新米冒険者フィオンⅨ
夜目にしたミラリアの姿は、昼間見たものとは大きく異なるものだった。
村の田畑は荒らされ、村を囲う木製の防壁はずたずたに壊され、家には火が放たれていた。村の中を逃げ惑う人の姿を見ることができず、代わりに部位が欠損した人の躯が転がっていた。そして、大きな焚火のように燃える家々の中に、狂喜乱舞するオーガの姿が見えた。
そして、フィオンはあるオーガを見つけてしまった。人形のように一人の人間を引きずるオーガだった。オーガに引きずられる人間の生死は遠目からでは確認できなかった。
人知れずフィオンの呼吸が荒くなり、気が付くとミラリアへ走り出していた。
「本当に、期待を裏切らないやつだな……どうすんの?」
我を忘れ駆け出すフィオンを見て、ラシェイが騎士に尋ねる。
「どのみちオーガは倒さないといけない。中のオーガは私がやる。残りは頼む」
「そんな考えなしに突っ込んで大丈夫なのかよ」
「オーガ程度に後れは取らない。あいつの命は保障できないがな」
そう告げると騎士もフィオンを追って、ミラリアへと駆け出した。
「ほんと面倒事が多い仕事だぜ」
そう毒づくとラシェイは軽く矢筒を叩き残りの矢弾をおおよそ把握する。
「これじゃあ偵察に出た意味がほとんどないじゃねえか」
そして静かに音を立てず駆け出して行った。
家に放たれた炎が飛び火し、村を囲う防壁にも炎が舞っていた。オーガによって破壊された防壁は、村の正面入り口から入らなくても、すんなり入るころができそうだった。
フィオンは崩れ燃え始める防壁を飛び越え村の中へと入りこむ。それを追うようにして騎士――エリスもまた村の中へと飛び込む。
目の前を走るフィオンを追うようにしてエリスも走るが、その差は一向に縮まらない。前を走るフィオンは鎧など一切身にまとわない対し、エリスは重装備のプレートメイル、そう簡単に追いつけるものではなかった。
付かず離れずの距離にエリスはいら立ちを募らせる。
これまでのフィオンの向う見ずな行動は、エリスを大きく苛立たせるものだった。普段なら、かかわりの薄い他人の言動は特に気にも留めないが、フィオンの行動は酷く揺さぶられるものがあった。
理由は何となく判っていた。フィオンの言動はどことなくエリスに似ていた。
報酬が出るかもわからないことに、善意だけで危険に身を投じる。どうやっても他人を助けようともがく。それらの行動が、エリスとよく似ていた。
同族嫌悪、それゆえにフィオンの行動はエリスを苛立たせるものだった。
燃え盛る家々の間をフィオンは迷うことなく走り抜けていく、エリスもそれを追って家々の間を抜けようとする。けれど、降り悪く燃焼により耐久が損なわれた家が崩れ始め、フィオンとエリスの間を裂くように炎を纏った柱が倒れこむ。
エリスはどうにか歩みを止め、炎の壁の向こうのフィオンの姿を探す。エリスの前にあらわれた炎の壁がフィオンの姿を覆い隠してしまい、その姿を見失ってしまう。
エリスはいら立ちのあまり舌打ちを一つして、踵を返し迂回路を探す。けれど、そううまくはいかなかった。
引き返した道の先に先ほど見なかった影が道を塞いでいた。オーガだ。
返り血で体を濡らし、血を滴らせた包丁のような刃物を手にしたオーガがエリスの姿を捉え、新たな獲物を見つけたとばかりに歓喜の声を上げていた。
エリスは再び苛立ちのあまり舌打ちをして、腰から剣を引き抜き中段に構えた。
焼けた家々を抜けた先は、村の広場だった。
広々とした空間を囲むようにして家々が立ち並び、それらが今や篝火の様に燃え盛り、中央の景色を照らしだしていた。
人が分解されていた。四肢のほとんどを切り離され、うつろな瞳で涙を流しながら、痛みに悶える声を上げていた。それを詰まらなそうな表情で手にした包丁のような刃物で、さらに分解していく。
分解されている男性は痛みの限界を超え、刃物を振り下し新たに切り離されても叫び声を上げることはなかった。分解していたオーガは刃物を振り下した後、声を上げない相手を片手で持ち上げ、眺める。
揺らしても、叩き付けても反応がないのを見ると、ようやくそれに興味を無くしたのか広場の端に、今まで手に持っていた人間を投げ捨てる。ちょうど、フィオンの目の前だった。
「――!」
投げ飛ばされた人と目があった。うつろな瞳でフィオンを見上げ、微かな声音で声にならない笑い声をあげていた。
ぞっとするような人の成れの果てを見てフィオンは、叫び声を上げそうになる。それをどうにかこらえる。すると今度は、胃の中の内容物が逆流し、吐きそうになる。
手の甲で軽く口を押え、吐き気を抑え込む。口まで上がってきた胃液で、不快な酸味が口の中を満たす。
歪に裁断された人体から目をそらし、先ほどのオーガを見据える。
ふつふつと言いようのない怒りが込み上げてくる。
先ほどのオーガの近くに別の人が居た。それも一人ではなく複数人。村で見つけだされた住民はここに集められたのだろう。女子供、多くの者がこの広場の一角に集まっていた。みな恐怖で腰が竦んでいるのか、だれも震えて怯えるばかりで逃げることをしていなかった。
オーガはまるで新しいおもちゃを品定めするかのように、怯えて竦む人間を見回していく。
倫理観の欠片もない、とても許されるような光景ではなかった。
オーガが次の目標を見定めたのか、ある一点に目を留め、手を伸ばした。オーガがつかんだのは、まだ年端もいかない子供だった。
子供はひたすら泣きじゃくり、少し離れた場所にいるフィオンの耳にも届くほどだった。オーガの大きな手で子供を持ち上げる。それを子供の母親と思われる女性が、泣き叫びながら、子供を必死に庇うように引っ張る。
巨人のオーガと人間の女性。どうやっても力で勝るはずはなかった。片腕で母親ごと子供を持ち上げる。それでも必死に子供を離せまいとする親の姿に、オーガは気分の良くしたのか、表情が歪む。
そして、オーガの手に強く力が込められた。
オーガに掴まれた子供の体が歪み――オーガの握りしめられた手から赤黒い液体が噴き出した。
怪力で知られるオーガ。片手に収まる人間の子供一人握り握りつぶすのは、容易なことだ。
「――――」
言葉にならない何かを叫びながら、フィオンは駆け出していた。唐突に現れたフィオンの姿にオーガは一瞬驚きの表情を浮かべる。
素早くバスタードソードを引き抜き、両手で握りしめ全力でオーガめがけて振り――横合いからの強い衝撃が、胴から頭に伝い視界を大きく揺らす。視界が反転し、肩や腰などを固い地面に打ち付ける。
眼前まで迫っていたオーガの姿は、遠くに映り、フィオンは地べたに倒れ伏せていた。
オーガが、フィオンが間合いに飛び込んできたのに対応し、右手に握っていた包丁のような刃物を振りぬいたのだ。
フィオンの放った一撃はオーガに届くことはなく、フィオンは弾き飛ばされてしまった。
殴打による痛みをどうにか耐えながら立ち上がる。
先ほどのオーガは立ち上がったフィオンを見て取りニヤリと笑う。
ゆっくりとフィオンは剣を握りなおし、歯ぎしりをする。
先ほどの攻撃はほとんど不意打ちに近い攻撃だった。けれど、対処されてしまった。原因となったのは、フィオンが叫び声をあげたからだろう。自分のうかつさに腹が立つ。
オーガがゆっくりとフィオンの方へと歩き出す。まるで逃げられるなら逃げても良いぞと言うかのように、ゆっくりとじりじり距離を詰めてくる。
フィオンは一度、捉えられた人たちを一瞥する。捉えられた住民は不安げな表情でフィオンを見守っていた。
逃げられるなら逃げてほしかった。けれど、彼らにはもうその気力は残っていない様だった。誰かが助け出してくれるのをただじっと耐えながら待つ。そんな姿に見えた。フィオンがここへ来るまでの間、多くの若い男が家族を守るため戦ったのだろう、けれど誰もオーガにかなうことはなく、無残に殺されたのだろう。それを示すかのように、村のあちこちには無残な村の男の死体が転がっていた。
(やれる……か?)
再びオーガに視線を向け、自分に問いかける。
オーガは危険な魔物だ。並みの冒険者でも、オーガ一体を一人で相手するのは自殺行為に近いと言われる。新米冒険者であるフィオンに、どうやっても勝ち目があるようには見えなかった。
それでも、フィオンには諦めるという選択肢はなかった。
フィオンは自分の剣を強く握りなおす。
「はああああああ!」
そして大きく声を張り上げ、駆け出し一気にオーガとの距離を詰める。出来うる限りの全力を込めた一太刀。
一閃。風を切る音が響いた。視界の端にギラリと銀の光が走り、それと同時にフィオンの体に大きな衝撃が走り、大きく後方へ吹き飛ばされ広場の端の石垣に背中を打ち付けた。
圧倒的な力の差。オーガはいともたやすくフィオンの突撃は打ち払ってしまった。幸い、オーガの斬撃はローブが防いでくれたため、致命傷にはいたっていない。けれど、オーガの強力な一振りすべてを受け止めきることは出来ず、殺し切れなかった衝撃が体にダメージを与えた。
痛みで視界がちかちかと明滅する。
先ほどのオーガの一撃によるものか、背中を打ち付けた衝撃によるものか、口の中を切り、口内が生暖かい鉄の味で満たされる。
「は、ははは」
フィオンの口から乾いた笑い声がこぼれる。
力の差は歴然だった。オーガの一振り、一振りが全く見えなかった。体格の差から相手の方がリーチが長く、攻撃が早い。どのようにして攻撃をかいくぐり、どのようにして攻撃を与えればいいか、全く想像ができなかった。
フィオンは三度剣を構えた。
どうすればいいのか、何をすればいいのか、全く分からなかった。それでも、逃げる選択肢はなかった。
フィオンは駆け出し、オーガへと剣を振るう。そして、フィオンの剣がオーガへ届く前に、オーガの剣がフィオンの体を打ち払い、吹き飛ばされる。
一度、二度、打ち払われ、痛みで感覚が失っていく。
もう何度目か判らないオーガの攻撃で、フィオンは吹き飛ばされ、石垣に背中を打ち付ける。握力の弱まった手からバスタードソードが零れ、地面に落ちる。体中が言うことを聞かず、膝が崩れへたりこむ。
早く立ち上がらなければと体を動かすが、体は動かず整わない息が荒々しく吐き出された。視界がぼやけ、焦点を失っていく。体はもう、動かなくなっていた。
『お前は、戦士として大成はできない』
何度目だろうか、あの言葉頭をかすめる。これが現実なのだというように、思い出された。
ゆっくりとぼやけた視界の向こうでオーガが剣を引きずりながら近づいてきた。それと同時に、小さな金属を打ち鳴らす音が響いた。
結局フィオンは何もできない弱い人間なのだ思い知らされた。
一閃。銀色の光が走るとともに、プレートメイルに包まれた騎士の姿が走り、一瞬のうちに目の前のオーガを両断する様が映った。
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