新米冒険者フィオンⅦ
約束をした。そう難しくないと思えた口約束だった。もしかしたら、忘れてしまうかのような約束だった。
けれど、フィオンにとってどうでもいい約束ではなかった。
誰かを守る英雄になりたい。それが、フィオンの夢だった。『勇者』に選ばれなくても、英雄にはなれると、信じて抱いた夢だった。そのために剣を取り、戦士として人を守れるだけの力を手に入れたいと思った。
けれど、それは一度小さい頃に否定された。それでも諦めきれず、フィオンは再び剣を取った。そうして歩み始めた先で、交わした約束。その約束は、フィオンにとって大きなものだった。
けれど、現実はフィオンの思いを踏みいじるかのように、振り下された。
オーガの棍棒がフィオンの腕を砕くように振り下される。めきめきと嫌な音が聞こえた気がした。
「あああああああ!」
痛みに耐えきれず、声を上げる。それを見て、オーガたちは笑う。その声が、フィオンの無謀をあざけ笑っているように見えた。
必死に体を動かそうとするが、踏み抑えられた剣は上がらず、四肢は疲労で限界を訴え、思うように動かない。
『お前は、戦士として大成はできない』
大好きだった人から言われた、その冷たい大嫌いな言葉が思い出される。
(俺……やっぱりダメなのかな……)
育ての親であった魔法使いは、こんな自分を見たら、どんな顔をするだろうか?
悔しさからか、痛みからか、涙が浮かぶ。
棍棒を持ったオーガが三度武器を振り上げる。今度は足だろうか? それとも頭だろうか?
殺すなら、さっさと殺してほしいと、フィオンは思った。
オーガの鈍器は左足に振り下される。
「ぐああああああ!」
痛みでもうろうとし始めた意識が、新たな痛みによって無理やり引き戻される。
再びオーガは棍棒を振り上げる姿が見えた。
光が走った。風を切るように一本の矢が、光を放ちながらオーガとフィオンの間を裂くように飛び、地面に刺さる。
闇の中を強い光で突然照らしだされ、一瞬目の前が真っ白に染まる。
それに続くようにガシャガシャと金属の打ち鳴す音が響き、何かが一気にフィオンたちの方に近付いてくる。
そして、一閃。一筋の光がフィオンの目の前のオーガの首元を走り抜ける。
棍棒を構えたオーガの首は空高く吹き飛び、首があった場所から赤い血が噴水のように吹き出す。
力なく首を無くしたオーガが膝を付き、フィオンの方へと倒れこもうとする。それを、銀のグリーブに包まれた何者かの足がオーガの巨体を蹴り飛ばし、どける。
ガシャリとフィオンの目の前に誰かが着地する。
先ほど放たれた光を発する矢に照らされ、その人物の姿があらわになる。
騎士。その言葉がしっくりくる姿をしていた。全身を金属プレートで覆うプレートメイルに身を包み、頭部は兜で覆われていた。右手には『
騎士は兜に覆われた表情の見えない顔で、フィオンを一瞥する。その後、突然の出来事で混乱するオーガたちの隙を見逃さないかのように、即座に駆け出し、攻撃に移る。
一閃。戸惑うオーガに息を付く暇も与えないほど早く近づき、距離を詰める。そして、光を放つ剣が、先ほど同様一筋の光のように走り、オーガの胴を身を守るハイド・アーマーごと引き裂く。
けれど、その攻撃でオーガは仕留めきれなかった。直感か、反射的に身を捻り、オーガは必殺の一撃を避ける。それでも、攻撃はよけきれず横腹を引き裂く。
騎士はそうなることを読んでいたのか、流れるような動作で、一歩踏み込み先ほどより深く、切り返すように鋭い一撃を叩き込む。
「ぐがあああああああ!!」
オーガの断末魔の声が響き渡る。これにより状況を察したのか、最後に残ったオーガがようやく動き出す。
手にしていた弓を捨て、包丁の様に幅広な刃物を腰から引き抜き、騎士に襲い掛かる。
ガキンと金属がぶつかり合う音と火花が散る。オーガの怪力によって振り下された刃物は、騎士の手にしていた大盾によって受け止められていた。
風を切る音が響く。どこからか発射された矢が2本、オーガの体を穿つ。ハイド・アーマー覆われた体であったが、矢はそれを貫きオーガの肉を抉る。
オーガは痛みに悶え、うめき声を上げる。その隙が命取りとなった。
オーガの力が緩んだすきに、騎士はオーガの懐へもぐりこみ、至近距離からの斬撃をみまわせる。
最後のオーガはその一撃を避けることができず、断末魔の叫びと共に絶命する。
一瞬だった。流れるような動きで、騎士は3体のオーガを仕留めて見せた。
オーガを仕留め終えると、騎士は一度大きく剣を振り回し、剣に付いた血糊を振り払う。その後、再び剣を構え直し、残りの狼達へと向き直る。
飼い主であるオーガを失った猟犬である狼たちは、一瞬でオーガたちを仕留めた騎士の姿に怯え、あとずさる。そして、我先にと逃げ出していった。
狼が逃げ去るのを見届けると、騎士はほっと息を付くかのように力を抜き、構えを解くと未だに『
「立てるか?」
騎士から発せられた声は、がっちりとしたプレートメイル姿からは想像もできないような、中性的な声音だった。
フィオンは騎士に促され、手足が動くかを確認する。
四肢は動かすと多少の痛みを訴えるが、動かすことができた。オーガの棍棒で叩き潰された手足は、幸いにも破損していなかったようだった。
痛みを訴える四肢をどうにか動かし、フィオンは体を持ち上げる。
「よし」
フィオンが体を上げたことで、手足が動くと判断した騎士は、小さくうなずく。
「あの狼たち、見逃してよかったのか?」
どこからか男の声が聞こえた。フィオンが声のもとをたどると、いつの間にかすぐ傍に男が一人立っていた。
褐色の肌に黒髪。騎士とは異なり胸にブレストプレートだけと身軽な装備に、手にはロング・ボウを持ち、腰にはシミターを2本刺した男だった。
「生存者を優先したい」
騎士は男の発言に、視線を返すことなく、そう返答し、フィオンの手足を触れ触診を始めた。
ローブの上から患部を刺激され、痛みが走る。痛みで顔をゆがめると、騎士は「すまない」と一言謝罪した。
「あんた……たちは?」
「冒険者だ。この辺りにオーガの一団が現れたと聞いて、対処しに来た」
「2人……だけか?」
「正式な依頼はまだだからな。本格的に動くのは明日の朝だろう」
「それじゃあ……遅すぎる」
夜が明けるまではまだだいぶ時間はある。この辺りでオーガと遭遇するということは、すでにミラリアにオーガの一団が降りてきていると考えて間違えないだろう。もしそうなら、一晩でどれほどの被害が出るか、想像したくはなかった。
「大したけがはなさそうだな。ラシェイ、明かりを一つくれ」
騎士が触診を終えると、ラシェイと呼ばれた男性は、背負い袋の脇に下げられた松明を一本引き抜き、騎士に渡す。騎士は松明を受け取ると、自身のベルトポーチからコンパスを取り出し、松明と一緒にそれをフィオンに持たせた。
「南西に進めば安全な場所に出られるはずだ」
騎士はそう淡々と告げると立ち上がり、踵を返した。
「待って……くれ」
未だに痛みを訴える体を無理やり動かし、フィオンは立ち上がり、背負向けた騎士を呼び止める。
「俺も……オーガと戦いたい」
痛みと疲れで、いまだ荒れる息のまま、フィオンは訴える。
「君のような状態の人間が行っても死ぬだけだ。さっさと安全な場所に退避した方がいい」
騎士はそう冷たく言い切ると、突き刺していた剣を引き抜いた。
言いつくろうことのない騎士の言葉に、フィオンは微かな悔しさをにじませる。けれど、その程度でフィオンは引き返すつもりはなかった。
力不足なことは最初から分かっている。それでも、アリサとの約束くらいは守りたいと思った。
フィオンは一度強く口をかみしめると、騎士の忠告を無視し、ミラリアがあるだろと思われる方角へと歩き出す。
けれど、一瞬ではあるけれど、諦め、緊張を解いてしまったフィオンの限界を超えた体は言うことを聞かず、よろめいてしまい倒れそうになる。
「そんな体で何ができる。死にたいのか?」
ふらつきながら歩くフィオンに、騎士はそう問いかける。
「死にたいわけじゃない。……助けに行くんだ」
ふらつく体をどうにか建て直しフィオンは答える。
「理解に苦しむな。なぜそうまで必死になる」
他人の命より自分の命を優先しろ。そう騎士の言葉には言外にそういっているように聞こえた。
冒険者としては正しい考えだろう。所詮は仕事で、自分が生き残らねば報酬はもらえない。なら、いくら報酬額が高かろうが生還できない仕事は報酬がないのと一緒だ。ましてや報酬すら出るかわからない仕事などしないのが普通だろう。けれどフィオンはその考えに納得したくなった。フィオンが憧れる勇者や英雄は報酬の為に、人の命を救い、戦っていたかけではないからだ。
「人の命を救うのに……理由なんかいらない。俺は、俺の持てる力で誰かを――ミラリアの人たちを助けたい!」
怒気を孕む声でフィオンは言い放つ。
すると、しばらくフィオンと騎士とのやり取りを傍観していたラシェイと呼ばれた男が、噴き出すように笑い出した。
「『人の命を救うのに理由なんかいらない』なんて、大真面目にいう人間が他にいるとは思わなかったよ。どうやったってこいつは引き返さねえよ。なら、目の届くところに置いておいた方がましじゃないか?」
「お前……!!」
ラシェイの発言に騎士は怒りの表情を浮かべたかかのように睨みつける。
「おっと、雇い主への口出しはなしだなんて契約、した覚えはないぜ」
ラシェイはなだめるように両手を前に上げる。
ラシェイの発言でようやく折れたのか、騎士は一度小さくため息を付く。
「1時間だ。1時間小休止を取る。悪いがただ死ににいく人間を見過ごすことは出来ない。これが飲めないのなら、オーガの代わりに私がお前を殺す」
今のフィオンの体は疲労の限界なうえ、先ほどの戦闘のダメージも抜けきっていない。休息が必要なのは明らかだった。
1時間。それだけの時間でどれだけの被害が出るか考えると、この場でじっとしていることは出来そうになかった。
迷うフィオンの前で騎士は一度剣を大きく振るう。その剣と、兜越しの表情の見えない顔からは微かな殺意が感じ取れた。
フィオンは苦虫を噛み潰すようにして口を開いた。
「わか……った」
「決まりだ。ラシェイ、偵察を頼む。少しでも情報がほしい」
騎士はそういうと、再度剣を地面に突きたてた。
騎士の言葉に「相変わらず人使いが荒いことで」とラシェイがぼやくと「半分は君が巻いた種だ」と容赦なく返す。「へいへい」とラシェイは応じると、音もなく歩み去り、闇の中へと消えていった。
ラシェイが去るのを見届けると、騎士は腰のベルトポーチから半透明の青い液体と、緑の液体が入った細長いガラス瓶を取り出し、フィオンへ差し出す。
「ポーションだ。少しは楽になる」
フィオンは差し出されたポーションを無言で受け取り、口へ流し込んだ。
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