そうして今日も夜になる
雅 翼
第1話
『今日は20時、よろしくね』
終業後、彼からのメッセージを確認して足早に職場を出る。
帰って軽くシャワーを浴びて、着替えてメイクを整えて。
向かう先は恋人の家。けれど途中で食材を買っていく、なんてことはしない。
手料理をふるまう、という彼女としてごく当たり前の役割は私には与えられていないから。
そうして今日も夜になる。
「ほら、力抜いて」
「待って……あ、あぁっ」
彼の家で私がすることといえば、主にセックス。むしろセックス。ただそれだけ。
『あんたそれ、セフレじゃん。ていうか、タダで呼べるデリヘル嬢?』
かつての親友の呆れた顔を思い出す。それもすぐに、甘い快感がどろどろに溶かしていく。
首筋の血管を押さえる、長い指。微熱。脈。曖昧になる性器の境界線。
そしてぼんやりと頭をよぎる、初めて抱かれた夜のこと。
職業側、派手な髪型もメイクも出来ない私にとって、終業後や休日に真逆の出で立ちで街に繰り出すのは唯一と言っていいストレス発散だった。
「可愛いね。ねぇ、いくつ?名前は?」
人生で初めてされたナンパ。舞い上がった私は、どう見ても年下の彼に気に入られるように、咄嗟に年齢も名前も詐称した。
ふーん、と疑う様子もなく受け入れた彼は、二言目にはウチ来る?と当たり前のように誘ってきた。
返事を待たずに降ってきたキスで、普段は酔わないはずのアルコールが一気に回ってしまったのかもしれない。
促されるまま一人暮らしの彼の部屋へ行き、服も脱がずにセックスをした。行為の最中に首を絞められた瞬間、感じたこともない悦びで私は果てた。
「見た目は派手なのに、エッチはあんま慣れてないんだね。気に入っちゃった。ねぇ、付き合おっか」
頷いてしまったのは多分、久しぶりのセックスの高揚感と気だるさのせい。
そう、結局のところ彼と私は付き合ってから、セックス以外の一切のことをしていない。
彼を部屋に招く。手料理をふるまう。待ち合わせをする。手を繋いで街を歩く。映画を観る。誕生日にプレゼントを贈り合う。
そういうありふれたカップルがすることがしたかった。彼は人付き合いが広い。そういうことをする女の子が他にいるらしいという噂はすぐに耳に入った。たまたま職場に彼の家族と親しい同僚がいたからだ。
情報源は伏せてそれとなく彼に聞けば、あっさりと認めた。だったら同じように私もしたい、と申し出た。
「普通のカップルがすることなんて誰とでも出来るじゃん。でもこうやってすぐにエッチ出来るのは」
ぐい、と手首を引かれて抱きすくめられる。私が背中に手を回す前に、彼の手が私の下着のホックを外す。
「ね。だから付き合ってんだよ?」
耳元で囁かれるのは、毒か薬か。
暗い感情がどんどん増していく。それを嘲笑うかのように、彼とのセックスは中毒性を増していく。
「好き?」と聞けば彼は必ず「好きだよ」と笑って返してくれる。気休めのような問答に安堵して、けれど服を着ている間に同じことを聞く勇気は持てなくて。
愛してる。愛してる。愛されてる。愛されてる?……愛、してる?
疑問を掻き消すように彼を求める。別れたくない。離れていたくない。ピルを常用する代わりに数時間、彼の全ては私のものになる。
「最近、ちょっと仕事に身が入っていないわね。プライベートが随分忙しいようだけど?」
ある日、ついに上司に叱られた。性格のきつい姑のような棘のある言い方。本来、こんな責めるような物言いをする人ではない。
何も言い返せなかった。確かにその通りだからだ。
ここのところ、週4で呼び出しがかかっている。夜勤の日は何かと嘘の理由を付けて断っているけれど、それ以外は毎晩、彼の玩具にされていた。
バイブ。目隠し。縄。手錠。首輪。楽しそうにそれらを私に施す彼。過激なセックスが常態化してどれくらい経つだろう。寒くならないうちに一度野外でしてみよう、なんて話も出ていたっけ。
正直なところ、仕事と両立するにはそろそろ体力が限界に近いと感じている。いまだ彼に隠したままの本当の私は、今年で31歳になる看護師だ。一方の彼は、10個下の大学生。
我ながら狂っていると思う。彼も私も、その関係性の全てが。けれどもう、彼を失いたくないと思う段階はとうに過ぎてしまった。
今は、このまま静かに堕落していきたい。願わくば彼とひとつになりながら、首を絞められてそのまま息絶えてしまいたい。きっと最期の瞬間に残るのは、圧倒的な快感に違いないから。
『21時、待ってるね』
終業後に確認した彼のメッセージに、了解のスタンプで返信する。
ああ、隈がひどい。メイクはいつもより厚めに塗って行かなくちゃ。
そうして、今日も夜になる。
そうして今日も夜になる 雅 翼 @miyatasu
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