安息日Ⅱ

 ギギギと扉の軋む小さな音が響いたかと思うと、バタンと扉が閉じる音がひどく大きく響いた。

 唐突に響き渡った扉の音に、エリスはすぐさま振り返り、音がした方向へと向き直った。音がした場所には、黒を基調とした簡素な神官服に身を包んだ初老の男性が立っていた。

「おや、来客でしたか。気付くのが遅くなってしまい、申し訳ありません」

 初老の神官はエリスの姿を認めると、温和な笑みを浮かべてそう謝罪を口にした。

 エリスは今、ミラドールの市街区の外れ辺りに立つ、小さく振るい教会に来ていた。最低限の手入れがされてはいたが、人の温かみがほとんど感じられないほど静かな教会だっただけに、人と会うとは考えていなかったためにエリスは少し驚いてしまう。

「いえ、こちらも声をかけずに上がってしまって、申し訳ない」

「謝罪はいりませんよ。ここは教会です。わざわざ許可を取らなければ、入れない場所ではありませんよ」

 初老の神官はゆっくりとした足取りで、教会の礼拝堂に並ぶ長椅子の最前列――エリスが立つ位置から一番近い場所へと歩むと、ゆっくりと腰を下ろした。

「ずいぶんと静かな場所ですが……信者や、そのほかの修道師たちは?」

 エリスは礼拝堂を見回しながら尋ねた。

 教会は基本的に静粛さが求められるため、どこの教会も静かなものだが、この教会はどこか世俗から忘れ去られたような冷たい静けさがあった。そうであるためか、エリスは気が付くとこの場所に立っていた。

「ははは。お気づきになられましたか。ここ数年、皆の足が遠のいてしまっていますよ。

 お恥ずかしい話。みな不安なのでしょう、魔王という存在が。そのせいかこんな小さな教会で得られる加護より、強い加護を求めてか、少し遠くても皆教会区にある大きな教会へと行ってしまっています」

 初老の神官はそう自傷気味に笑いながら答えた。

「けれど、教会は教会です。悩みは聞きますし、必要であれば加護も授けます。それで、御嬢さんはどのような悩みがあってこ――おっと失礼しました。同じ神職の方でしたか」

 初老の神官は話して居る途中に、エリスが着ている衣服が、作りこそ違うが同じ黒を基調とした神官服であることに気付き、謝罪を口にした。

「ああ、これは。自分は孤児院の出なので、着なれていただけで神官ではないんです」

 初老の神官の指摘で、エリスが今普段と同じで神官服を着ていたことを思いだし、そう取り繕った。

 エリスが孤児院の出で、神官服を着なれており、普段鎧などを着ていない時は、神官服を着ているというのは嘘ではない。けれどズキリと、エリスの胸の奥が痛んだ。

「おや、そうでしたか、これはまた失礼しました。それでは、貴女はどのような悩みを抱えてこの場所へやって来たのですか?」

 初老の神官は見透かすような瞳で、エリスに問いかけてきた。

「悩み……ですか?」

 エリスは呟くような問い返し、初老の神官からそっと目をそらした。

「先ほども言いましたが、ここは教会です。悩みを聞き、導く場所です。何か、抱えているものがあるのでしょう? だからあなたはここへやって来た」

 初老の神官は柔らかい笑みを浮かべた。その笑顔はおそらく胸の奥に抱えたものを吐き出しやすいようにと、向けられた笑顔だろう。それがエリスにはどうしても直視できなかった。

 エリスはそっと腰に差した二本の剣のうちの銀の装飾が施された一本に手を触れた。

「悩みと呼べるようなものはありませんよ。ただこの場所が、昔いた孤児院に似ていたので立ち寄っただけです」

「おや、そうでしたか。やはや、私には何か悩みを抱えているように見えましたが、まだまだ見る目がないですな」

 初老の神官はそう言って再び笑った。

 ゴーン、ゴーンと正午を告げる鐘の音が響いた。

「それでは、私は約束がありますので」

 エリスはそう言って、初老の神官に一礼をして、その場を立ち去るように踵を返し、礼拝堂の出入り口へと向かった。

「御嬢さん」

 ちょうど、扉に手をかけたとき、初老の神官が声をかけてきた。エリスは視線だけを神官へと返した。

「貴女の信仰がなんであるかは存じませんが、神は常にあなたを見ています。そして、あなたの行動を評価しています。ですから、あなたが恥じない行いを続けていけば、神はきっとそれに応えてくれるでしょう。あなたの旅路に幸運があることを祈っています」

 初老の神官はゆっくりと立ち上がり両手を合わせ、そっと祈りをささげた。

 エリスはそれに小さく会釈を返し、教会を後にした。

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