第16話◆幼なじみとバレンタインデー

 気温が下がってきたならマフラーを巻いたり服を着込んだりすれば体が暖まる。だけど、心が冷たくなってきたら、どうすればいいんだろう? ユニクロのフリースを何枚着たって、寒さは解消されない。

 2月14日は、まさにそんな日だった。

そして、その寒さに震えるのは僕だけではない。ツイッターやフェイスブックを検索すれば、僕のように教室の中でじっと何か期待しながら――空を物欲しげに見上げて雨乞する祈祷師のように――往来する女子を見守る地味系男子が、必至に寒さをしのいでいるのがいくつも見られた。現代で阿鼻叫喚を見たければ、2月14日を待てばいいだろう。いい絵が見られると確信している。

カバンから、宿題やら予習のノートを取り出して机の引き出しにしまう瞬間、僕の心には淡い期待の火が灯る。しかし、自分で淡いなどと修飾している時点で終わっていると言って良いだろう。火種は恋の炎に燃え上がることもなくすぐに消えた。今の時代、机の中にこっそり入れておこうなんて古典的な慣習はないんだ。そう思い込むことで、僕は自分の気持をごまかした。


 情けない。


 友人と談話している時も、いつでも話を切り上げられるんだよ、とアピールするように周囲に視線を配る。呼んでくれれば、校舎の裏だろうが屋上だろうが、どこにでも行く準備はできているのだ。友人たちも僕と同類……思考ルーチンまで同じらしく、その日の会話はどれも上辺だけのものだった。ただただ会話している姿を装って、時間を潰しているだけのことである。


 午前中の授業が終わって昼食を食べているあいだも、食べ終わって昼休みになってからも、そしてそれが終わって掃除して、5限目が始まっても、僕はフワフワと地に足がついていない状態だった。14日の寒さに肉体がヤラれて、魂が抜け出てしまったようである。唯一、目の光だけは活力を残していた。ここ数週間の自分の行動に希望を持っているのだ。

 そう。

数週間前から義理をもらうためだけに、女子たちに慈善活動し、優しさと笑顔を振りまき、天使のように爽やかに挨拶して回ったのである。


「松井くん」

 ほら来たぞ!

 呼ばれて顔を上げると、前に座っている女子がプリントを渡そうとしていた。

「後ろに回して、詰まってるんだから早くしてくれる?」

「あ、はい……」

 いや、これは伏線だ。

 ニキビ顔のこの女子も、話しかけるチャンスを……。バカバカしい妄想に僕は今日2度めの情けなさを感じた。イケメンは、すでにカバンに入りきらないほどチョコレートを貰っている。「虫歯になって歯抜けになればいいのに!」と衝動的に毒を吐きたくなるが、そうしたところで、自分の顔がイケメンに生まれ変わることはない。そんなことをするくらいなら、バイトでもして整形したほうが、よっぽど健全だろう。


 そうこうしているうちに、下校時間――。

 僕の2月14日は、無駄な思考の羅列を積み重ねるだけで終わっていく。毎年毎年同じ思考ルーチン。返ってくる答えは残飯ばかりで使い所がない。最適化されていつかは、14日を感じなくなればいいと憂いてしまう。


 帰りの電車の中で、見ず知らずの女子高生が「前から好きでした」なんて言ってくれる神展開を期待して、チラチラ周囲に視線を送っていると、一人の女子が気味悪げに車両を変えて行ってしまった。今日ばかりは、キモ悪がられるのはなれたものだ。餅のように叩けば叩くほど、気持ち悪さが伸びていく。今日の僕は客観的に見ても、つきたての餅のように気持ち悪さが伸びまくっていると思う……。


「つまんないジョーク」

 気持ち悪さを餅に例えるなんて僕の頭はどうかしているのか?


 車窓から空に向かって、ミニスカの天使がチョコを持って降りて来てくださいと懇願しても、現実に天使などいるわけもなく。もし羽が生えた人間が見えたら、知らないうちに病気かドラック中毒になっているのではないかと、自分の精神状態を疑うべきだ。

 家に帰るまでが遠足気分――と同じように、家の中に入るまでがバレンタインデーだと気を持って改札をくぐり、溶けかけの雪を踏みしめて家路につく。北風が冷たく、ほっぺは心のように冷えていった。

「相変わらず、シケた顔してるね、あっちゃん」

 後ろから呼びかけられ、僕はこわばった顔をそちらに向けた。

「ミウ」

 大きな笑みを浮かべた幼なじみの顔があった。2月の冷たい風を吹き飛ばすような晴れやかな顔をしている。なんだろう、チョコを配り終えてスッキリしているのだろうか?

「よっ、暗い顔しているところを見ると、寂しい1日だったな」

 軽い口調で、笑顔を振りまくとミウはカバンから包を取り出した。

「どうせ義理ももらえなかったんでしょ。これあげるよ」

 ミウは押し付けるように僕にその包を渡すと、吹き抜けるように走って行ってしまった。

 その年、ミウがくれた義理チョコだけがぼくの獲得した唯一の戦利品だった。

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