第2話 斜め上な第二王女


「あうあうあー」

「あら、シャナどうしたの?」

「あー」

「ふふ。楽しいの? 一体何を感じているのかしら?」

「精霊様とお話でもしているのかもしれませんね」

「そうかもしれないわねえ。――あら、サラが帰ってきたみたいね」

「サイラス様たちもいらっしゃいますね。にぎやかですねぇ」

「ええ。シャナも早くいっぱい遊べるようになるといいわねぇ」

「あうあー」

「ふふ、返事をしているみたい」





「あばばばばばー!」

「え、なにいまの。シャナ?」

「あばだー!」

「いみわかんねぇし」

「あらシャナ。たちたいのね! ねぇスーリ、わたしシャナをささえるからたたせてもいい?」

「そうですねぇ。でもシャナ様は立ちたいわけではないみたいですよ?」

「え?」

「いだ! ものなげんな、シャナ!」

「あややー!」

「ふふ、笑ってるわ」





「あー!」

「あら、シャナ! 上手ね! こっちよ、こっち」

「レスティア様。それはさすがに無理だと思いますよ?」

「そうかしら?」

「――シャナ! 父が帰ったぞー! お、もうすぐ歩きそうだな!」

「休憩ですよ、陛下。――おや、ほんとですね。子供の成長は早いですねぇ」

「あら、ガラン、ルーデンス」

「陛下、ルーデンス様、お疲れさまです」

「おう。そこで会ったから連れてきた」

「あたたー!」

「あら、笑ってるわ。嬉しいみたい」

「光栄ですよ、お姫様」

「ふきゃー!」

「よっぽど撫でられるのが好きなのねぇ」

「あいあいやー!」

「いつも元気だな。さすがは俺の娘だ!」





「あい」

「シャナ、ご本ならわたしがよんであげる!」

「あい」

「じゃあ、こっちにきてすわって? ころばないように、ゆっくりよ!」

「あいあい!」

「上手にあるけるようになったのね、シャナ」

「あーい」

「こんどはことばをおぼえてしゃべれるようになるのよ、シャナ!」

「あい!」





「あねうえー」

「――っ、今、シャナがわたしを呼んだわ! もう一回! もう一回呼んで、シャナ!」

「あねうえー」

「やったわ! ――でもなんで姉上なの?」

「ははうえ。ちちうえ。ルー。ディー。スー、リ」

「きゃー! わたしの妹はなんてかわいいの!」

「ふふ。やっぱり大騒ぎね。それにしても見事にサイラスたちのがうつったわねぇ」

「一番近いのはあの二人だからな。当然だろう」

「男の子みたいになりそうで不安だわ」

「いいじゃないですか。きっと毎日が賑かですよ?」

「そうだぞ、レスティア。ここまでこんなに順調に育ってくれたんだ。これから先だって、上手く進んでくれるだろう」

「……ええ、そうね。やっと――いいえ、これからなんだもの。もっともっと強くなってもらわなきゃね!」







 そうして月日は流れ、第二王女シャナステア・エル・ド・オーランドはもうすぐ、三歳を迎える――――。










「――シャナ? どこにいるの? シャナ!」


 王宮――王族居住区の最奥にある庭。そこに面している部屋の一室で、王妃レスティアは窓の向こうで突如姿を消した娘に慌てていた。

 外へと出るガラス扉は現在開け放たれており、そのすぐ側で娘のシャナステアがうろうろと動き回っていたはずだった。


「レスティア様。シャナ様ならそこにいらっしゃいますよ」

「え? あら、そこにいたのね。シャナ」

「あい」


 愛娘の姿にレスティアはほっとして、シャナがいるすぐ側の椅子に腰を下ろした。

 隣には、生後半年になる双子の赤子が小さなベッドの上で眠っている。彼らはシャナの妹と弟だ。

 シャナは自分よりも小さな赤子に興味津々といった様子で椅子の上に登り、その顔を覗き込んでいる。

 じっと見つめた後で何かを思い出したかのように椅子から降りた。

 侍女スーリの側まで行き、手を差し出している。スーリはそんな彼女の手に小さな花瓶を持たせた。


「姫様、こちらに飾りましょうね」

「あら、お花を摘んできてくれたのね」


 スーリに誘導されてテーブルの上に花瓶を置いたシャナに、レスティアは笑う。

 シャナは頷きを返すと、もう一度弟妹たちの顔を覗き込んでからテラスの方へと駆けていく。


「シャナ、お父様たちが働いている方へは行っては駄目よ? こっち側から出ないようにね」

「あーい」

「あと知らない人には近寄っては駄目よ」

「あいあい!」


 返事が届いてすぐにシャナの姿は庭へと消えてしまう。


「ほん

とにわかってるのかしら……」

「大丈夫でしょう。普段から人目につかない所を移動しているみたいですから」

「そうねぇ。――それにしても、周りに男ばかりなせいかしら。たまに男の子を相手にしている気分がするわ」

「ふふ、それはもう手遅れかもしれませんねぇ。いつもサイラス様たちのあとを着いて回っているようですから」


 シャナと面識がある人間は少ない。

 家族とスーリを始めとした侍女が数名。王族の身辺を守る近衛の騎士数名に、騎士団魔術師団の両団長と副団長、その直属の部下が数名―――。

 シャナを守るためにより信頼できる者をシャナの側に置き、それ以外の者との接触はさせずにいる。

 そんな大人たちばかりに囲まれているシャナの遊び相手は、必然的に兄姉たちになる。

 第一王女サラリアと第一王子サイラスだ。姉のサラは現在六歳、兄サイラスは五歳。ともに今年で七歳と六歳になる。

 そして、二人に加えて王弟エルトの息子で従兄弟に当たるジークがいる。彼はサイラスと同い年で、いつもともに行動している。

 サラは既に学校に通っているため、シャナはサイラスとジークとともにいることが多い。

 そのため、何をするにもサイラスたちの真似ばかりしてた。


「そのうち剣術を習いたいとか言い出したりして……」

「それは……否定できませんね」

「そうでしょう? ――あら?」


 溜め息をついたレスティアに、スーリは異を唱えようとして失敗し、苦笑した。

 それに再び溜め息をついたレスティアがふと部屋の中の違和感に気付く。

 スーリが不思議そうに首を傾げた。


「レスティア様?」

「スーリ……あの雪花、白く見えるのだけど、気のせいかしら……?」

「……いえ。私にも白に見えます……」

「……何故、白なの―――?」


 ぽつりと呟いたレスティアの脳裏に浮かぶのは、先程駆けていったシャナの小さな後ろ姿だった。






 宰相を勤める義父の元へ戻る途中、王弟エルト・フォン・スカディウスは騎士団副団長ディセイド・フォン・サザトールを見つけた。

 彼は廊下の窓から外を覗き込んでいる。


「何してるんですか、ディセイド殿」

「――お? ああ、エルトか」

「堂々とサボりですか」

「いや、戻る途中だ」

「…………。何を見てるんです?」


 エルトはディセイドの返答に訝しげに様子を窺うが、彼の視線の先に首を傾げた。

 ディセイドは何故か不思議そうに外の景色を見ている。


「なぁ、エルト。あれ……どう見ても赤だよな?」

「はい? 何を言っているんです。どこからどう見ても赤にしか見えませんが」


 ディセイドの指したあれ・・とは雪花のことだ。

 通常の雪花は白だが、シャナの誕生日に呼応するかのように、その1週間前後は王宮の雪花はああして赤く染まっている。

 ディセイドはエルトの冷ややかな視線に肩をすくめる。


「さっき魔術師団に行ってきたんだが、ルーデンスのところに白い雪花が飾ってあった。シャナが持ってきたと言ってたが、あいつは王宮から出られないから外では摘んでこれないだろ?」

「……そういえば、叔父上も昨日、雪花を片手に唸ってました。バタバタしてて忘れてましたが」

「宰相様もシャナから?」

「そうみたいでしたよ」

「ルーデンスはすぐに気付いて聞こうとしたらしいが、シャナはあっという間にいなくなったらしいし、聞けずじまいだそうだ」

「……まぁ、シャナ、ですからね」


 シャナの周りではしばしば不思議なことが起こる。精霊の仕業だろう小さな悪戯や今回の雪花のように。

 この期間、王宮の雪花はすべてが赤く染まっている。

 しかしシャナはどこからともなく白い雪花を摘んでくきた。

 シャナ自身に不思議な現象について訊いても結局は要領を得ず、いつも曖昧になっていた。

 そして、彼女が起こす不思議な現象はいつだって唐突だった。

 そう、今のように―――。


「……え?」

「ん? なんだ? ――シャナ……?」


 ふと視界に入った赤にエルトは目を疑った。

 しかし、次いでディセイドが発した名に現実だと知った。


「ディーとエルにもおつとわけー!」


 そこには、ディセイドの足元でにぱっと笑顔を見せたシャナがいた。

 シャナは二人に白い・・雪花を渡すと、踵を返す。しかし、すぐに立ち止まると振り返った。


「……シャナ、ないちょ。ははうえこっちめっていった。だからにゃいちょ」


 気まずそうに二人を見上げてそう言った後、シャナはあっという間に廊下の奥に姿を消したのだった。


「…………ええと、シャナは一体何処から?」

「秘密の通路があるらしいぞ。シャナ専用の」

「シャナ専用?」


 我に返ったエルトが困惑ぎみに言うと、ディセイドが面白そうにシャナが消えた方を見て言った。

 エルトはますます首を傾げた。


「隠し通路の類はすべて潰しましたが……シャナ専用の通路とはどういうことです?」

「ルーデンスが言うには、空間を歪めて目的地と現在地を繋げた通路をシャナ、もしくは別の何かが作ってるんじゃないかだと。どうもルーデンスのところにもしょっちゅう行ってるらしい」

「それは、魔法、ということですか? ――ていうか、しょっちゅう?」

「ガランの執務室にも顔出してるぞ。――魔法かどうかは知らん。シャナに通ってくるルートを聞いた結果、色々と辻褄が合わないみたいで、結果そういう仮定に至ったんだ」


 訝しげに眉を寄せたエルトに、ディセイドは肩を竦める。


「まぁ誰にも会わないルートみたいだしな。下手に表をうろついてたらそっちの方が危険だ。……あいつにとって一番危ないのが人ってのは、なんとも皮肉なことだな」

「……何が皮肉ですか。いくら隔絶した力を持っていても精霊などはこちらから何かしない限り、その力を向けてくることはありません。……いつだって人は、シャナだけでなく、すべての人にとって安心でき、もっとも用心すべき相手なのですから」


 外の明るさが、廊下に影を作る。窓から差し込んだ光に照らされることのないその場所は薄暗く、何とも言えない気持ちにさせる。

 差し込む光よりも影が広い廊下に、二人はシャナを想う。

 まるで今のあの子の状況を表しているようだ、と二人は思う。

 言い伝えにより自由に動けずに周りの都合に左右され、その上、その先に何があるのかわからない。


「まぁ今は信用できる人間にしか近寄らないのが救いだな。あいつはそうやって無意識にだろうが自分の身を守ってる。これから先だって、あいつが成長すれば身を守る術を教えてやれる」

「……シャナの場合元々の能力に加護が加わって、とんでもない力を身に付けそうですがね」

「それもそれで面白いだろ。サイラスといいジークといい、色々と才能がありそうで退屈しないな」

「まったく、楽しそうで何よりですよ。……こっちは考えることがありすぎて大忙しだというのに」


 子供たちのこれからを思って笑ったディセイドに、エルトは恨めしげに溜め息をついた。

 ディセイドが最近の仕事からエルトの悩みを予想する。


「なんだ、サイラスの側仕えの件か。ああ、ジークの側仕えもか」

「ジークはともかく、サイラスの側仕えをどうにかしなければ。同い年の方がいいとは思うんですが……」

「シャナのこともあって決まらずじまいか。いっそのこと、中等部上がるくらいまではお互いを守らせて、それから決めるってのはどうだ? 護衛も兼ねてるんだ。同い年ったって今は何も出来ないだろ」

「まぁそれもそうなんですけどね。兄上も同じようなこと言ってましたし」


 結局自分で納得し歩き出したエルトに苦笑して、ディセイドは仕事場に戻るべく踵を返したのだった。



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