルヨ! ダッテゲフィ、弁当作ッテキテ楽シイカッタヨ」

「お前はそうかもしれんが」

「ジャア食ベタラベガーモ判るヨネ。コレ、自信作!」

 そういって弁当を突き出してくる。

「へーへー。ま、そういうことなら良いタイミングだし、ここらで飯にすっかね」

 一旦賢者になり、周囲にモンスターが侵入してこれないよう結界を張る。簡単なものだから一時間も持たないが、飯を食うくらいだからこれで十分だろ。

「ン、ベガーモ持ッタネ?」

「はいよ」

 適当なサンドイッチを掴むのを、ゲフィが深い藍色の瞳でさっさと喰えとばかりにじっと見つめてくる。

 俺は一つ大きく咳払いすると頂いたサンドイッチにかぶりついた。

「ドウ?」

「うべ…」

「ウワ、ベガー汚イ! 何するネ!」

 かぶりついて一呼吸おいたところで、口内を蹂躙する暴力に耐えかね吐き出してしまった。慌てて雑味を押し流すためジュースを一気飲みする。

 感想を口にする前に、俺は手元のパンを開いてみた。中にはしなびた歯形つきのマンジュルヌの実が入っている。他に具は何も無い。

「…わざわざ作ってもらって吐くのは自分でも最低だと思うが、すまん。言わせてくれ。生のマンジュルヌだけを丸ごとぶち込んだのは料理じゃないだろとか、この絵面は食欲を限りなく奪うとか、言いたいこと山ほどあるが、それよりも何よりもこれ、しょっぱくてえぐくて苦くて臭くてすっっっごくまっずい」

「嘘ォ!?」

「ホント。ベイカー、嘘ツカナイ」

 目を大きく見開くゲフィを見やりながら、俺は嘆息する。

 思うに恐らく、パンに挟み込んだ後に大量に塩をまぶしたのだろう。そのせいでマンジュルヌが浸透圧で萎れ、吸い出されたエキスのせいでパンがぐしょぐしょになっている。そのせいでマンジュルヌのエグみとか臭みが全体に移っててすっっっごいことになってる。

 いっそ普通にそこいら動いてるマンジュルヌをむしって生食した方がはるかに美味いまであるぞ。

「何より調味料使いすぎだ。すげー塩っ辛いぞコレ」

「甘イノトショッパイノ、併セルト美味シイヨ?」

「程度があるわボケ。お前味見した?」

「…………」

 ゲフィは黙ったまま頷く。

「えぇ…マジ?」

「マジ」

 ゲフィは俯いてしまった。

 うーん、そんなすぐばれるような嘘つくほど自信あったってこと?

 …いや、ひょっとして嘘じゃない?

 これがわざととか、味見してないならまだ文句を言える。が、まさか味見した上でこれだとは思わなかった。


「…まあ、しゃーねぇか。料理作りはじめってのはそんなもんか」

 そう言って残りを口に放り込むと、新しく取り出したジュースで押し流す。

 さすがに善意をむざむざ否定して平気なほど、俺は図太くは無いつもりだ。

「…うん、りんごジュースで正解だったな。酸味のおかげで少しマシだ」

 コツはあまり舌先で弄り回さず、ジュースで柔らかくして喉奥に流し込むことだ。

 これで当面の被害は軽減できる。

「ほい、ごっそさん。ほれ、こっちお前の」

「…サンクス、ベガー」

 新しいジュースを手渡してきた俺の反応を見て、ようやくゲフィも一口齧った。

「…大丈夫か? 無理して喰わなくてもいいぞ?」

 だが、ゲフィは不思議そうにしながらも更に一口、二口とつづけた。

「おおぅ…」

 なるほど、確かに味見したって言うのは嘘じゃないのかもしれない。普通にパクパクむしゃむしゃ食べてるもの。

「お前…ある意味すげーな」

 難なく食べきったことに俺は素直に感心したが、ゲフィは困ったような笑みを浮かべただけで何も答えなかった。


……………………

………………

…………


 ぐっだぐだな腹ごしらえを済ませた俺たちは再びレベル上げの作業に戻った。


 こうして今日も、いつもどおり時間が過ぎるはずだったが。

「ウン、ヤッパリ」

 音符をぶっ放した直後レベルが上がったことを知らせるファンファーレの中、何かに納得したかのようにゲフィがうんうんと頷いた。


「何がやっぱりなんだ?」

 ステータス更新の小休止に入るため周囲に他のモンスターがいないことを確認した俺は、取り出した新しいジュースを口に含みながら尋ねる。

 どうせまたぞろくだらないことだろう。

「ベガー、ギルドマスターにナルベきダヨ!」

「ぶふぅっ」

「ヒャッ?!」

 口に含んだところでそんなことを言われ、思いっきり吹きかけてしまった。

「ベガー、汚い!」

「わ、悪い…って、お前何馬鹿なこと言ってんだ。俺がギルマスだなんて…」

 渋い面で顔を拭ったゲフィがぽんと両手を打ち合わせる。

「ウウン、ワタシ人見ル自信アルもんネ」

「しょっぱなパーティーメンバーにカツアゲくらいそうになってた奴が言えた台詞か」

「ウグ」

 わはは、どうだ、ぐうの音も出るめぇ。

「~~デモデモッ、ギルマス向イテル思ウは事実!」

「…へぇ、どうしてだよ」

 どうしてそこまで拘るかねぇ…俺は先を促した。

「ペア狩リシテテ分カッタ、ベガーいつもゲフィの様子見テルだけ無イ。キチンと周リも見テル。他のパーティに幾ツカアッタ、ケドベガー決シテ倒シ切レナイ数相手したことナイシ、ゲフィにも被弾サセテナイ。ソノ上、倒シタ後休憩シテルト、気づいたら回復とピッタリに新手連れてキテル。ソレからソレから…」

「ほぅ…よく見てるじゃないか。少し感心したぞ」

「エヘヘ、サンクス!」


 ゲフィの指摘したとおりだが…こいつのこと、正直侮っていた。

 抱える数を調整していることくらいは目端が利く奴は気付くかもしれないが、魔力の回復にあわせて連れてきていることまで見抜くとは。

 確かにそういう点ではこいつ、普段からの見た目より幼い印象を与える言動のせいで一見そうは見えないが人を見る目はあるのかもしれない…そう、ほんのちょっぴり見直した。


「何ヨリ、ベガー、凄く楽しソウ」

「…はぁ?」

 前言撤回。何言ってんだボケ、やっぱりこいつの目は節穴だ。俺は呆れて首を振った。

「俺は仕事でやってるだけだ。何が楽しくてこんな面倒な子守りしてると思ってんだ、寝言は寝て言え」

「嘘ネ」

 ゲフィがきっぱり断言した。

「…なんでそう決め付けられんだよ」

「ベガー、嘘ツクとき早口。ソレに目、合ワセナイ」

 はっとして顔を向ける。途端、真面目な顔でこちらを向くゲフィの碧眼と目があった。

「…ゴメン、今のは嘘。ケド…」

「ちっ」

 一杯引っ掛けられたってわけか。

 くそ、ただの世間知らずのお坊ちゃんかと思ったがやるじゃねぇか。

「ネ、ギルド立ち上げナイノ?」

「立ち上げ無いの。あんなめんどくせえのやってらんねぇわ」

 それを聞いたゲフィが、目を見開いた。

「…今、何テ?」

「……あ」

 しまった、余計なこと言った。

「ソレって、ツマリ…前にギルマスヤッテタ?」

「……ま、そういうこった」

 流石にここまで来て誤魔化すのも無理があるし、正直に肯定する。

 するとゲフィはオオー、と顔を輝かせた。

「ダッタラ、またギルド…」

「だからやらないっての」

「エェー、何デ!」

「だから面倒くさいんだってば」

「ダカラソレ嘘! 楽しんデル!」

 何故かゲフィはえらく食いついてくる。

 ああもう、めんどくせぇなぁ。何がそんなにこいつの琴線に触れたのか判らん。

「…昔、色々あってな。それ以来、ギルド運営は真っ平ごめんなんだよ」

「ソノ色々ッテ?」

「色々は色々だ」

 頑として口を割らないと見て取ったゲフィは、少し腕組みして考え込んでから言った。

「…OK、ナラ追加報酬出すヨ。ダカラ教えて」

「む…」

 うーむ…

 金が貰えるなら、教えても良いか?

「お幾ら?」

「オ金ジャナイヨ! 弁当、コレカラ毎日作ってあげるヨ!」

 それを聞いて俺は愕然とした。

 冗談でも止めてくれ、アレを毎日とか殺す気か。一応食えるものを食わずに捨てるのは俺のポリシーに反するが、かといって食いつづけたら確実に身体がおかしくなる。飯を食いつづけて状態異常になるとか笑い話にもなりゃしない。

「いらんいらん、判った、俺の負けだ。まだデスペナは惜しい。教えてやるから弁当持ってくるのは止めろ」

「ドウイウ意味!?」

 ゲフィは不満げな顔ながらも最終的には納得した。


 …しょうがない。時間つぶしも兼ねて、少しだけ昔話でもしてやろうか。


「ま、確かに以前ギルマスしてたってのはあってるがな…そこは別に俺が集めたわけじゃねぇ。自然発生したギルドで、たまたま俺がリーダーに担ぎ上げられたってだけの話だ」


 そう、俺たちのギルド“ハーヴァマール”は、偶然知り合った奴らと意気投合して生まれたギルドだった。


 冒険者の数自体が少なく、首都から離れた周りすべてが未踏の地だった時代の話だ。


 開拓がはじまった当初、この世界では各地との接続が途切れることがままあった。


 当時の俺は風来坊で、あちこちへぶらりと赴いては、自分の力がどの程度通用するかを確かめる毎日を過ごしていた。この広い世界の果てを自分の目で見よう、そして、自分の力がどこまで通用するか確かめたい…そんな気概に溢れていた。


 そんなある日、俺は発見されたばかりのダンジョンである石喰い鬼の巣穴へ見物に出かけた。

 石喰い鬼は当時結構な強さを誇り、それが次から次へと沸いてくる。腕試しにはちょうどいい――そう考えたのだ。


 それどころではなくなった。


 周りには十数人、他の冒険者もいたが、彼らも含めて俺たちは折悪しく突如起こった【空間の断絶】に巻き込まれたのだ。


 延々と地面から石喰い鬼たちが湧き出る中、狭く日の差さない洞窟内で閉じ込められた俺たちは外への脱出も転移もできない。

 運悪く守護者の加護を失い、無力化した奴らも大勢出た。


 今なら、あるいは他のダンジョンなら全滅は免れなかったろう。

 最初ばらばらに戦っていた俺たちは、しかしやがて誰からともなく率先して協力し合い、負傷者を守りつづけ、やがて誰一人欠けることなく空間の断絶が収まるまで耐え切ったのだ!


 後になってみれば、たった半日のことだった。


 だがそれまで見ず知らずの他人だった俺たちは、そのたった半日の間でレベルも、職業も、出身も何もかも超えて、共に認め背中を預けあった友として硬く結びついていた。

 当時はまだ存在しなかったギルドシステムが程なくして制定されたとき、それまでちょくちょく集まっていた俺たちがその結びつきをすんなりと受け入れたのは当然のことと言えよう。

 そして、その中でもっともレベルが高く、また洞窟内でもっとも駆けずり回った俺がリーダーとして推挙されたのだ。


「俺にはどうも、前線に飛び込んで目立つよりも、全体的に戦い易いように気を配るのが性にあってたようでな」

 そして、他のギルドとの違いもそこにあった。


 後になって知ったのだが、ギルドシステムを導入した目的は、元々急速な領土開拓に併せたものの軍備拡張が間に合わない国が、若手の冒険屋たちを自らの手で束ねる、いわば独自裁量で動く少数単位の軍を作成させるための実験にあったらしい。


 そのため、ギルド単位での模擬戦が推奨された。


 当時同時期に乱立した他のギルドは、いわばパーティーの規模を大きくした程度の認識でしかなかった。

 それに対し、俺たちは先の石喰い鬼の巣穴で立場などを超えた統率した動きを経験している。

 個々が独自に動くため、所詮は個人の集まりにしか過ぎないパーティーの延長と。

 リーダーを抱いて各人がその指示に従い一つの目標に向けて動く俺たちのギルドハーヴァマール、その差がスタートダッシュ時点では特に大きかったのである。


 やがて、神の武器がぽつぽつ世に出回り出す。


 その圧倒的力が世に受け入れられていく一方で、俺たちには何者にも負けない結束力、そして確かな技術があるという自負があった。

 未だ力を振るうことしか知らぬ手合いを「神の武器何するものぞ」「我ら結束こそ力なり」とあしらうのが楽しく、やがて俺たちハーヴァマールは宝珠に頼らないギルドでありながらも数あるギルドの頂点に立った。


 そう、まさに頂点だ。後は転がり落ちるだけ。


 まさに若気の至りという奴だが、事実俺たちは若かった。

 その時間が永遠につづくと思っていたのだから…


 ハーヴァマールの瓦解は、ギルド戦が勝てなくなってきたことからはじまった。


 世に新しい神の武器がどんどん顕現していくのに比例するように、それを手にした新しいギルドがどんどん力を付けていく。その勢いには、もはやありきたりな努力ではまったく届かない。

 そして、空気が悪くなるギルドに追い討ち――『停滞』の蔓延が襲い掛かる。

 それまで活躍していた古参メンバーは勝てない戦に飽きて脱退するか、或いは停滞に掛かりどんどんいなくなっていく。

 残された俺たちは――いや俺は、昔日の名誉を守ろうと必死になり、戦力になりそうな奴を誘いまくった。


 しかし、当然ながらそれでほいほい都合のいい人材が集まるようならギルド運営は苦労はしない。


 神の武器に頼らないで有名だった俺たちは、宝珠を得られない、或いは使いたくない者たちにとってみれば依存先としてうってつけだったのだ。


 そこには矜持も何も無い。


 所詮同じ有象無象の戦いなら、優れた武器や防具で固めたほうが勝つのが世の道理である。

 大量に新人が押し寄せた結果、能力の吟味もできないまま急速に人員が膨らんだせいでギルドは大幅に弱体化。

 数十人の雑兵を纏めるのにわずかに残っていた創立メンバーも消耗したせいか、やがて更に一人二人と消えていく。そうしてついには創立メンバーは俺だけとなった。


 こうして新参だった者が中核に上がり、更に寄生することしか脳に無い雑輩を修正したり放逐する手間が届かなくなったことで治安も悪化。

 …ついには中堅・上層が共謀してクーデターを起こし俺を放逐し、リーダーを失ったハーヴァマールは、ナイツ・オブ・ラウンドとして生まれ変わる。

 一時期名を馳せたギルドの最後にしては、余りにもあっけないものだった。


「ま、そんな訳で俺はもうギルドには関わらねぇことにしたって訳さ」


 言葉にならないほどの喪失感。

 あのときのことを思い出すと、今でも苦い物が胃の腑からこみ上げてくる。


 今の世の中、神の武器を持って一人前扱いなのだ。俺のような考え方はもはや時代遅れなのである。

 或いは宗旨替えすれば俺を受け入れてくれるギルドもあるかもしれない。

 だが、そんなことは無理なのだ。理屈じゃない、今さら自分の生き方を変えるなど出来ようはずも無い。万が一変えたならば、それはこれまでの俺の死生観すべてを否定することになってしまう。


 それを枉げてまで、今さらギルドの運営などできるものか。


 だが、そんな俺の気持ちをとんと知らないゲフィは能天気に言い放つ。

「ダッタラ、新シイギルドをマタ作レバイイヨ! ソシテ今度こそ最高のギルドにシヨウ!」


「…ぁ?」


 自分でも思っていたより低い声が出た。怒りで頭が熱くなる。


「ベガーとイルの楽シイカラ、ゲフィは一緒に…」

 何かつづけてゲフィが言っていたが、どこか遠くでのことのようにしか聞こえない。


 先刻の気安い物言いは、まるでハーヴァマールのことを不要になったんだからさっさと捨てろと言ったように感じられて。

 ――これまでの、俺の抱えてきた想いをあっさり否定されたように思えて。


「俺にとって最高のギルドはハーヴァマールだけだ!」


 つい、怒鳴ってしまった。


「ベガー…?」

 それまでずっと回っていた口がようやく止まった。


「……つか、お前なんでそこまで俺にギルドを運営させようとするわけ?」


 口からは疑問系が出ていたが、熱くなっていた頭の中では答えがとっくに出ていた。


「ああ、そうか。依頼が終わってからも壁役やってもらいたいってところか? お断りだ」


 こいつも、

 ――俺 を 利 用 し よ う と い う わ け か――

 そう思った途端、すぅっと感情が冷え込むのが自分でも判った。


「お生憎様、俺はもうギルドは立ち上げねぇ。どうせ他の連中にとってはギルドなんざ、手っ取り早くのし上がるための手段としか思われねぇんだ。そんな奴らに…いいや、お前にだって利用されるなんざ、真っ平ごめんだね!」

「?! チ、違ウヨ! ゲフィハタダ、ベガートイツマデモ…!」

 そこまで言いかけたゲフィは、はっとしたように息を呑んだ。

 その態度を、俺は図星と受け取った。


「あ…ち、違ウ…そうイウつもりジャ…」

「それ以上言うな。何聞いても手が出ちまうからよ。…今日はもう止めだ」


 釘を刺したことで、ゲフィは言葉を失い顔を俯けてしまう。

 その反応が、何故か俺の心を掻き乱す。到底、冷静ではない。

 俺は、自分の悪意に自分で勝手に打ちひしがれていた。


 それが、さらに余計な一言となって口をついて出た。


「それと言い忘れてたが、お前とは元から依頼が終わったらもう二度とあわねえつもりだ。もう無駄なことは考えるな。じゃあな」


 言われて小さく息を呑んだゲフィの顔を、そのままきびすを返した俺は見ていなかった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 以来、しばらくの間――狩場がエデンからビフレストに変わる程度の時間だ――俺たちは口数少なに、ひたすらレベルアップ作業に勤しんでいた。


 後になって落ち着いてから思ったが、いきなり俺がぶち切れたことでゲフィもさぞや面食らったことだろう。一言謝りたくはあったが、何と言って切り出せば良いか判らず、ずるずる来てこのままだ。

 気まずいなんてもんじゃなかったが…依頼は依頼である。俺の感情で勝手に切り上げるわけにいかねぇ。

 ゲフィはゲフィでこちらも何もいわねぇから、結局そのままずるずるとつづけるほかは無かった。


 しかし、逆にメリットもある。


 静かな時間を置くことで、ようやく俺も冷静に頭を使う時間を得られたことだ。


 俺も木石じゃない、ゲフィがどういう意図を持って執拗にギルドの話題を持ちかけていたのかは判っている…つもりだ。


 ゲフィは純粋に、俺と組んでギルドを作りたかったのだろう。

 俺を利用するだなんて器用な真似ができる性格じゃないのは、これまでにも十二分に把握している。


 そしてそんなことを考えるようになった理由も、おおよそ検討がついていた。


 恐らく、寂しいのだ。


 というのも、俺以外プライベートでの付き合いをしている奴はいないらしい。

 レベル上げに費やしている日は俺とずっといて、暇さえあればレベル上げ――会話の少ない現状でもだ。

 そうでない日は街中でも狩場でも一人でうろついている姿を見たこと無いし、囁きが飛んでくることも無いので、丸一日ねぐらでじっとしているっぽい。


 そんなだから、ギルドを組んで誰かと接点を持ちたいのだろう。

 …まあギルド組んだからずっと一緒にいられる、【たーのしー!】となるとは限らないのだがそこには果たして気づいているのやら。


 そもそもギルドや俺個人だけに拘らず、適当に組んだ奴とフレンド登録でもすりゃ良い気もするが…

 エデンで狩り始めた頃に「たまには他の奴と組まないのか」と尋ねたことがあったが、そのときはシーエーピーディーとかダイアライシスが何とかと訳のわからんこと言って煙に巻かれたっけ。


「ともあれ…このままってわけにはいかんよなあ…っと」

 いかん、考え事に集中していてつい口から漏れてしまってた。


「?」

 それを聞きつけ、剣を振っていたゲフィがこちらをすばやく振り向いてくる。

 反射的に俺も『さも気のせいです』といわんばかりの勢いでそっぽを向き、適当にフリーな雑魚に<<挑発>>をかけた。

「それが終わったらこいつだ」

 言いながら俺は飛び掛って来た新手の獲物に槍を突き込んだ。

 35ダメージ。

 安物だが、こういう場合にはあまり強力すぎないほうが具合がいい。

「…OK」

 言葉少なにゲフィも再び追い込みに戻る。

 その後姿をちらと横目で見て、俺は再び小さく嘆息した。


 もし、ハーヴァマールが解散していなかったら、いや、解散した理由がもっと違っていたなら、俺はゲフィの提案を喜んで呑んだだろう。


 それくらい、実際には俺はこいつのことを気に入っていた。


 根が素直で、飲み込みも早い。

 何より、頭がいいのだろう、こう動いて欲しいという俺の考えを逐一説明する前に読み取ったように動こうとする。

 今はまだレベルが足りないためイメージに身体が追いつかないときがままあるが、もう少し鍛えればペアで十分あちこち踏破できることだろう。


 だが…それでも、ギルドだけはダメだ。


 かつては他のギルドからも、是非うちへ来てくれないかと誘いがきたことはままあった。


 しかし、俺にとってのギルドは、ただの臨時パーティーの延長線上にある寄り合い処ではない。


 ハーヴァマールは、最高のギルドだった。

 夢、栄光、文字通りの砦。そして――仲間たちと帰る家。


 文字通り、俺のすべてだったんだ。


 それ以外のギルドは、俺には存在しない。


「…倒シタ」

 予想より早くゲフィに声を掛けられる。

「おう」

 なるほど、確かに。やはり成長が想定より早い。

 さすがにまだヒュペルボレイオスは論外だが、ビフレストでこれならちょっと背伸びしても問題ない…いや、ちょっとばかしまだ早いか。

 頭の中で俺たちのレベル差・装備・スキル・立ち回りの癖や傾向を吟味し、知っている狩場の情報と照らし合わせる。


「よし、せっかくだ。気分転換に狩場を変えてみよう」

「他?」


 何より、少しでも今の重い雰囲気を変えたいと思う気持ちが強かった。


「ああ、そうだ。ここで狩り続けてもいいけど、さすがに同じことばかりだと飽きるだろ?」

 ゲフィが黙ってうなずく。

「だから、それならせっかくだしがらりと変わったところ…【ヨモツ】にしようと思う」

「ヨモツ? ドッカで聞イタヨウナ…」

 首を傾げるゲフィ。

「あぁ。前にガキの話でもちょっと出たが、ウメという綺麗な花の咲く街にあるダンジョンだ。ウメは香りが芳しく、かつ壮健の象徴とされていてな、いまの季節は綺麗だぞ。他には黒髪の美女や、サムラーイ、ニンージャとかいうモンスターもいるんだったかな」

 かなり昔に勉強したうろ覚えの知識だが、間違ってないはず。

 俺が普段行かないのは、雑魚の経験値は美味いが、ボスを狩るのでも無い限りドロップが渋すぎてソロだと割に合わないためだ。


「hmm…」

 ゲフィはというと何が気になったのか唸っている。が、俺の視線に気づくと元の不機嫌そうな顔に戻った。

「…なんだよ。嫌なのか?」

「ベツニソウイウ訳ジャナイヨ」

 じゃあ謝罪でも欲しいってか?

 だが、俺だって別に間違ったことを言ったつもりも無い。…言い過ぎたとは思うが。

 だから、努めて気にしないそぶりをした。

 ゲフィもそんな俺の反応に一瞬不服そうな顔をしたものの。

「…オーケー。確カに、他ノトコも見テミタイネ」

 さすがに単調作業に飽きていたのだろう、小さく溜息を吐くと二つ返事で賛同した。


 そうと決まれば善は急げ、一旦俺たちは町へ戻ると荷物を改めて整えると、首都正門前でたむろっていた流れの転送屋を見つけてヨモツまで向かった。


 一足先にポータルゲートへ飛び込んだ俺は軽いめまいをこらえ、降り立った先で周囲をざっと確認する。眼前には、不気味な赤い鳥居とその奥にぽっかり口を開いている洞窟の入り口が見えた。

「うん、ばっちり注文どおりだな。あいつの名前、聞いとけばよかったな」

 今は人口が減って転送陣を出してくれる奴も減ったが、昔は身包み剥ぐため自分たちのギルドのアジトへ送り込んだりする性質の悪い奴もいたもんである。

 ギルド員がそれに引っかかったので、上位メンバー総出で乗り込んでケチョンケチョンにしてやったこともあったっけ。


「ワォ」

 昔を懐かしがっていると、遅れてゲフィもやってきた。

「ヘイ、ベガー!」

「だから俺はベガーじゃなくベイカーだって…」

「凄イ、凄イネ! ウメ、凄イネ!」

「お、おぉ…?」

「甘イ香リ! 色モ綺麗!」

 めっちゃテンション高いなおい。

「お、ぉう…」

 ちょうど花真っ盛りで、周囲を埋め尽くすウメの花に感動したようだ。というかその喜び様、お前子供かよ…。


 ま、これで機嫌が直ってくれりゃ安いもんだ。ウメの花様様である。


「ほれさっさと行くぞ。時間が勿体無い」

 未だ興奮冷めやらぬゲフィを半ば引きずるようにしてダンジョン内を潜っていく。


……………………

………………

…………


 階を下へ深めるうち、ゲフィも段々落ち着きを取り戻してきた。というか、暗くなってきたことでテンションががた落ちしている。

「オゥ…暗クテジメジメシテ、不気味ネ…」

「まあなぁ。ここもエデンとかと同じあの世という話だが、こっちゃ悪人の行く先という違いがあるからな」

 俺の後をついてくるゲフィの足が心持ち小走りになった。


「よし、この辺にするか」

 俺が拠点に決めたのは、最下層の階段から見てもっとも南西の小さな三叉路だ。

「ドウシテココ? 狭いヨ? 入リ口の方、モト敵いるヨ?」

 その方が釣り出す手間が省けると言いたいのだろう。

「その通りだが、わざわざこんな狭いところを選んだのはボスが現れてもすぐに逃げられるためだ。階段付近は広くて雑魚の数も多いけどよ、代わりにボスが現れた場合下手に逃げると周りに大きな被害が出ちまうからな」

「ナルホド!」

「まあ、そうは言っても自己満足でしかねーけどな。気にしねーで逃げる奴も幾らでもいるし」

 ゲフィはぶんぶんと首を振った。

「ウウン、イイ思ウ! ベガー、ナイスガイ!」

「お、おぅ…」

 こういうときストレートに尊敬をぶつけてくるのはこいつの美点だな。照れくさくはあるが、悪い気はしない。

「あんがとさん。ま、褒めたところで厳しくいくことは変わりねーけどな」

 ゲフィの顔があからさまにがっかりした。現金な奴め。

「さ、そんじゃ時間も惜しいし狩りはじめるぞ」


 しかし、狩りはすぐに中断する羽目になった。


「…ン?」

 最初に異変に気付いたのはゲフィだった。


「ヘイ、ベガー」

「おい、集中しろよ。こいつしぶといんだから…」

「ノン! ベガー、何カ…聞コエルネ?」

「ちっ、集中しろってのに…」

 齧り付いて来る最後の餓鬼を盾で受け止め、突き飛ばして体勢を崩したところで胸に槍を突き込む。消えたのを確認したところで嗜めようとした俺も、ようやくゲフィの言った喧騒に気付いた。


 魂消る悲鳴。風を切り裂く音。そして、幾重にも重なる独特の剣戟音。


「こりゃ…ボスだな。しかも剣戟の音が複数重なってるのからして、恐らく『タイシャク』だ」

「ジャア逃げる…?」

 俺は黙って首を縦に振る。


 ここにいるボス【十天闘神】の一柱であるタイシャクは直接攻撃専門のボスで、実は数が揃っていれば至極狩り易い部類のボスだ。


 だが、反面人数が少ない場合はほぼ詰む。


 特に俺たちのような少人数は非常に危険な相手だ。

 何せ高精度カウンターをはじめとして連続攻撃からの高確率の首切り・武器&防具破壊・麻痺・盲目・混乱・ドレイン・石化・弱体化・樹木化・毒・恐怖などなど……とにかく一つかすり傷でも負おうものなら、あっという間に状態異常の雨あられで押し切られてしまう。


 特に厄介なのが、ときのことだ。


 さっさと首を切られるなんてのは実はかなりの幸運で、腐敗や石化、樹木化などの重度な状態異常を貰った場合、死に戻りが出来ないにも関わらず治療にべらぼうな金が掛かってしまうのだ。到底割が合わない。

 よしんばそれらを喰らわなくてもレベルドレインされた日にはこれまでの苦労がごっそり無駄になるし、装備も一撃もらった時点でほぼ確実にぼろぼろにされる…と、とにかく出会うこと自体危険な相手なのだ。


 ちなみに倒す場合の対処法としては、あらゆる対策を施した前衛が攻撃を受け止め、それを後衛が支援しながら魔法で叩き潰すのがセオリーなのだが…無論、俺たちには無理。


「…どうやら魔法の音は聞こえねぇな。いないか、或いはもうやられたか…いずれにせよ、今戦っているのはとんだヘボだな。この調子なら、全滅するのも時間の問題だろうよ」

「Oh…」

 あっさりそう言い捨てたのに対し、ゲフィは釈然としないようだ。

 助けようとか寝ぼけたことを言い出す前にあらかじめ釘を刺しておくことにする。


「言っとくけど、助けようとか決して思うんじゃねぇぞ。見ず知らずの赤の他人を助けるなんてやってられん」

 そう言ったのは失言だった。


「ンムム…ケド、ベガー、前にゲフィ助ケテクレタネ」

「状況が違うだろうが」

 期待するような目で俺を見るんじゃねぇよ。

 その視線から逃れるように、俺は顔を背けた。


「俺たちゃたった二人、しかもお前はお荷物ときてる。支援掛けて貰える状況ならともかく、助けるどころか時間稼ぎすら無理。突っ込んだところで死体が二つ、増えるだけだ」

 俺は神様じゃねぇ、できねぇことは幾らでもあるんだ。

「ケド…!」

 しかし、こうまではっきり言ってやってもゲフィはどうやら踏ん切りがつかないらしい。これはあれだ、最近順調にレベルが上がったことで何とかなると天狗になってるんだろう。


「…ちっ」

 この調子だと、遅かれ早かれ俺の言うことを聞かなくなって無茶をするのが目に見えている。

 なら、早いうちに伸び始めた鼻っ柱をへし折っておくのが良いかも知れん…そう考え直した。


「…なら、こうしよう」

 まずはボスに見つからない位置まで移動し、実際に見てみる。その上で、救援できるような策が思いつくかどうか試す。


「今後も、倒せない相手なんてごまんと出てくる。それに対処する手段を思いつけないようなら、ここのボスだろうと他だろうと同じことだ。無論、俺は口出ししない。これがお前さんを俺の雇用主と考慮した上での最大の譲歩となるわけだが…どうするね?」


 もちろん、そんな妙案なぞ出てくる訳が無いと分かった上での提案だ。


 助けに行けないまでも、ボスの圧倒的存在感を認知させる。それを早いうちに理解させることができるのはメリットになる――というのが俺の目論見だ。

「…OK」

 ゲフィはしばらく迷った後、同意した。


……………………

………………

…………


「…ベガー、コレ被ラない、ダメ?」

 ゲフィは俺から手渡された帽子に一旦目を落としてから俺、そして俺の頭上を見る。そして、ぷっと笑いをこらえた。

「ダメ。良いからそれちゃんと被れ」

 そういう俺の頭上には、青地に黒い点々がまばらにちりばめられている。

 件の帽子は、俺の頭上にもすでに装着済みというわけだ。鏡で見れば、坊主頭を模したカツラを被ったうだつの上がらないオッサンに見えることであろう。


 無論この格好は、俺の趣味では断じてない。


 こいつは『石くれ帽子』というアイテムで、能動的な行動(ゆっくり移動するだけなら構わないが、走ったり装備を変えたりはおろか、小声をあげる程度でもその範疇に含まれる)を取らない限りはボスモンスターからターゲッティングされない特殊アイテムなのだ。範囲魔法には無力なものの、ギルド戦の見学や敵地の潜入偵察などにはうってつけの代物である。

「言っておくが、お前がそれ被らないと俺まで巻き込まれて死ぬからな。絶対につけてもらう」

「Oh……」

 そういって無理やり付けさせる。お返しに、付けた奴に向けてぷっと吹き出すことは忘れないでおいた。


 そんなこんなで下準備を終えた俺たちはゆっくりチェックしながら前進する。

「イナイネ…」

 雑魚は、ボスの気配に圧されてかほとんどいない。いたとしても、巻き添えを避けてかそそくさと逃げていく。


 その様子に、俺は否応も無く緊張感を高めていく。ボスは――近い。


 そして、俺たちのところまでそれが聞こえてきた。


「蹂躙せよ! この空間を我らが眷属のものとするのだ!」

 取り巻きを呼ぶ怒号が、十分に離れているはずのここまで空気をびりびり奮わせる。

「やっぱりこの辺りのボスは尋常じゃねぇな…」

 冷や汗を拭い、俺は一人言ちた。久しい感情――恐怖が胃の腑を駆け上がる。


 このとき感じた威圧感、危機感を、俺はもっと真剣に受け止めるべきだったのだ。


「アッ」

 最初に発見したのは、ゲフィだった。


 周囲の雑魚を確認していた俺より先に、ゲフィはこちらに向け駆けてくる一団とその背後に迫る大巨人を見て声をあげる。釣られて見た俺も、思わず表情を変えた。


「アノ人タチ!」

「ちっ…」

 だが、理由は違う。


 ゲフィは、先頭を走ってくる二人に見覚えがあったから。

 そして俺は、そいつらの掲げる紋章が、よく見知ったものだったから。


 ドラゴンを内包した円をぶっ違いにした二本の聖剣…ナイツ・オブ・ラウンドの旗印。

 俺にぶちのめされてから、追いはぎから有名ギルド員へ運よく転職できたらしい。


「あっ、お、お前ら!」

 そして、尚悪いことにボスを連れてきた二人もこちらに気付いた。

 二人は顔を見合わせ…


 なんと、一言も無しに転送しやがった!


「くそっ、あの糞野郎どもが!」

 思わず毒ついた。


 まずい、こいつはまずい!


 ターゲットを見失ったボスは、本来なら徘徊するのだが、直前にゲフィがあのバカ二人に気付いて反応したことで帽子の効果は切れてしまった。


 そして、周囲に他の人はいない。


 なら、次にボスの取る行動は決まっている。


 当然、タイシャクは標的を見失う。所在無げに辺りを見渡していたが、すぐにこちらを向き、吼えた!


「おい逃げるぞゲフィ…ゲフィ? しまった!」

 言いながら転送しようとする…が、ゲフィの方を見た俺はその手を止めた。


 ゲフィの奴、今の咆哮の影響を受けて固まっちまってる!


 一部ボスの中には、低レベル冒険屋の動きを金縛りや威圧などで完全に制限するスキルを持つ奴がいる。タイシャクも持っていたことは知っていた…が、直接攻撃の印象が強すぎたこと、そして戦わなくなって久しいことですっかり失念していたのだ。

 これは完全に俺の采配ミスだ…


 どうする?! 


 俺の冷静な部分は、『ここでゲフィを見捨てて転送すれば俺だけは助かる』と囁く。

 そして更に、『ゲフィだって馬鹿じゃない、危なくなったら俺と同じく転送するはずだ』、『俺と違いゲフィは基礎レベルが低いからあっさり死ねる分安全だ』…

「…ちっ」

 そこまで考えた俺は頭を振ってその考えを打ち払う。


 何を考えてやがる俺は!


 ゲフィはズブの素人だぞ!!


 今の奴は動けない。


 いや、仮に動けたとしても突然のことで頭が真っ白になっていて、まず間違いなく転送するという選択肢が思いつかないはず。つまりは、見捨てるイコール見殺しは確定だ。

 そして、基礎レベルが低いからあっさり死ねる?

 もし、万が一死ねなかったら?

 こんな助けに来るのもダンジョンの奥深くで、状態異常に苛まされて死ぬに死ねずに過ごす?

 …停滞と変わらない生き地獄が待つわけだ。


「しゃあねぇ…か」

 これは、前もって万が一の事態に備えておかなかった俺のミスだ。ここで雇い主を見捨てるようじゃ今後の仕事に差しさわりが出ちまう。尻拭いもプロの立派な仕事だ。


 俺は恐怖に駆られた感情を理性で押さえ込む。

 ボスにターゲッティングされた以上、どこまで保つかわからねぇが少しでも足止めをするのが俺の役割だ。


 覚悟を決め、手早く最低限のボス用の装備に換装するとゲフィの前に出る。


 まずは鎧を『邪鎧:ブラックレネゲイド』に。

 こいつは素の防御力は低いが、物理ダメージを無効化する。

 次に盾はおなじみの『ギュルファギニング十周年記念盾』。ゲフィにくれてやった分以外にまだ5個ほどとってあって本当によかった。

 アクセサリを、回復系含む状態異常を全部無効化する『ムッコウス』と装備破壊を50回まで防いでくれる『まもっちゃうおじさん』へ。

 そして武器は『【妖槍シメサバ丸】』。これは呪われてHPが回復しなくなる代わりに高い確率でオートカウンターが発生する。

 いずれもB級・C級装備なため、お値段据え置きで大変リーズナブル。奥様方もご家庭に1セット、いかがですか!


 これで当面は即死や石化などの致命的な状態異常からは防げる…が、支援が無いから、武器や防具が破壊されてそこからあっというまに押し切られるまでには一分も掛かるまい。


 だが今は、その一分が喉から手が出るほどほしい。

 ここまでで、タイシャクは俺たちと指呼の間にまで迫っていた。


「ぼっとしてんなっ!」


 俺はそう叫びながら右に握る槍の柄でゲフィを突き倒し、返す刀でその首を切り離さんと差し迫っていたタイシャクの剣を受け止める。

 取り巻きは他の奴らとでも遊んでいるのか、どこかに引き剥がされたのだろう。それだけが唯一の救いだ。取り巻きと一緒にたこ殴りにされたら、命が幾らあってもたりゃしない。


「ほう。今度の対手は幾分骨があると見える」

「そいつぁどーも」

 タイシャクがにやりと口元をゆがめる。

 だが、こちらはそれどころではない。受け止めた手がびりびり痺れているのを表に出さないようにするので精一杯だ。

「だがあんまり期待されても応えらんねーと思うぜ」

 そう言ったのにも関わらず、何が気に入ったのかタイシャクは機嫌を良くしたようだ。

「ふふ…和光同塵。激しい闘争こそ我が欣悦きんえつ! さあ弱き者よ、わずかなりとも我が無聊を慰めてみせよ」

「だからそんな余計な期待、迷惑だっつーの!」

「まずは小手調べだ、脆弱なる人間よ! 我が神技、受けてみよ! <<六峰千華>>!」

 タイシャクは複数の右腕をさっと振り上げ、激しい攻撃を繰り出してきた。

「くそっ! <<カウンター>>! <<連続攻撃>>! <<カウンター>>! <<後の先>>! <<燕返し>>! <<カウンター>>!」

 続けざまに防御系のスキルを使い、どうにか攻撃をしのぐ。

「くくっ、やるではないか。そうだ、それでいい」

 だが、余裕一杯のタイシャクと違い、こちらは既にこれだけでどっかり疲労が圧し掛かっている。実戦から長く遠のいていた代償がここに来て出ているのだろう。


 判っちゃいたが、やはり長期戦はできそうにない。


「ゲフィ!」

 小さく呼吸して酸素を確保すると、俺は手短に指示を出した。

「逃げろ!」

「エッ?! デモ、ベガーが…」

「命令だ!」

 転送しろ、そう言う前にタイシャクの持つ無数の剣、斧、棍、戟…あらゆる武器が襲い来た。

 それらを受けるたび、しゃりしゃりと細かい金属音が鳴り響くと同時に氷霧のようなものが巻き起こる。もちろん冷気由来のものではなく、俺の武器が奴さんの余りに速い斬撃によって細かく削られているために起きたものだ。

「貴様の精魂が尽き果てるが先か、愛槍が果てるが先か。果てさて、見物よのう」

 タイシャクがにたり、と笑う。この野郎、楽しんでいやがる…!

 それに気付いた俺の背筋を冷たい汗が伝った。


 こいつ、逃がす気がねぇ。


 もしここで転送の準備でもしようものなら、即座に首を飛ばしてくるに違いない。

 首が飛ぶだけならただの死亡扱いで済むが、恐らく状態異常もてんこ盛りのはずだ。

 というか、早いか遅いかの違いだけで、どちらにしろ俺を待ち受けているのは死。


 大赤字、確定である。


 ああもう、畜っ生、今日は大厄日だ!


 内心で毒づきながら、俺は尚のこと必死にタイシャクの太刀筋に喰らいつく。

「ほう、まだ我が斬撃をここまでいなすか。久方ぶりだな、これほどの猛者と死合うたのは。惜しむらくは武器、仲間の何れにも恵まれておらぬことよ」

 タイシャクの剣速が更に速度を増した。手にしている槍の柄から、べきべきとひっきり無い音が聞こえてくる。

 だめだ、このままだとまず先に槍がへし折られる!

「はやくっ!」

 もう、俺は自分の身を守るので手一杯でもはやゲフィの方を確認する余力も無い。


 だから、ゲフィが何をしようとしているのか、気付かなかった。


「ベガー、思イ切リ振ッテ!」


 その言葉の真意を考えるより早く、俺は言われたとおり力の限り槍を振る。


 直後、ぞぶり――ぼろぼろの穂先から柔らかい肉を断つ感触が伝わってくる。


「…ほぅ」


 そして、視界を染める紅。


「…あぁ? あ?」

 俺の砕けかけた槍は。


「ベ…ィガ……」

 剣を引いたタイシャクとの間に飛び込んだゲフィの簡素な胸当てを根元まで貫いていた。

 一呼吸置いて、背後からの太刀が鎧を断ち割った。

 罅が前後でつながる。砕けた鎧の隙間からむき出しにされた純白の双房の中間を、衝撃で砕けた白刃の欠片、そして血飛沫が瞬く間に染め上げていた。


「え? おま、え? 何して…?」

 それは、かつての記憶――石喰い鬼の巣穴で後に友と呼ぶ女騎士に庇われた光景をフラッシュバックさせた。


「ソレ…使ッ、テ」


「ふん、女が水を差しおって。失せろ」


 開いた口から迸ろうとする血を飲み込み、かろうじてそこまで口にしたゲフィをタイシャクは無造作に振り払う。その衝撃で、シメサバ丸は柄から完全に砕けてしまった。


「これで武器がなくなったようだが…む?」


 ここで視線を戻したタイシャクは、ゲフィの行動の意味をようやく理解した。


「…なるほど、味な真似をする」


 俺の手には、真新しい――そして、見たことも聞いたことも無い――槍が握られていた。


 それからのことは、あまりよく覚えていない。


 護るべきはずのゲフィに庇われてからというもの、俺の脳みそは一刻も早く彼…いや、彼女を助けることで一杯になっていた。


 切っ先が霞んで見えるほどの高速で繰り出されるタイシャクの攻撃。だが、それが何故かよく視える。


 恐らくは槍の持つ加護の力なのだろう。


 敵の攻撃を冷静にねじり受け、払い、弾く。ありえないほど細い防御の間隙を縫って薙ぐ、突く、抉る。振れば振るほど俺の意識は研ぎ澄まされていき、集中を一層深めていく。

 まるで俺の五感が槍と同化したかのようだった。


 …気付けばタイシャクが俺の前で膝を付いていた。


「ふふ…良き闘争であった」

 その言葉に、俺は首を振る。

「冗談は止してくれ。俺の力じゃねぇよ」

 苦々しげに応える俺に向け、タイシャクは気にした風も無く言った。

「先の無礼を詫びよう。貴様は武器にも、仲間にも恵まれておった」

「仲間はともかく…武器?」

 つづくタイシャクの言葉に、俺は仰天した。


「それなるは『神槍ゲイングニュル』。我もはじめて見る。そのような武器を携えた猛者との心行くまでの闘諍――実に至福の時間であった」

「ゲイングニュル? これが?!」

 確かに、不思議な力があるのは俺でも判る。だが、何故それが今、ここに?

 聞きたいことは山ほどあったが、タイシャクはここまでのようだった。


「時が惜しい。戦士よ、これは我を一騎打ちで斃した褒美ぞ。受け取るがよい」


 そう言うと、手をゆっくり差し伸べる。何だろうと掌を差し出すと、握りこんでいたものをぽとりと落とした。

 幅広の両刃剣だ。

 剣身に刻み込まれている戒の字を見て、俺は仰天した。

「これは…まさか、『剛烈剣』!?」

「左様。貴様なら、それで我を愉しませる使い方をできるであろう。決して死蔵などというつまらぬ真似はしてくれるなよ」

 剛烈剣は低確率で壊れるもののタイシャクを何回も手勢として使役できる(しかも噂によるともっと滅茶苦茶な使い方もできるらしい)ため、ギルド戦を行う奴にとっては垂涎のアイテムとして取引されている。需要が供給にまったく追いついていないため、ボスが落とすアイテムとしてはノーイ・ラーテムに並ぶほどの高値がつく代物だ。


 もちろん俺も今回が初入手だ。


 これが、こんな形で手に入ったんじゃなければ狂喜乱舞していたところだが…

「また…一対一で死合おうぞ……ああ、好き日じゃ、好き日じゃ……」

 こうして用件を済ませたタイシャクの巨躯は、光の粒子となって天に帰っていく。

「冗談じゃねぇや」

 金輪際、あんな化け物とタイマンなんざごめんだってーの。俺は戦うのが好きなんじゃない、生きて帰るのが好きなんだ。

 タイシャクの末期を見届ける前にそう吐き捨てた俺は、ゲフィを蘇らせるべくそちらへ駆け足で向かう。


 もうへとへとにも関わらず、とどめのタイシャクからのラブコールでいい加減うんざりしていた俺は、だからこちらを伺う視線にまったく気付いていなかった。

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