安息日Ⅰ

 さらさらと風に揺らされる草木の音が響く。

 フィオンは背の高い雑草が生い茂る平原のような場所に立っていた。着なれたローブに身を包み、腰にはバスタードソードとクロスボウと完全装備の状態で立っていた。

 なぜこんなところに立っているのだろうか? そんな疑問が頭に浮かぶ。けれどそれはすぐにかき消された。

 遠くの方で声を押し殺したような悲鳴が響いた。

 とっさにフィオンは悲鳴がした方へ眼を向ける。

 平原の中にぽつんと小さな廃墟が一つ立っていた。悲鳴はその廃墟から聞こえてきた。崩れた壁の間から小さな人影が見えた。

 緑色の肌をした小さな人影。ゴブリンだ。

 ゴブリンは片手で何かを押さえつけ、もう片方の手には血の付いた出来の悪そうな刃物を手にしていた。

 瓦礫で陰になっているためよく見えないが、ゴブリンが押さえつけている場所から人の手足のようなものが見えた。

 ゴブリンが刃物を振るうと同時に、あの声を押し殺したような声が響いた。

 人がゴブリンに襲われている。

 そう判断するとフィオンは迷うことなく腰のバスタードソードを引き抜き、駆け出した。

 ゴブリンとの距離を一気に詰め、剣を振り下した。

 唐突に表れたフィオンの姿に、ゴブリンは驚きの表情を浮かべ、そのまま胴を両断され絶命する。

「ひっ!」

 ゴブリンが両断されるところを目にしてしまったのだろう、ゴブリンに襲われていた人物――少女が小さな悲鳴を上げる。そしてそのまま、返り血を浴びたフィオンの姿を見て、涙を浮かべて怯える。

 少女の体にはいくつかの切り傷があるものの大事には至っていなかった。

 フィオンはほっと胸を撫で下ろし、他にゴブリンなどの危険がないか見渡す。ゴブリンなどの魔物は他にはいなかった。

 危険がないことを確認すると、フィオンは一度大きく剣振り血を振り払う。剣を鞘へ収まると、片膝を付きできる限り目線を低くした。

「大丈夫だよ。怖い奴は俺がやっつけたから」

 そう言って笑って見せた。

 少女は少しずつ状況を読み込めてきたのか、怯えた表情かんらだんだん安心したような柔らかい表情に変わっていく。

「立てる?」

 手を差し出す。少女はこくこくと頷き差し出した手を握り返した。


『なんで助けてくれなかったの?』


 低く冷たい少女の声が響いた。

 目の前の少女の腕が、肩のあたりから胴と切り離され、切断されたあたりから勢いよく鮮やかな赤い血が噴水のように吹き出す。

 突然のことにフィオンはぎょっとする。

 次に少女はフィオンの手を握った手とは別の手が、何かに引っ張られるように引き伸ばされ、最後には限界を超えちぎれ落ちる。同じように右足、左足と順番に引き伸ばされ崩れていく。

 バラバラに崩れていく少女はないが起きているのか理解できないのか、半ば無表情のままフィオンを見つめ返していた。

 そして最後に少女の首がねじ切られるように引き伸ばされ、ちぎれる。切り離された首はゴトリと床に落ちると、フィオンの足元へと転がり止まる。

 首だけになった少女の顔は、あの時見たアリサの顔だった。


『約束、したのに……守ってくれるって』


 口を動かすことなくにごった瞳をフィオンへ向けて、かすれた声でアリサはそう口にした。


………………

…………


 がばっとフィオンは目を覚まし、起き上がる。

 そしてすぐさま辺りを確認する。

 古びた木造の建物の一室だった。見慣れ始めたその光景から、フィオンが居る場所は、フィオンがミラドールで借りている宿屋の一室だとわかった。

 先ほどのあれはどうやら夢だったらしい。

 目覚めの悪い夢だった。助けられなくて後悔し、そのことが悪夢様な夢で思い起こされ、それで気分を害する自分がひどく嫌になった。

 ふと視線を部屋の片隅へと向ける。そこにはフィオンが冒険者となる前から使い続けているバスタードソードが、壁に立てかけられていた。

「俺……どうしたらいいんだろうな……」

 答えが返ってくるわけでもないのにフィオンは、自身の剣にそう問いかけた。

 昨日エリスと名乗ったあの騎士に、フィオンはともに戦うことを誓った。その時は半ば勢いで答えていたところがあった。少し時間が空いて気持ちが落ち着いた今では、あの時の発言を少しだけ後悔している。

 先日の戦闘でフィオンがどれほど無力か身を持って知らされた。それでもなお、誰かを救いたいと戦い続けられるか、誰かを救えるか、自信が持てなかった。

 けれどやらずに後悔は、やはりしたくはなかった。

 壁に立てかけられた剣に目を向けたままギュッと拳を握りしめた。

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