安息日Ⅷ
アリエルとフィオンがダリウスの店を出て、次に向かった場所はミラドールの西区に作られた深緑区だった。
ここは都市の城壁内の区画あるのにかかわらず多くの草木が植えられ、一部は農場として、一部は牧場として整備されていた。
深緑区へ足を踏み入れると、初夏を感じさせる花々の香りが迎えてくれた。
この場所の存在を知らなかったのか、フィオンはアリエルに連れられ家々を抜け開けたこの場所を目にすると、大きな驚きの表情を浮かべた。
「ミラドールにこんな場所があったなんて、知らなかった」
「他の都市の事情は知らないけど、他だとこういった場所ってないの?」
「どうだろう? 自分も都市に入るのってミラドールが初めてだから、他はどうなのかは知らないかな」
「そうなんだ。とあえず座ろっか」
アリエルは深緑区の奥へと続く道の奥の方を指さし、少し早足で歩きだだし、少し歩いた先に備え付けられた公共のベンチを目指した。
「都市って建物でごちゃごちゃしてるだけかと思ってたけど、こういう場所もあるんですね」
先を歩くアリエルの後追いながら、物珍しく辺りを眺めるフィオンが尋ねた。
「東側の東門区や商区なんかは後から作られたからごちゃごちゃしてるけど、この辺りは昔からある区画で、ちゃんと役割を持って作られたから東門区辺りとは違った形になってるんだよ」
アリエルは目指していたベンチを見つけ、すぐにそのベンチへ腰を下ろした。そして、後をついて来ていたフィオンに、隣に座るように促す。
フィオンは少し迷ってからアリエルの隣に腰を下ろした。
「ここ、落ち着くでしょ」
腰を下ろし、いまだに辺りを見回し眺めているフィオンにアリエルは尋ねた。
都市の中にありながら自然豊かで、牧歌的な雰囲気を作り出すこの深緑区はアリエルのお気に入りの場所だった。他の場所とは異なりゆっくりと時間が流れているようで、何もかもを忘れてささくれた気持ちを落ち着けることができる気がして、物事がうまくいかなかったときなど足を運んでいた。
結局フィオンは、ダリウスの店を出た後からまた沈んだ表情に戻ってしまっていた。少しでも気分を落ち着けてくれればと思いアリエルはフィオンをここへと連れてきたつもりだった。
フィオンもそのことに共感してか、こくりとうなずいた。
「なんか……思ってたより平和なんだなって……思った」
フィオンはどこか遠くを眺めながら、そう返した。
「なんかここにいると、魔王が復活してて、世界が滅びに向かっているかもしれないって言うのが嘘みたいだよね」
フィオンの返答に対してアリエルはそう笑って介した。
遠くの方で間延びしたヤギの鳴き声が響いた。
世間では魔王が復活し、世界が滅びへと向かっていると言われるが、実のところアリエルはその実感が持てないでいた。
かつて魔王が率いていた闇の軍団が再び集結し北東方面から南下してきて、人の領域へと踏み込んできたという話は聞くが、実際にそれらの被害を受けたわけではない。不安からか食料などの物価が少しだけ上がったり、貴族が私兵を募るようになったりなど、生活の影にこそそういった空気は感じるものの、実感はわかないでいた。
「さっきの質問。フィオンさんは今までどんな生活をしていたの? というか、何で冒険者になったの?」
ここへ移動するきっかけになった質問を再度口にする。その際、遠回しに尋ねるのが少し煩わしく思い始め、直接聞きたいことを訪ねることにした。
「なんで冒険者になったのか……か。そんな特別な理由は……たぶんないと思う。ただ、人を助けたいと思ったんだよ」
先ほどとは別の質問をしたのにもかかわらず、フィオンは特に疑問を返すことはなく、答えを返してきた。
「誰かが死ぬのが嫌で、それを助けたいって思ったんだ。自分にどれだけの力があるかわからないけど、少しでも、一人でも多くの人の命を救いたいって思ったんだ」
フォオンはどこか虚ろを眺めるようにしながら、ぽつぽつと話を続けた。
フィオンの紡いだ答えはアリエルには理解しがたいものだった。
「そんな自分の命を危険にさらしてまで、する事、かな? フィオンさんは生き方を選べないような人じゃ、ないよね?」
アリエルは頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
フィオンが今までどのように過ごし、どう生きてきたかははっきりとは知らない。けれど、少なくとも生き方を選べないほど貧しくは見えなかったし、そういう境遇にも思えなかった。
アリエルの疑問を聞くとフィオンは一度、寂しそうに笑った。
「たぶん、他の生き方とかもできると思う。けど、選択は……できないかな?」
フィオンが口を開いたとき、また、昼間見た苦しそうで悲しそうな表情を浮かべていた。
「どうして? なんでそこまで、かたくなになるの? 死ぬのが怖いとか、痛いのが嫌だとかって考えなかったの?」
「昨日……一昨日か……ミラリアに行った。オーガの一団が村にやってきて、めちゃめちゃにしてた。家も、人も……」
フィオンはつらそうな表情を浮かべながら、今にも泣きそうな声で言葉を紡いだ。
「俺……そこで死にそうになったんだ。助けが来なかったら、間違いなく死んでたと思う。その時、死ぬのが怖いって考えなかったんだ。それ以上に、何もできないことが悔しくて嫌だった。
……結局、だれも助けられなく、何もできなかった。その時思ったんだ、俺はなんで生きてるんだろうって……。」
フィオンの言葉で、フィオンが昼間の態度の原因をようやく知ることができた。
「親しい人が……居たの? そのミラリアに……」
きっとフィオンは自分を責めているのだろう。大切な人を守ることができず、罰を欲している。だから、何らかの形で自分を傷つけようとしている。アリエルにはそんな風に見えた。
自分を責め続けるフィオンに、アリエルはかけるべき言葉がすぐには見つからなかった。
「いや、一昨日初めて会って……少し話したことがあるだけ」
「その……人たちは、そうまでして助けないといけない人たちだったの?」
フィオンとミラリアの人達の間にどのようなことがあったかはわからない。けれど、ほんとにほとんどかかわりのない人なら、そうまで自分を追い詰めなければいけない様には思えなかった。
危機に瀕している人を助けたいという気持ちは理解できる。けれど、薄情かもしれないけれど、何の見返りもなく、赤の他人と自分の命を天秤にかけられないと思った。
アリエルの問いに対し、フィオンは少し間をおいてから口を開いた。
「世間知らずだからかな。他の生き方を知らなくて、ただ人の命を救いたくて、そのために生きてきた。けれど、結局、だれも救えなかった」
フィオンは苦しそうにそう口にした。フィオンのその姿はとても痛々しく思え、アリエルは見ていることができなかった。
「知らないなら、学べばいいんじゃないかな? 私、それなりに知り合いがいるから仕事とか紹介できるかもしれないし……」
無理ならあきらめればいい。アリエルはそう思った。
何か一つの事をめざし、諦めず突き進むことはいけないことではないと思う。けれど、それに危険が伴い、命を落とすようなことになってしまうなら、それは褒められた行為ではないと思う。
人は一人で生きているわけではない、自分が命を落とせば、自分以外の誰かが、大切な人が悲しむことになる。それは、できるだけ避けるべきだとアリエルは考えている。
フィオンの生き方が間違っているかどうか、はっきりと決めつけることは出来ないが、もし間違っていたのなら、今変えて行けばいいそう思った。
もしフィオンが冒険者でない他の生き方を考えようとするなら、それに手を貸してもいいとアリエルは思った。他人の死にこうまでも傷つく人間に冒険者という生き方はあっていないように思えた。何よりかかわりの薄い相手ではあるけれど、こうも痛々しいフィオンを見ていたくはなかった。
教会の鐘の音が遠くから響いてきた。
長い沈黙が流れた。フィオンはどこか遠くを眺め、アリエルは言葉を挟むことはなかった。
数羽の鳥がバタバタと音をたて飛び立ち、アリエルとフィオンの間の静寂をかき乱す。どうしてかアリエルは飛び立っていく鳥の姿に視線が引かれた。
茜色に染まり始めた空へ向かって飛び立っていく鳥たち、それを追うように視線を向けると、黒い服に身を包んだ人の列が遠くに見えた。
深緑区に隣接する墓所区に向かう葬儀の列だった。
誰かが死んだのだろうか?
ふと、隣に座るフィオンが死んでしまったらどうなるのだろかと考えてしまった。
きっと、自分はフィオンが死んだとしてもそのことに気付かず、数日ほど姿を見ないことに疑問に思いながら忘れていくのだろう。アリエルにとって、フィオンとの間柄はその程度だ。今までに出会ってきた冒険者と同じ、そして、もう会うことのなくなっていった冒険者と同じ様に忘れていくのだろう。でも、それはなんだかひどくさみしい気がした。
「私は、フィオンさんには死んでほしくはないかなって思う」
気が付くとアリエルはそう言葉を口にしていた。
「え?」
「なんか、フィオンさんには冒険者って向いてないと思う。すごく、いい人そう。せっかくであったのに、いなくなられたら、私は嫌だな。せっかくだからいい関係を築きたい。だから……死んでほしくはないかな」
ひどく繊細で傷つきやすいこの青年が、傷つき壊れていくような姿は見ていたくはなかった。
自然と出たその言葉が、なんだか恥ずかしくてアリエルは笑って誤魔化した。
フィオンはアリエルの言葉に「ありがとう」と小さく答え、そのあとに「でも、ごめん」と続けた。
「最初は憧れだったんだ。昔から聞かされた童話が好きで、人を、世界を救う英雄に憧れてたんだ。人を救うってことがどういうことで、人が死ぬってことがどういうことか知らず、ただそういう英雄に憧れてたんだ。
でも、人が死ぬところを見て、守れなかったものを見て、俺はそういうの嫌だったって思ったんだ。許せなかった。だから、俺は守りたい」
フィオンはベンチから立ち上がエリスっと持ち歩いていたバスタードソードを鞘から引き抜き正眼に構えた。
「俺に何ができた、何ができないのかわからないけど。たとえ死ぬことになっても、しないでする後悔だけはしたくない」
フィオンはそう強く宣言した。フィオンのその表情には先ほどまでのどこか影のある表情ではなくなっていた。
「そっか」
「いろいろ、すっきりしたよ。ありがとう」
フィオンは剣を鞘にしまい直すと、そう謝罪を口にした。
「面倒な冒険者の面倒を見るのが、冒険者ギルド職員の仕事ですから」
皮肉を込めてアリエルはそう返した。
アリエルには冒険者という存在は理解しがたいものだと、改め思い直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます