第14話◆幼なじみと蜜の味

 学校のプールを囲むように花壇が作られ、四季折々いろんな花が咲いていた。そこに植えられている花の中で、生徒たちに絶大な人気を誇っていたのが『サルビア』だった。

花壇の草花総選挙では、毎年1位を獲得し、数十年前に殿堂入りを果たして理科室に銀メッキの模型が飾られているほどである。僕たち学生にとってサルビアは、銀メッキの模型が象徴するように、大航海時代に大海原に乗り出した船乗りが目指す黄金のような輝きがあったのだ。


「この、ばかもんがっ! 花の蜜はなァ。ハチやチョウのような昆虫のためにあるんだぞ! 人間様がひとりよがりに吸っていいもんじゃない! ハチやチョウのご飯をズータイでかい人間が横取りして、悲しいと思わないのか。昆虫は一所懸命花の上を飛び回って、ご飯にありついてるんだぞ」

体育教師の怒号が、体育館の天井に響き渡った。

その強烈な声量は、天井を突き抜け屋根が吹き飛ぶのではないかと寒気がするほどの怒りが込められていた。第一声から、体育座りで整列している全校生徒を萎縮させた。全員がビビって身をぎゅっと縮こませたせいで、床を数センチ沈み込んでしまうほどである。もし全員が恐怖で体を震え上がらせれば、体育館がぶるぶると地震が来たように揺れ動いてしまうかもしれない。体育教師の怒声には、それだけの気持ちがこもっていた。

プールサイドの花壇に植えられたサルビアの根本には、無残に投げ捨てられた花弁がいくつも転がっていた。

体育教師の怒りは予想出来ていたことだった。

僕もちょうど前日、友達と一緒になってサルビアの花の蜜を吸っていたところだった。土に帰るものだと安心して花弁を土の上に投げ捨てた。僕の前に吸っていた奴らも同じことを思っていたのだろう。少しだけ見えていた黒い土の上にぼくが捨てた花弁が舞い落ちると、地面は捨てられた花弁のせいで真っ赤に染まってしまっていた。

「金輪際、サルビアの花の蜜を採ってはいかん!」

 小さく「えーっ」と非難の声が上がったが、「誰だ、今えーって言ったやつ!」と体育教師が頭から湯気を出して歯をむいたため、一瞬で静かになった。

 ぼくの前に座っていた数人が振り返って、しかめっ面を見せてくる。彼らは、昨日僕と一緒にごちそう――蜜の味に舌鼓を打っていた言わば同士であった。目配せして、お互いどう思っているのか探りあう。

声には出さないが「どうする?」「今日はやめとく?」「お前行くなら行くけど」とお互い探り合っている様子だった。学生の胃袋はブラック・ホール並だ。お腹をすかせた学生が無料でおいしいものを食べられると言うことなら、その欲望を圧政で抑圧しようとしても難しいのは当然である。僕らの胃袋を正当化するつもりはない。しかに食欲は、人間の三大欲求である性欲・睡眠欲と肩を並べる人間性の要である。

 僕らは約1分間の密談の末、放課後プールサイドに集結した。

「よし、園芸部は帰った。俺らはハチやチョウを駆逐するためにサルビアに毒を持った帝国軍の策略を阻止するために、サルビアの蜜をすべて回収する任務につく!」

「隊長! サルビアに毒が盛られているなら、我々の身にも危険があるのではありませんか!?」

 ひとりが敬礼をして、兵隊の真似事をした。

「この、ばかもんがっ! 昆虫の致死量と、人間の致死量は大きく乖離している! 我々が帝国軍にやられる時は、運動場一面のサルビアを一時のうちに吸い尽くさなければならんのだ。そして、安心したまえェ、どれだけ我々が勇気を振り絞ってすべてを吸い尽くしたとしても、吸っているあいだに尿意を催し、確実に毒は抜けていくだろう」

「了解であります!」

 一連の小芝居に満足した僕たちは、プールの周りを取り囲む柵に身を隠すようにしながらサルビアの花壇に向かった。

「むむ、体育教師を視認!」

「よし、まずは隊長の私が見本を見せよう!」

 隊長は完全に役になりきり、「本来であれば知性あふれる隊長が指揮をし、隊員たる諸君らが手駒となってサルビアより蜜を回収するのが道理ではあるが、この危機たる状況のもと私自らが隊員の生命を守るため、一陣――切り込み隊長を買って出よう」と演説が始まった。彼はそのまま自分の世界に入り、背後に近づく体育教師の気配に全く気づかない。

 僕と他の2人は、演説が始まると同時に目で合図を送り合い、隊長をその場に残して更衣室の裏手に回った。

 遠くのほうで、隊長が無残にやられる声がしたが、僕らは彼の死をムダにしないだろう。

「隊長が帝国軍の番人を引き付けているあいだに一気に叩くぞ!」

 一番俊足の隊員が、我先にと更衣室の影から飛び出した。

 慌ててもう一人が飛び出し、僕は出鼻をくじかれるように出遅れてしまった。

 しかしそれは功を奏した。

 俊足の隊員が自慢の足でサルビアの花壇に近づいた直前だった。ブービートラップが発動し、プールサイドの柵に取り付けられた空き缶の束が、地面に落下し盛大な音を立てた。隠密行動中の物音は死を意味する。ふたりはその影を直感的に感じとり、体をこわばらせてしまった。

 そして、予想通りの怒鳴り声……。



 4人の帝国軍に立ち向かう勇者は、あっという間に僕一人になったところで「もう役作りはいらないか……」と僕は、連れて行かれていった3人に敬礼した。

「さてと」

 僕は無防備なサルビアを見下ろし、舌なめずりした。隊長とその他には申し訳なくて涙が溢れるが、彼らの勇気を無駄死にする訳にはいかない。友情と言う名のもとに、僕はサルビアの真っ赤な花弁に手を伸ばした。

「あれ、あっちゃん何してるの?」

 僕は聞き慣れた声に、ビクリと肩を震わせ、サルビアの花弁を毟ろうと伸ばしたてを無理やり後頭部に持っていった。頭にのみがついたネコのように、高速で頭を掻き「あー、かいーかいー」とごまかすようにこぼした。

「あ、ミウ?」

 僕は第一声で声の主がミウだと気づいていたが、とぼけて首を傾げた。

「どうしたのこんなところで?」

「サルビアの蜜ドロボウを捕まえに」

「え?」

ミウの言葉に、僕はつばを飲み込んだ。さらに聞き間違いであってほしいと、神にも祈った。

「友達に誘われてサルビアの花の防衛部隊に入ったのよ、時間あったし。それよりあっちゃんはなにしてるの。こんなところで?」

「おっ……」

 僕は、言葉をつまらせた。

 ミウが怪訝そうに上目遣いに僕を見る。

 脇汗が滝のようにあふれて、Tシャツにシミが付くような感じがした。

「おっ」

「お?」

「お、おな、同じだよ。ミウと。サルビアの甘い蜜を取りに来る奴らを成敗しようと、ね。ハハ」

 蜜よりも甘いのは恋心だってことだ。

 そしてとっさの嘘により、僕はその日から、サルビア防衛隊に入隊することになった。

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