第12話◆幼なじみとカーテンの奥の秘密
ミウの家が建て直された時、僕の部屋の真向かいに彼女の部屋ができた。
古い漫画に出てくる――幼なじみの部屋を屋根伝いに行き来できるような――ありえない間取り。何の変哲もない窓が、どこでもドアになってしまったようだった。
限りなくゼロに近い確率で、カーテンを開けた先が『しずかちゃんのお風呂場』に近い状況があり得えるのである。まさにそれは、カーテン越しのシュレディンガーの猫だった。
ある意味、僕の部屋は幼なじみを異性として意識する男子の理想郷に変貌した。
粗末な家具――パルプ素材のボロボロの机やベッド、少し黄ばみ始めたシーツは、ミウの部屋が向かいにあるというだけで、新品に生まれ変わったような輝きを示した。
僕はカーテンを開けて、外を見た。
ミウは勉強机に座り、一所懸命予習か復習をしている。
ある時は勉強。
ある時はストレッチ。
またある時は眠りこけた無防備な姿。
自然体で過ごす彼女が、その間取りについてどう思っているかわからなかったが、僕は彼女を意識せざるを得なかった。勉強している時も彼女の目を気にしてカッコつけたり、本を読んでいてもどんな風に見られているか意識して背筋を伸ばしたり、単に部屋を横切るときでさえ、クールに見えるように振る舞った。
それは精神的に結構ハードな生活だったように思う。
普段自然体のミウも、唯一着替えの時だけはうるさかった。
「あっちゃん、締めて締めて!」
「自分のところ締めなよ」
当然ミウも自分の部屋のカーテンを閉めたが、まず先に僕の部屋のカーテンを閉めることを要求してきた。これこそ乙女心だろう。
「学校遅れちゃうから、早くッ!」
着替えのときにカーテンを閉めるルールは、ミウの部屋が僕の真向かいさんになった時から『絶対に破ってはいけない約束:その51』として登録されている。破った瞬間に絶交51回という重いルールが課せられ、血判状まで作成してあった。
とは言え、思春期の男子に「女子の着替えを覗くな!」と言うのは正直、酷な話だと思う。まさしく大好物のほねつき肉を前に、「待て」を告げられた犬と同じだ。よだれがダラダラ落ち、腹が鳴る。我慢の限界に達しているのに、我慢しなければいけない。飼い主との信頼関係のために、言いつけを守らなければいけないのだ。
そのルールには、犬と飼い主の関係と同じように、僕とミウの信頼関係が乗っかっている。欲望が噴火して、カーテンを開ければ、信頼関係が崩れ落ちてしまうことになるだろう。
「ちょ、ちょっとくらい……」
僕が誘惑に負けてカーテンに手をのばそうとすると、
「あっちゃ~ん?」
それを制するようにミウのドスの利いた声が聞こえてきた。
僕の部屋に監視カメラでも設置しているのかと疑うほどの正確なタイミング。ある意味僕の心情とバイオリズムを、誰よりも認識していると言っても良いかもしれない。
しかし――……。
ダメと言われれば言われるほど、カーテンを引きちぎり、そこに隠れている秘密の花園を見たい欲望が溜まった。火山口でマグマが煮えたぎっているように、欲望がグツグツと沸騰ずる。まさにお風呂場行きのどこでもドアの前に立っているような状況だった。
「あ!」
僕は開かずのカーテンを穴が空くほど見続けること、数日間、ひらめきを覚え部屋を飛び出した。
逆転の発想。
なぜ気づかなかったのか!
僕は隣の部屋に行き、開けっ放しの窓からそっとミウの部屋を覗きこんだ。
なんという盲点。
自分の部屋のカーテンを開けずとも、花園の扉をノックする方法があったのだ!
あまりの昂奮に、僕の手足は震えていた。
だが、それも盲点の盲点だったのだ。昂奮と欲望の視野狭窄にハマってしまっていたのである。最後の砦となるミウの部屋のカーテンの存在を、完璧に忘れてしまっていたのだ。
目に飛び込んできた光景に、僕はあっけにとられ、膝をついてへたり込む。期待という風船から一瞬にして空気が抜けてしまった。
次の瞬間、ミウが自分の部屋のカーテンを開けた。
そして、斜め向かいの部屋にいる僕を見つけ「あっ」と指さして目を丸くした。人の目が点になる瞬間を僕は初めて目撃した。
ミウに見つかり僕は、とっさに身を隠した。
だがそれはもう後の祭り。
ミウの絶叫が僕の震えさせるのに、それほど時間はいらなかった。
部屋にいるということが、とてつもなく緊張を強いる状況におちいっていたのである。起きている時も寝ている時も、チクチクと針で突き刺され、緊張の糸はつねに張り続けている。毎日、窓越しにミウを意識する生活に僕は疲労困憊していた。
ミウも僕の異状に薄々気づいてきたのか、僕の様子を時々ちら見して、すぐに目をそらすようになった。
「ねぇ、あっちゃん。話があるんだけど」
僕はヘッドフォンを首にかけて窓を開けた。
洋楽が音漏れしていたが、そのままにしていたのは、僕の見栄である。
「正直に言うね」
ミウは出窓から身を乗り出して来た。深刻な話をする時、ミウは必ず顔を寄せる。
「部屋、近くなったじゃん。一応、年頃のふたりだしルール決めて、お互いのプライバシーを守ったほうがいいかなッて思うんだけど、どう思う?」
「カーテンずっと閉めとく?」
「さすがにそれじゃ暗すぎでしょ。せめて、着替える時とか寝る時はカーテンを閉めることにしない? 勉強してる時とかはさ、カーテン開いてたらわからない問題とかも聞きやすいけど、四六時中開けっ放しは緊張しちゃわない?」
僕は首を縦に振って同意した。いや、同意せざるを得ないことだった。
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