第15話◆幼なじみと雨のなかの小さな約束
その夜、理科の授業で貰った星座盤と、ミウの父親が持っていた小さな天体望遠鏡を抱えて、僕とミウは近くの浜辺に出てきた。
天体観測をするには、風が強く、厚い雲がいくつか飛んでいるため、絶好のタイミングというわけではない。しかし、真っ黒な空にはいくつもの星が涙をこぼすように瞬いている。その何億光年先の光が天体を彩っている様は、道すがら僕とミウの心をワクワクさせてくれた。
懐中電灯で足元を照らしながら、岩場に望遠鏡を設置して、方位磁石で方角を確認する。
「風が強い」
僕は星座盤が風で煽られるのを強引に押さえつけながら呻いた。
「海辺だしね」
「角度はあってる?」
「覗いてみてよ」
ミウに促され、僕は望遠鏡の窓を覗き、そして風の音に負けないくらいの歓声を上げた。肉眼で見るよりはるかに明るい。そして鮮明だった。蛍光灯や、自動車のヘッドライトや街の明るさとは全く異質なクールな光球だ。僕は初めて見る光景に興奮してしまった。
隣でミウが早く変わってと何度も僕を急かすが、この時ばかりは望遠鏡を独占してしまいたいと強く思ってしまった。
「早く早く、私にも見せてよ!」
「流れ星だ!」
「あっちゃんお願いー!」
両手を合わせて懇願してくるミウに根負けして僕は、席を譲った。
そして、肉眼で空を仰ぐ。
近くで歓喜の悲鳴を上げるミウの声が遠くに聞こえるほど、空は広くそして僕を圧倒していた。
「あっ!」
ミウが望遠鏡から顔を話して空を見上げた。
「雲が邪魔してきた!」
「また流れていくよ」
そうは言ってみたものの。僕の言葉は慰めにはならなそうだった。僕は恨むように南から登ってくる暗幕のような雲を睨んだ。まるで舞台を閉めるように、それは全天を覆うように広がる。
そして雲の切れ目から観察を続ける僕とミウをあざ笑うように、強い雨粒が音を立てて降ってきた。僕らはやむを得ず近くの放置されているテントに避難した。
テントの真ん中にはソファがぽつんと設置され、ミウが座るとホコリが立った。指で生地を撫でたミウが「砂でザラザラ」と顔をしかめる。どうやらそのテントとソファは海水浴のときに、日差しを避けるために用意されたらしく、見回り当番表が柱に吊り下がっていた。
「ちょっと雨宿りしようか」
ミウはソファの上で膝を抱えて座り込んだ。
雨足は強くなる一方で、親たちが迎えに来るまで動くことが出来ない。僕は特に反論することなく、ミウに同意した。
ぼくがソファに座ると、ミウは顔を寄せてきてニヤリと口を開いた。
「ねぇ、流れ星に何か願い事した?」
「えっ」
「え、じゃなくて。ごまかさないでよ。見たんでしょ流れ星。消えるまでに願い事すればそれは叶うんだよ。してないの?」
ミウは、心を弾ませるように体を揺すってぼくを問い詰めてくるが、あいにく流れ星を見たからといって、そこまで気が回らなかった。正直にそれを話すと、ミウは残念そうにソファの背もたれに脱力した。砂がざらつくのもお構いなく、ナマケモノのように両手足をだらけさせた。
「なーんだ、もったいない。せっかく願い事が叶うかもしれないチャンスだったのにね」
「ミウならなんて願い事するの? 今度見たらかわりに頼んであげるよ」
「ダメダメ、絶対ダメ!」
ミウは跳ね起きて、顔を真赤にしながら両手を振って全力で否定した。道路工事の前で整備するお兄さんのように、「直進NG、回れ右してください!」と全力で方向指示してくるミウの姿に、僕はなんだかおかしさがこみ上げてきて、
「どうしてそんな否定するのさ。ふたりで願えば、確率上がるかもしれないよ。カモっていうか。確率は上がるよ」
と思わず口走ってしまった。ポーカーや宝くじであたりを引くためには、回数をこなさないといけないことを思い出したのだ。
するとミウはがっかりしたように頭を垂れた。
「確率論じゃないよ。ロマンないなァ、あっちゃんは」
「でも叶えたいんでしょ?」
「――うん、そう、だねぇ」
ミウは思いにふけるように、遠くの方を見る。
「だったら教えてよ」
「ダメ」
「ヒントでもいいよ?」
「ダメったら、ダメなの」
「どうして?」
ぼくが首を傾げると、ミウは急にソファの上に飛び上がり「もう!」と牛のように叫んだ。そして、ほっぺたを大きくふくらませ、「デリカシィないな!」と一声かけるとテントから飛び出した。テントの外はまだ強い雨が降っていて、更に闇夜が重なったせいで、あっという間にミウの姿が闇に溶け込んでしまった。
そして、雨音に混じって遠くのほうでミウの言葉が聞こえた。
僕は、はっと息を呑んだ。
雨の音がうるさかったせいで、はっきりとは聞き取れていない。しかし、僕は確かに暗闇でミウが願い事を叫ぶのを聞いていた。
とても長い時間が流れる。
びしょびしょに濡れたミウの頬に雨粒が流れ落ちた。
「へへ、流れ星の変りだね」
そう笑ったミウは、翌日風邪を引いて学校を休んでいた。
「ほい、プリント」
ミウの勉強机の上に、先生から手渡された書類を置いて僕は床にどっかり座り込んだ。
「風邪うつるといけないからって、ミウのばーちゃんから面会時間3分きっかりだって言われちゃった」
ミウは小さく頷いて、それからまぶたを閉じた。ベッドに横になった彼女のの顔は、赤く火照っていてまるで赤ん坊の顔みたいにぷにぷにしていた。衰弱しているのが、僕にまで伝わってくる。
目を閉じたまま、ミウは暑そうに息を吐き、そしてゆっくりとした調子で聞いてきた。
「昨日雨の中で私が言ったこと聞こえた?」
「ん、いや……」
僕は照れもあって、首を横に振った。
「そう。なら良かった。夜はアドレナリン出やすいって言うしね」
ミウの言い訳がましい言葉は、僕が聞いてないふりをしているのに気づいているから出てきたのかもしれない。だけど僕は何も言わなかった。
ミウと僕はほとんど同じ願いを持っているようだった。
お互いに口には出さないのは、それを言った途端何かが崩れてしまうからかも知れない。
長い沈黙の後、僕は優しく「ゆっくり休んでね」と微笑みかけ、ミウの部屋を後にした。彼女は目を閉じたまま、口元をほころばせ、そして静かに眠りについていった。
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